アンコンシャスバイアスを違和感として感じてみる
コロナ渦でいろいろなモノやコトのオンライン化が進んだ昨今。
今までタブーとされていたこともあっという間に"緊急事態"の一語で許容というより、推し進められるようになりました。
この間までの非常識が常識に。もちろん、その逆も然り。
あっけないものです。
私たちが生きている世界というのは意外にも脆いということを知る一つのキッカケとなりました。
あえて感じてみる
そんな世界でサバイブしていく上で、一つ大事なことを先日学びました。
それは"日常の中にあえて違和感を感じてみる"ことです。
私はコロナでとても感じたことがあります。
"常識や倫理なんてくだらねえ"
ということです。
テクノロジーの発展や不足の事態によってこれらはあっという間に劇的に変化しました。
だからこそ、私はこの常識や倫理にあえて違和感を感じてみる、考えてみることが大切な気がしました。
これは"常識や倫理"を軽んじるということとは違います。
むしろ、"常識や倫理"といろんな角度から向き合うことだと私は思います。
なぜ"あえて"なのか?
私(たち)は経験に基づく"常識と倫理"で生きています。
要するにアンコンシャスバイアスの中で生きています。
言ってしまえば、そんなの気にせずに生きていた方が楽なのかもしれません。
だからこそ、"あえて"目を向けてみないと見えない世界があるように思います。
見えている世界って意外と儚くて脆いのかもしれません。