#041_恋愛相談です。何を基準にして考えればいいんだろうとかずっと悩んでしまっています。
当たって砕けろではなく、当てて慌てろという考え方はどうだろうか
どうもおじさんです。ついに恋愛の相談まできたか〜。笑 悩みまくってるねえ〜。恋愛は僕もだいぶ苦手です。。クヨクヨナヨナヨフニャフニャしてるその気持ち、すごいよくわかるかも。。
何を隠そう、僕もそういう男で。ははは。中途半端なことして相手をがっかりさせたり、ここぞっていうときに勇気が振りしぼれなくてチャンスを逃したり(確認もしてないから憶測だけど)、完全にタイミング外したところで突然一歩踏み出そうとして不思議に思われたり、思い返してもちょこちょこあるなあ。恋愛以外の人間関係でも今でも全然あるなあ。
普通にアドバイスするなら、Xさんに中途半端なことしてないで関係をはっきりさせてから、Yさんにすぐ思いを伝えろ!みたいなことなんだけど、僕と似ているという前提で書いていくと、そんなことは多分自分でもわかってるんじゃないかな。
でも一方でYさんに対する思いも4周5周くらい考えすぎちゃって自分でもよくわからなってきちゃって、何が大事かもよくわかんなくて、決断できなくなっちゃったとかそんな感じでは?考え過ぎて正直さえもわからないというか。僕ならありえるな。勘違いだったら的外れでごめんね。
僕の経験上、こういう悩みは100対0のはっきりした良い答えなんて出ないかな。ベストなんか多分なくて。僕みたいな優柔不断野郎は、52対48くらいで決めるしかないのかなあと今は思うかなあ。
あとはその先で、自分なりの誠意を持って一生懸命、精一杯、裸で慌てふためくことができたら、それは割とベターかもしれない。Yさんに愛想つかされたり、Xさんにビンタされたりするかもしれないけど、やっぱり当時の自分を振り返ると、それしか選択肢なかったかも。
でも実際の僕はそれすらもできなかったことが多いように思う。どこかカッコつけてしまったり、自分を守ったり、逃げてしまったり、そういう結果が多かったかなあ。当時、もっと瞬発力もって踏み出すことができたら、色々人生も違ったかなあとか、今でもふと思うよ。
そういう瞬発力の先にやっぱり奇跡とかはあるような気がするんだよなあ(ないこともある)。恋愛に限ったことでもないかもねえ。
どうなるかわからないとか、失敗の確率が高いときには、当たって砕けろというよりも「当てて慌てろ」みたいな感じでどうだろうか。どうせ慌てないわけないんだから。必ず慌てるんだと思ってたら少し違うかもしれない。むしろ慌てに行くくらいのつもりで。うまくいくかどうかはある程度成り行きで。
恋愛にしても音楽にしても、結果よりも挑戦できたかどうかというのが、僕にとっては後々振り返ると大事に感じているかもしれない。
うまくいかなかったこともたくさんあるけど、挑戦した上で失敗したことよりも、挑戦しなかったことの方が、後になってみると悔しさがあるのよね、やっぱり。逆に挑戦した上での失敗はその時は多少辛いんだけど、過ぎてみるとなんとも思わないもんだな、というのは今の僕の実感かな。
ふと思い出したのは原田宗典さんの「十七歳だった!」というエッセイを読んでみるといいかもしれない。僕の大好きな本。
僕も年取ってきて、慌てる経験がだいぶ減ってきてるけど、たまには当てて慌ててみるかなあ。