#044_仕事以外で音楽を聴く時にどのようなことを考えたり、思ったりしながら聴いていますか?
調和とかバランスみたいなことに気持ちよさを感じているかも。
どうも、おじさんです。音楽聴いてくださってありがとう〜。丁寧に聴かなくていいよ。笑 適当に聴いて欲しいです。
聴きながらどんなこと考えているかなあ。確かに音楽を作っていると聴き方が変わってくるのはあるよねえ。それはそれで楽しいもので。
最近の自分でいうと、お返事としてはちょっと面白くなさそうだけど、調和とかバランスの妙、みたいなものをついつい聴いてしまうかなあ。昔は細かく聴こうとしてたけど、なんかかえって全体の味がわからなくなるというか、難しく考えすぎてしまったり単純に聴くのが少し面白くなくなっちゃって。だいぶぼんやり聴くようになったかなあ。
調和みたいなものは本当に大事だし、好きだなあと思っていて。いくらかっこいいフレーズだなと思ってもよく聴いてみるとそのフレーズだけが良いというわけではなかったりして。他とのバランスで台無しになってしまうし、なんてことないフレーズが全体のバランスの妙で絶妙な味になったり。コード進行もそう、リズムも音色も最終的には調和とかバランスにグッときてしまうかなあ。周りとフィットしてる具合にグッとくるとか。
中でも違和感や驚きもうまく共存している自然な調和、みたいなところが個人的にはたまらないかなあ。敢えて裏切るように表現しているものはあんまり好きじゃなくて。好きなのは「なんか変だけどしっくりきていて、こうするしかなかったのかもなあ」みたいなナチュラルみたいな感じ。
ふと思ったけど、子どもの絵とか演奏がいいなあと思うのもそういうことかもなあ。感情と技術の調和、みたいなことかも。感情と技術が妙にシンクロしている状態というか。ピュアなものと調和がとれたものというのは、違うようで共通する部分があると思ってきた。ピュアじゃない部分が増えた大人には、そういうところを驚きに感じてしまうのかもしれない。いや、わかんないよ。ちょっとこれは暫定的な考えね。
少し具体的に説明すると、ぼんやり聴きながらもなんとなく気持ちいいなあと感じるあたりのことかなあ(全然抽象的。笑)。はっきり気づくような目立つ表現とか、聴いてる人を自分の世界に強引に導こうとするような作為的な表現は苦手で。うっかり聴き逃してしまうくらいのところにとても好きなところがある気がする。
あと、その「気持ちいいなあ」も特に深掘りせずに、そのままにしておくようになってきた。無理やりその時に言語化したりだとかはっきりさせようとすると、ついつい表面的に解釈してしまうというか。うっかり途中でわかった気になってしまうのはすごく勿体無いなと思う。
どうやっても言葉では言えない部分が大事なような気がして、あんまりはっきりさせないようになってきたかな。これも難しいところで、はっきりさせたいという気持ちは大事なんだけど、どうしてもはっきりしなそうなところは無理しないで置いておくというか。
書いていて思ったけれど、いろんな種類の「なんかこれ気持ちいいなあ」みたいなのを体にたくさん溜めて、その点と点を繋げていきたいと思っているのかもしれない。音楽もそうだし、水の音とか、雲の動きとか。森の中の良い空気、ぬるめの温泉だとか、子どもの言い間違いとか、隣のお家の晩ごはんのカレーの匂い、とか。そういうたくさんの自分が好きな点。音楽以外はぼんやりと体験できているけど、音楽もきっとぼんやり体験した方がいい感じに体に残る気がして。
だからその点をしっかりはっきり打ちすぎるとなんか柔軟でなくなる気がするんだよね。あとで位置を近づけたり遠ざけたりできるくらいがいいんだよなあ。時間が経った時に突然点と点がつながって体でわかる、くらいの感じが一番いいと思っていて。
ギターを弾いていて「これはあの時の隣の家のカレーの匂いだ!」まではさすがに辿り着けないにしろ(達人になれば辿り着けるのかなあ)、無意識になにか繋がって感じたり、表現していたりはあると思うんだよねえ。
なんか面白いな〜これはなんか自分の中で深い問いになってきた。
でもだんだん話が逸れていきそうなので、この辺にしておこうか。あんまり期待した答えとは違いそうだけど、こんな感じかなあ。分析とか理解することでは、実際の半分も味わえてないのかもなあ(下手したら1割もないかも)と最近つくづく思うよ。
ごちゃごちゃ書いちゃったけど、楽しく聴けているならそれが一番。あんまり難しく考えないように。ただ、飽きた時には無理せず柔軟に、楽しい方向へどんどん流れていけるといいね。