「フレンパ」~友だち以上父親未満~ 第八話
「仲城さん、かなり親身になって支援してくれたんだね」
そう言う吾朗は、内心穏やかな状況ではなかった。なぜなら、現在、帝国通運本社の副社長である仲城が、以前から十和子と親密な関係にあったことを初めて知ったからである。しかし、ここでは敢えて冷静にそう言った。
「十年前、いま勤務しているコンサル会社のアメリカ本社に直訴して、東京支社への転勤を申請したら、すんなり承認されたの。それ以降すっと、副社長の仲城さんや、帝国通運側のカウンターパートを通じて、綾島くんの動きもウォッチしていたのよ」
そう言いながら十和子が、すでに冷めつつある点心に箸を伸ばした。
「それじゃ、亜矢子さんが、ウチの会社に入ったのも・・・」
「そう。仲城さんが副社長を勇退する前に、滑り込みでコネ入社させてもらったってこと」
確かに十和子の言う通り、副社長の仲城は来年の株主総会後、現職を勇退すると噂されている。ただ、この時、吾朗は聞くべきかどうか迷っていたことがあった。それは、十和子と仲城副社長との関係である。ひとりの女性に対して、身内でもないのに、そこまで面倒を見ることに対して、吾朗はかなりの違和感を抱いていた。
「もしかして~、私と副社長の関係を、怪しんでる?」
点心を美味しそうに食べながら十和子は、訝るように吾朗を見つめた。
「えっ、そんなことは・・・」
「ちゃんと顔に出てるわよ、私が副社長と不倫関係にあったんじゃないかって」
「だから、そんなことは・・・」
そんな吾朗の言葉を遮るように十和子は、「まったく違うわよ」と、きっぱりとした口調で言った。
「私の父と仲城副社長とは、卒業した大学が同じなの。その同窓会が都内で毎年あってね、そこで知り合って以降、昔から親しかったのよ。だから、私がやっと妊娠したのに、敢えて離婚を決断する理由を、私の父に納得するまで説明してくれたのは仲城さんだったの。もちろん、私の親には綾島くんのことを伏せた上でね」
そして十和子は、カナダから帰国後、帝国通運と社外コンサルとしての契約を結ぶことができたのも仲城の仲介であったことや、守秘義務を交わすことでカウンターパートからオフィシャルに入手した人事異動などの内部データから、吾朗の動向について知ることが可能になったことを話した。
「それとね、かなり前のことなんだけど、亜矢子が東京の大学に帰国子女枠で合格したお祝いに、仲城さんを交えて三人で食事をしたの」
そう言った十和子は、その時の会話がきっかけで、亜矢子は自分の父親が、吾朗ではないかと思い始めた可能性が高いと話した。
「テラス席で食事をしていた時にね、亜矢子が席を立って、お手洗いに行ったの。その間に、仲城さんが綾島くんのことを話題にして・・・、『綾島君とは、ずっと連絡を取っていないのかね?』って。たぶん、亜矢子は、私たちの後ろにあった間仕切りの裏で話しを聞いていたのかも。それから、しばらくたって、『綾島さんって誰なの?』って聞いてきたから」
「なるほど、そうだったのか・・・。それで、十和子さんは何て?」
「ハンサムで、広東語の歌が上手で、素敵な人よ・・・、ってね」
「それじゃ、亜矢子さん、納得しないでしょ」
照れつつも怪訝そうな吾朗の顔を見ながら、十和子は続けて言った。
「だからかなぁ・・・。亜矢子が大学三年生の時、就職は帝国通運にしたいから、仲城おじさんに頼んでくれないかって、相談してきたの」
「それって・・・、自分の母親が語った儚い青春の相手を探そうとしたのか?いや、もしかすると、本当の父親かもしれない男が誰なのかを探ろうとしたのかもしれない」
そんな吾朗の言葉に頷きながら十和子は、亜矢子が帝国通運に入社した後、副社長である仲城の七光があったこと、そして英語が堪能であったことから、いきなり本社の海外企画部に配属されたことを話した。
「以前、綾島くんの支店に、亜矢子が精密機械メーカーの新規輸出案件を紹介したの、覚えてる?」
「ああ、それでウチの支店業績が、目立ってアップしたからね」
「それ、実は亜矢子に頼まれたから、私が仕組んだことだったの。何か綾島くんにアプローチできるアイデアはないかってね」
「あのクライアントの新規輸出案件って、その裏には十和子さんが絡んでいたってことか・・・」
「そう。長い間、黙っていてゴメンね。あの頃の亜矢子って、何かに取りつかれたように、綾島くんのことを調べていたから。母親としては、そんな彼女を、なんとか助けてあけたかった・・・。また、それが結果的に綾島くんの支店業績に貢献することができるなら・・・ってね」
そして十和子は、しばらく黙ったままであったが、おもむろに冷めてしまった点心に箸を伸ばすと、そのいくつかを、吾朗の取り皿の上に置いた。そんな十和子の所作を見ながら吾朗は、三年前に支店の慰労会で発生したカラオケボックスでの騒動を思い出していた。
「なるほど。そういうことだったのか・・・、でも三年前、カラオケボックスで亜矢子さんが急に部屋を出た件は?」
「知りたい?」
十和子が、じらすように笑みを浮かべながら言った。
「もちろん」
そして、今度もまた吾朗は、身を乗り出すように、十和子を見つめた。
「たぶん、綾島くんに話すと、ガッカリするかも」
「えっ?」
そんな不可解な表情をした吾朗を見てか、微笑んでいた十和子はすぐに真顔になると、少し間を置いて、ゆっくりと話し始めた。
「あの時、カラオケボックスで・・・、亜矢子からポータブルカセットのこと、聞かれたでしょ?」
三年前に、帝国通運の都内支店で営業次長をしていた吾朗が主催した慰労会の二次会場であるカラオケボックス。十和子の話しを聞きながら、吾朗は当時の情景を思い出していた。
「あ、あぁ。なんとなく、覚えてるよ。確か・・・、広東語のカラオケ曲のことを聞かれて、その時にポータブルカセットの話をした気がする」
「そのポータブルカセット、今でも持ってるかどうかって、亜矢子が聞いた時、綾島くん何て言ったか覚えてる?」
「えっ?」
吾朗は、驚いたように反応した後、もう一度、改めて当時の記憶を注意深く思い返していた。
三年前、慰労会の二次会で訪れたカラオケボックスで、自分にマイクが回ってきた後、何を歌おうか迷っている時に、隣に座る亜矢子が、「綾島次長って、以前に香港でお仕事されていたんですよね」と話しかけてきたのだった。そこで、吾朗は、当時を思い出して、広東語のラブソングを歌うことに決めたのである。やがて、流れるイントロや間奏を聴いているあいだ、隣に座る亜矢子が、「どうやって歌を覚えたのか」と聞いてきたことを思い出した。その質問に吾朗は、ポータブルカセットを使って、この歌を練習したことを話した。そして、「今その機械は、まだ持っているのか」と聞かれた際に吾朗は、他人に話すことではないと思ったため、軽い口調で「忘れちゃった。何かと一緒に捨てたかも・・・」と、酔った勢いもあり、笑いながら答えたのだった。
「確か、『忘れちゃった、捨てたかも』って言ってしまった・・・」
そう言いながら吾朗は、茫然と宙を見つめた。
「その言葉が彼女の胸に深く刺さって、急に涙が溢れたみたい。まるで香港でのことを、すべて忘れ去ったかのように、聞こえたのかもね」
「そうだったのか・・・。本当に、申し訳なかった。あの時もし、正直に『あれは大切な人にプレゼントした』って話していれば・・・」
吾朗は、悔しさの滲む目で十和子にそう言うと、テーブルの上に乗せていた拳を、さらに強く握りしめた。
「綾島くんのせいじゃないわ。すべて私が原因だったの。私が悪かったのよ、亜矢子のことは・・・」
「いや、オレのほうだよ。これまで三十年近く、十和子さんと亜矢子さんをほったらかしにしてた男なんだから・・・」
そして、ふたりの間には、重い沈黙の時間が流れ始めた。
しばらく経って、その重い空気を破ったのは、十和子だった。
「これで、分かったかしら?あの時、亜矢子がカラオケボックスの部屋を出た理由」
十和子が、努めて明るく発したその言葉を聞いた時、吾朗は、まるで十和子に誘導されるように、二十八年間ものあいだ、無意識に心の中で巣食っていた言いようのない虚無感が姿を現し、その後、ゆっくり消えてゆくのを感じた。そして次の瞬間、吾朗は、十和子の瞳が、いつの間にか潤んでいることに気づいた。
「もし、いまオレが順調に会社の出世ラインに乗って、イケイケ状態だったら、久しぶりに十和子さんに会っても、こんなに愛おしい気持ちで十和子さんや亜矢子さんのことを考えなかったと思う」
「そんな綾島くんって、やっぱり昔と変わっていないわね。最後は、こうして正直に自分の気持ちを伝えられる。そんな男って、潔くて好きよ」
「ふっ、そんな大した男じゃないよ。内心は今も出世欲にまみれた、しがないサラリーマンだと思ってる」
そんな吾朗の言葉を聞いて十和子は、かつて吾朗の子会社出向を知った後、帝国通運の副社長である仲城に相談し、本社に復帰させることはできないかと依頼していたことを打ち明けた。その結果、部長への昇格は実現できなかったものの、仲城副社長は、自身の息子である仲城専任部長に指示し、吾朗を本社営業企画部で引取らせ、しかも十和子が絡んでいるシニア人材活用案件に参画させたのだった。
「そんなことまで、十和子さんが裏側で・・・、有難う」
「もうこの辺でいいかな。長話しになっちゃって、アツアツの点心がすっかり冷めちゃったわ」
幾分、明るさを取り戻した十和子は、そう言うと、次々に点心を頬張り始めたのだった。
「もう少し、追加で頼もうよ。冷めたのは、オレが食べるから」
「やっぱり、やさしいのね、綾島くんって」
「『やっぱり』は余計だよ。でも・・・、ちょっと待って」
吾朗は何かを思いついたように、そう言うと、ブリーフケースから、使い古した黒の長財布を取り出し、中に入っている紙幣の枚数をチラッと数えた。
「ふうっ。大丈夫そう」
支払いの心配をしていた吾朗の手元を、十和子は目を丸くしながら見つめた。
「まだ使ってたの。その財布」
それは二十八年前、ふたりがヒルトンホテルで別れる朝に、十和子が吾朗にプレゼントした高級ブランドの財布だった。
「ああ、結構作りが丈夫だから、まだ現役で使ってるよ」
そう言った吾朗を見つめながら、十和子は笑顔を取り戻していた。
第八話 おわり
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