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笑顔のエンマ銀行(短編小説)

   一
 この日も閻魔大王の前には長い列ができておりました。殺人、強姦、盗み、嘘、隠蔽、改竄――、自己利益の増大を図らんとするためにエゴを強めた罪人たちは、死後、閻魔大王の裁きを受けなければなりません。
「判決、地獄の刑、百万年。――次」
 閻魔大王から実刑判決を受けた罪人は、鬼の獄卒にガチリと腕を掴まれ、三叉路の『地獄』と記された方の通路へ引きずられるようにして連れて行かれます。そんな地獄の通路の奥からは、罪人たちの悲痛の叫び声が四六時中響いてくるのでした。
「――最近どうですねん、閻魔ヤン」
 友人の不動明王がフラリと遊びにきました。
「あ、お久しぶり、不動明王ハン」
 閻魔大王は仕事の手を止め、不動明王と笑い合ってハイタッチしました。
「や、特に何もないねんけど、閻魔ヤン、元気でやってるかなあ思ォうて、ちょっと来ただけや」
「そりゃ、嬉しいわ。ゆっくりしっててな」
「突然の訪問、えろうスンマヘン」
 下僕がテーブルにお茶と茶菓子を持ってきました。不動明王はその茶をズズッとすすりながら、罪人たちの長い列をじっと見つめました。
「地獄に行くヤツ、やけに多いんとちゃう?」
「せやねん、最近多すぎるねん。いっくら地獄で苦しめたっても、生まれ変わったら悪いことしよる。最近では天国出身の奴でさえ、悪ゥなる奴が多なって、“リーチ一発地獄行き”ってのも増えてきた。時代なんやろな」
「せやなあ、時代やなあ。欲望全盛の時代や。皆んな、金、金、金で人生振り回されとるからなあ。閻魔ヤン、こりゃあ、そろそろ、この“懲罰輪廻システム“の在り方にちょっと手ェつけんとあかんのとちゃう?」
「懲罰輪廻システムの在り方にか・・・・」
「悪ゥ思わんといてな、おれの考え方やで。おれが思うに、やっぱ古いと思うねん。ずーっと何万年も同ンなじことやってるやろ。今、人類はテクノロジーの時代、ピッピッピで地球の裏側のヤツと交信したり、遺伝子イジくりまわしてサイボーグ作りよる時代や。そんな時代に合わせた“懲罰システム”を構築せんと、人間は閻魔ヤンの“死後の裁き”をいよいよ軽視しよると思うわ」
「せやろか・・・・」
「目先の利害損得重視がはびこる世の中や、死んでから痛みや恐怖を与えたところで、人は倫理的になんかならへん。生きてるうちに教えてやらな」
「生きてるうちにか・・・・。せやなあ、確かにそれは必要やなあ・・・・。じゃあ、どないしよ、なんかいいアイディアある?」
「今の人類の考えていることの九十パーセントは“金”や。金を利用した何らかのシステムを作ったったらええと思うわ。科学テクノロジーを仰山使ってな」
「せやなあ、貨幣制度が始まって以来罪人が増え出し、資本主義になってから爆増や。毒は毒を持って制す、金が問題なら金を使って教育するってのはええかもしれんなあ」
「銀行なんてどや? 通貨発行権は銀行が持ってるんやろ。銀行利用してジワーと苦しめたったら貪欲な奴らがシャンとなるんとちゃう?」
「そりゃ、おもろい。やってみるわ。ドカンとイノベーション起こしたる。不動明王ハン、グッドなアドバイス、ありがとな」
「いやいや、こちらこそ、上から目線、堪忍してな――」
 二人の神様の間でそんな会話がありました。
 
   二
「ああ、参った。ぜんぜん金が足りん・・・」
 江子田は頭を抱えた。借金は十億以上に膨れ上がり、運転資金の目処が立たない。
――会社を畳んで自己破産か・・・・。いやいや・・・・。
 江子田のプライドが許さなかった。二十代で起業し、東南アジアの不動産売買、東南アジア株のファンド、東南アジアビジネスツアーなど、東南アジアに関する様々なビジネスを開拓し、会社は十億を超える運営資金を持つまでに成長した。が、四十にして資金繰りに躓いた。
――こんな苦境のときこそ、余裕のあるフリをしなければいけないんだ。
 ビジネス界では金のありそうな奴のところに金が集まり、金のなさそうな奴は徹底的に金を奪い取られるというジンクスがある。金がないときこそ“あるフリ”をしなければならないのだ。江古田は五十万円するオーダーメードのスーツを新調し、社長室の椅子も百万円のビンテージものに買い替えた。
「すぐに金を貸してくれる金融機関を探している――」江古田は社長室に幹部たちを集め、資金調達についての緊急会議を開いた。「個人投資家でもいい。会社を成長させるために火急どうしても必要なことなんだ」
「社長、一年間、無利子で百億まで貸してくれる金融機関がありますよ」
 種田がヘラヘラと笑いながら言った。
「え?! 無利子で百億・・・・」
 種田という男は元ホストの若いスタッフだった。態度も横柄、仕事も不真面目、女ったらし、まったく信用できない男だったが、機転が利くところがあり、どこでどう築いたのか広い人脈を持ち、情報通なところがあったので、首を切らず江子田のそばに置いていた。
「本当か、それは?」
「本当っスよ。何ならそこへお連れしますよ」
「場所さえ知らせてくれれば俺が一人で行く」
「一人ではいけないところなんスよねえ」
「何だそれは・・・・」
 夜中に東京湾の埠頭から立派な専用船に乗せられ数時間、まだ薄暗い早朝、とある島に到着した。朝靄の中、窓から島を見つめるとメルヘンチックな白いお城が建っていて、埠頭には『エンマ銀行へようこそ』と大きな看板が立っていた。
「さあ、下りましょう」
 数十人の乗客の列に混ざって下船した。船着き場にはキラびやかな衣装をまとった美男美女十数人の楽団が”聖者が街にやってくる”を奏でて盛大に出迎えてきた。
「何だ、ここは・・・・」
 江子田は眠気が一気に覚め、目を見開いた。
「彼女らはここの銀行員スよ」
 種田は、見慣れた光景のようでニヤニヤしている。楽団のリズムに合わせ、若いダンサーが歌って踊りながら先導してくれ、お城の中へ招き入れてくれた。
「スゴイ所だなあ」
 江子田はお城の大きな扉が開かれると、目を見開いて内部を見回した。
「銀行とは思えないでしょ」
 種田も改めて内部の装飾を眺めた。十九世紀のヨーロッパの宮殿のようである。大勢の若い銀行員が花柄のドレスとタキシードを着て、満面の笑顔で歌って踊っている。
「♪お借り入れでしょうか~、ご返済でしょうか~、それとも新規登録でしょうか~」
 ミュージカル風に訊ねてきた。
「新規登録です」
「♪窓口までご案内いたしま~す」
 ユーモアと美を感じさせる洗練された演出で流れるように接客される。
「じゃあ、おれは適当に遊んで待ってますね」
 種田は『娯楽コーナー』の方へ歩いて行った。
「♪こちらでございま~す」
 江子田は、踊りながら案内する男性スタッフの後をついて行った。
「ウエルカムドリンクでございます」
 新規登録の窓口に座ると、搾りたてのオレンジジュースがサッと運ばれてきた。江子田はオレンジジュースを飲みながら壁に張られている大きなポスターを見つめた。『安心の無利息返済 エンマ銀行』『時間払いもOK』『元気に長く働く人を応援するエンマ銀行』とある。
「――新規登録のお客様」
 ドレス姿の美女が正面に座った。
「まずスマホからエンマ銀行のアプリのダウンロードをお願いいたします」
 美女は満面の笑みをたたえながら説明を始めた。彼女の首にかけた身分証には顔写真と番号だけが記されていて名前はなかった。江子田は言われたとおりアプリをダウンロードし、アカウントを取るための必要事項を入力した。
「はい、終わりました」
「ありがとうございます。新規登録はすべて終了いたしました。それでは簡単に、弊社のシステムについてご説明いたします。弊社では十万円から百億円まで、“誰でも、いつでも、担保がなくとも”をモットーに、理由を問わずに借り入れが可能となっております」
「百億ってそんなお金、個人で借りる人がいるの?」
「もちろんございます」
 美女は自信に満ちた笑みを見せた。
「しかも、借り入れて一年目は利息がゼロでございます」
「スゴイなあ・・・・」
「二年目に入りますと利息が百パーセント、二倍にして返す必要が生じます」
「急にアップするんだなあ・・・・」
「三年目も同様に利息は百パーセント、例えばお客様が百万円を借りたとしますと、二年目で二百万になり、三年目でその倍の四百万になるという計算になります。それで四年目になりますと“破産”となります」
「破産するとどうなるの?」
「罰則で“労働の義務”が生じます。詳しいことは後々お話いたしますので、まずは全体の説明から先にいたします」
「労働の義務ねえ・・・・」
「返済方法には二種類がございまして、“現金”でお返しになる方法と“時間”でお返しになる方法がございます」
「時間で?」
「一秒が一円で換算されます」
「ん? どいうこと?」
「アプリを御覧ください。この“時間払い”をタップしてください。二倍、十倍、百倍、千倍と出てきますね。かりに二倍をお選び頂くと、お借りした額が十万円でしたら、十万秒割ることの二で五万秒ですね。時間感覚が普段の時間の二倍の遅さになり、五万秒経つと借金残額はゼロとなります」
「時間感覚って、どういうこと?」
「体感的に時間がゆっくり感じるということです」
「それがわからないんだけど・・・・。そんなんで返済したことになるの?」
「はい、それがエンマ銀行独自の“時間払いサービス”でございます。金融界の“神”と呼ばれている所以でございます」
「ちょっと電卓貸してーー」江子田は五万秒を時間に換算した。「五万秒って、たったの十四時間ほどだよ。それだけの間、その“ゆっくり”というのを我慢すればいいだけなの」
「左様でございます」
「じゃあ、十倍にすれば一万秒、十万円が三時間程で返済終了ってこと?」
「左様でございます」
「フハハ、それは楽だ。まさに神だ。じゃあ、百倍にすれば千秒、十万円が約十七分で返済終了だ。スゴイ銀行だなあ」
 江子田は笑いが止まらなかった。
「さらに、もう一つ特典がございます。弊社エンマ銀行をご友人に紹介して頂くと、紹介料として十万円がプレゼントされます」
「十万円か・・・・。それは豪勢だね。あ、だからか、だから種田のヤツ、俺をここに連れてきたのか・・・・」
「お客様は強運の持ち主でございます。エンマ銀行を世に広めてくださる方が身近におられたなんて」
「ま、そうだね・・・・」
「他に、何かご質問はございますか? 何なりと」
「じゃあ、追加で借りることはできるの?」
「はい、返済期限の三年以内にでしたら、百億円まで追加で借りることができます。追加の利子に関しましても、同じように一年目は無利子、二年目三年目が二倍となっております」
「なるほど、追加も可能か・・・・」
「エンマ銀行内の施設のサービスについても簡単にご説明させて頂きます。島への船代は無料、飲食すべて無料、マッサージ、お顔のスキンケア、散髪も無料、カラオケ、ゲームセンターも無料となっております。今晩の船の出発時刻まで存分にお楽しみください」
「すばらしい・・・・」
 江子田はふんぞり返るように椅子にもたれかかり、オレンジジュースを飲み干した。
「おかわりはいかがですか?」
「いや、けっこう」
「それでは、今回、おいくら借りられますか?」
「とりあえず・・・・」
 江子田は沈思黙考した。――会社の借金は十億、運転資金とテコ入れを含めて、全部で十二億あればいいか・・・・。
「すみません、かりに十二億借りるとすると、十二億秒って時間にしてどれぐらいでしょうか」
「はい、計算いたします」
 美人銀行員はテキパキと電卓で計算した。
「十二億秒は約三百三十時間です。日付けにしますと、約一万四千日でございます」
「これを時間払いの“二倍”で返済すると七千日ですよね。七千日って年月でいうと?」
「約十九年でございます。それでは三年の期限までに返済は不可能でございます」
「そうか、返済は三年以内なんだ・・・・。でも“百倍”払いもありますね」
「それでも二千八百日、約八年かかりますから返済は不可能です」
「じゃあ、“千倍”だと?」
「三百三十三日で支払い終了でございます」
「よし、可能だ。じゃあ、十二億借りますよ」
「かしこまりました。それでは、現金で受け取られますか、銀行振込にされますか」
「銀行振込で」
「かしこまりました。こちらにご指定の銀行と口座番号をご記入ください」
 銀行員は素早くデーターをパソコンに入力した。
「お振込完了いたしました。スマホを御覧ください」
 エンマ銀行のアプリを見ると【借金残額十二億 無利子期間残り三百六十五日】となっていた。念のため会社の銀行口座も確認すると、確かに十二億が一括で振り込まれていた。
「よしっ、これで会社が立ち直るぞ」
「またのお越しをお待ちしております」
 美人銀行員は深々と頭を下げた。江子田は席から立ち上がり、ちょっとだけ世間話でも、と彼女に話しかけた。
「お姉さん、笑顔が素敵ですね」
 今まで立て板に水を流すように話していた彼女だが、急に笑顔のままフリーズした。
「ええ・・・・」
「そう固くならんでください。ナンパするつもりはないんだから、フハハハ」
 笑いながら冗談めかして言っても、「は、はあ・・・・」と戸惑ったようになり、話に一切乗ってこない。――何か変だぞ・・・・。不可解に思った江子田は執拗に話しかけた。
「ここの銀行員たちは皆んな歌って踊って楽しそうですね」
「え、ええ・・・・」
「どうしたんですか? 具合でも悪くなりました?」
「いいえ、あのう・・・・、私語が禁じられているものですから・・・・」
 彼女は消え入るような声で言った。
「私語? ハハハ。ちょっとだけですよ。それに誰も聞いちゃいませんよ」
「は、はあ・・・・」
 笑いながら困惑している彼女の複雑な反応に江子田は興味を持ち、さらに話しかけた。
「失礼ですがおいくつですか?」
「次のお客様がおりますから・・・・」
「誰もいないよ」江子田は後ろを振り返って言った。「歳だけ聞いたら引き下がるから。ね、歳だけ、お姉さん、いくつ?」
「今年還暦でございます・・・・」
 彼女は恥じらうように顔を伏せて小さな声で言った。
「えっ、還暦? ご冗談でしょ」
 江子田は彼女の肌艶を目を凝らしてじっと見つめたが、そのみずみずしさは決して六十歳のものではない。冗談なのか、何だろう・・・・。不可解さが残ったが、江古田はそこで引き下がった。
「――種田、新規登録終わったよ」
 種田はゲームセンターで遊んでいた。
「お疲れさまっス」
「飯でも食おうぜ。全部タダらしいぞ」
「世界各国の料理がありますよ。ムチャ旨いッスよ」
 二人はレストランへ行き、高級和牛ステーキとロブスターの塩焼きをワインを飲みながら食べ話し合った。
「種田、お前、俺をここに連れてきて紹介料十万円もらっただろ」
「バレましたか、ハハハ」
「いい小遣い稼ぎしたな」
「でも夜中出て一日仕事っスよ。そんなにおいしい仕事でもないでしょ」
「ま、言われてみればそうだな。で、お前、ココでいくら借りてるんだ?」
「百万だけっスよ」
「いつ借りたんだ」
「半年ぐらい前からかな。残りいくらだろう――」種田はエンマ銀行のアプリを開いた。「残り三十万だ。いい感じで減ってる」
「時間払いで返したのか」
「そっスよ、三人をココに紹介したからそれで三十万でしょ、あとは時間払い。だけどなかなか時間払いも大変ス。おれは上手い使い方を独自で編み出してコツコツ減らしてますがね」
「上手い減らし方って何だ?」
「睡眠時間を増やすんですよ。“二倍”にして寝るんです」
「なるほどな」
「夜遊びして朝方帰ってきても、“二倍”や“十倍”にして寝るんスよ。“十倍”なら、一時間寝ただけでも十時間分の睡眠がとれて、それで借金が減るんだからありがたい話です。で、社長はいくら借りたんスか?」
「十二億」
「えっ、十二億・・・・、思い切った借金しましたね――」種田は呆れたように言った。「返せるんスか?」
「当たり前じゃないか。それを投資して一年以内にそれ以上にすりゃいいだけだろ。ゴッチャンですってなもんだ」
「社長、豪快っスね」
「それに、“千倍”にすれば一年近くで返せる計算も出してもらったし」
「千倍? そうとうキツイと思いますよ」
「キツイのか? 時間が遅くなるって説明、何のことかよくわからんかったけど」
「じゃあ今、“二倍”で試してみればいいじゃないですか」
「やってみるか」
「じゃあ、おれも付き合いますよ」
 二人は“二倍”をクリックした。
「何かー、変わったかー」
 心の中では普段通りで考えられたが、しゃべってみると間延びしたような話し方になっていた。
「コレでー一日、過ごすとーなるとー、キツそうーだなー」
「でしょー。おれはー、普段はー、“二倍”以上はー、絶対、使わないスよー」
 エンマ銀行のアプリを開けると、確かに二秒に一円ずつ残額がジワジワと減っている。
「じゃあ、“十倍”を試してみるか。比較したいからお前はノーマルに戻せよ」
「ウスッ」
 江子田は“十倍”をクリックし、種田は“時間払い”を解除した。
「何か話してくれよ」
 と言おうとしたが、「なーんーかー、はーなーしーてーくーれーよー」と、お経のようになってしまった。聞き取りも種田の声は聞こえるが、速度が遅すぎて単語の区切りが分かりづらく理解ができない。江子田はノーマルに戻した。
「ハハハ、これはなかなか大変だなあ」
「でしょ。なんか怖くなるでしょ」
「確かに。でも、そんなに時間払いが簡単なことだったら、皆んな金を借りまくるよな」
「そっスね。それに、こんな旨いモンが全部タダなんですからね」
 種田はそう言って、グラスの赤ワインを一気に飲み干した。
「でもな、こんなに娯楽施設が充実していて飯がタダだったら、タダで遊ぶためだけに来る奴もいるんじゃないのか」
「来れないスよ。借金か紹介か、何か理由がないことには船に乗せてもらえませんから」
「やっぱりそうなのか」
「それにお泊りもできません。今晩の船でお客は全員帰されます。夜中の出発時刻まで時間がありますから、大いに楽しみましょう。ココは都内のどこの店よりも設備に金がかかっていて、サービスが最高、さらに美人揃いですから」
「まさに金融界の神だな」
 二人は銀行のサービスを存分に満喫した。

   三
 江子田は急ピッチで会社の立て直しを始めた。借金をすべて返済し、運転資金のテコ入れをし、正社員には厳しいノルマを設け、ノルマが達成できないのなら無給残業や休日出勤を強い、それでも成果をあげない奴はリストラし、その代わりに安い賃金の非正規社員を雇った。江子田は昔ヤンキーだったということもあり、社員に脅しをかけて大人しくさせるのはお手のものだった。とにかく一年以内で借りた十二億をそっくりそのまま返さなければならないのだ。
 江子田のそんな独裁的な経営に対し、古株の幹部たちと口論になることが増えた。
「俺のやり方が気にいらないんだったらとっとと辞めろよ。ここは俺の会社だ。俺の好きにして何が悪い」
 古株の幹部二人が辞めていった。言いたいことを言ってくる種田とも当然ぶつかった。
「ホストの分際でクソ生意気なこと言いやがって。そんなにお前が自分都合で仕事したんなら独立して会社を立ち上げてみろよ。何もできねえくせに生意気なこと言いやがって」
 最後には、取っ組み合いの喧嘩になり、ブン殴って辞めさせた。
 短い期間で会社の雰囲気は変わったが、収益は相変わらずでパッとしなかった。
――このままでは返せそうにないぞ・・・・。
 久しぶりにエンマ銀行のアプリを開いてみると、【残額十一億九千九百九十七万円 無利子期限残り二百七十日】となっていた。残額が減っていないことは想定の範囲だが、期限が迫るのが早い。
――よし、こうなったら一か八かだ。
 江子田は離婚歴三回で現在一人暮らし。自宅の高級マンションに大量の食料を買い込み籠城した。借金を“時間払い”する覚悟を決めたのだ。
「今日から気合の“千倍”生活だ!」
 ソファーに座って、時間払いの“千倍”をクリックした。その瞬間、体がピタリと固まって身動きが取れなくなった。肉の鎧に閉じ込められている感覚である。それもそのはず、本来の一秒が千秒(約十六分)に感じるのだから。体勢を変えて、ソファーに横たわるだけでも大変だった。ゴロンと横になるだけの行為が体感的には一時間以上かかる。
「悪い夢を見ているようだ。少し眠ろう・・・・」
 連日の飲み歩きで寝不足だったのですぐに眠りに落ちた。――はっと目が覚めた。ずいぶん長い時間眠っていたようだ。どれだけ眠ったのだろうと半身を起こして時計を見ようとするが体が動かない。二時間以上かけてようやく時計が視野に入った。時計の針は寝る前から一分も動いていなかった。
「時計が壊れてるのか・・・・」
 考えてみれば“千倍”では一分といえど体感時間は十七時間なのである。
「ダメだ、千倍なんてやってられない」
 江子田は耐えきれなくなって、時間払いを解除しようとしたが、スマホまで手を伸ばしてタップするのに恐ろしく時間がかかった。「押せた」と思っても、スマホがすぐに反応せず長い時間待たされる。――早く、早く・・・・。パニック状態である。ノーマルに戻った瞬間、体がストンと緩み、ソファーに崩れ落ちた。
「発狂するところだった・・・・」
 精神の混乱が遅れて肉体に反応し、冷たい汗が吹き出てきた。千倍での返済は百パーセント不可能なことに気づいた。
――とにかく、どんな手段を使ってでも利益を出せばいいんだ。いや、利益なんか出さなくてもいい。魅力的な企画を作って投資家に上手くアピールして資金を集めればいい。じゃあ、どんな企画を・・・・。
 江子田はアルコール度数の高い酒を煽るように飲んで倒れるように眠った。

   四
「あれから一年か・・・・」
 江子田はバーのカウンターでスマホを眺めながら一人で酒を飲んでいた。エンマ銀行のアプリを開き、残額を確認するのが怖かったが、どうしても確認しておかなくてはいけない時期である。思い切ってアプリを開くと、残額は二倍の二十四億円に変わっていた。
「二十四億・・・・」
 会社は成長もなければ後退もない。ここでもう一回資金を投入してテコ入れするというギャンブルもあるが、どうだろう・・・・。
「あれ、江子田さん、久しぶりッス」
 呼びかけられたので振り返ると、派手な身なりの種田が立っていた。両脇にはモデル風のチャラチャラした女を二人連れている。
「種田・・・・」
「どうしたんスか、シケた顔して。やっぱ会社ツブれたんスか、ヒヒヒ」
 種田は露骨に馬鹿にしてきた。
「いや、順調さ・・・・」
 江子田は平静をとりつくろい、声をしぼり出すように言った。
「順調? 順調なのにそんな顔して一人で酒飲んでるの、ヒヒヒ。アンタのその顔見てスカッとしたよ。社員のことを考えない非道な経営するからバチが当たるんだよ」
 江子田は何も言い返せなかった。
「おれがエンマ銀行を紹介した本当の理由を言おうか。実は、あれは、憎たらしいアンタに対する復讐だったんだよ。それにアンタはまんまとハマった」
「復讐・・・・」
「暴力的な態度をとるし、給料は出し渋る。やってることは誇りも何も生まれないサギまがいのビジネス。あの腐ったビジネスモデルでどうやって借金を返せるんだろうね。しかも一年以内にさ。あ、借金、そろそろ二倍の二十四億だ。天文学的な数字だね、ハハハ。あ、そろそろ失礼――」種田が腕時計で時間を確認した。袖から覗かせた時計は、宝石が散りばめられた高級時計だった。「じゃあ、頑張ってね、社長さん、ヒヒヒ」
 種田は女の肩を抱き、そこから離れていこうとした。
「種田――、いや、種田君。ちょっと、待ってくれ。一つだけ教えてくれ」
「何だよ。アンタと関わりたくないんだけど」
「そう言わないで。ちょっとだけ話をしようよ」
 江子田は種田を引き止めた。もう恥も外聞もない。この男の成り上がった理由だけは聞いておきたい。打開策の鍵が何か見つかるかもしれない。
「君は今、何の仕事をしているんだ? ずいぶん金回りがよさそうだが」
「まあ、チョッピリね」種田は半笑いで言った。「ポーカーって知ってる? 今、世界中のカジノでポーカーの大会が開かれていて人気なんだよね。おれさ、日本で負けなくなってきたから、世界中のポーカーの大会に出てるわけ。エントリーするだけでも百万を超えるなんてザラの世界だよ。でも入賞すればドカンと入ってくる。ま、簡単に言えばそんな感じだよ。今は休暇で日本でノンビリしてるんだけど、しばらくしたらまた勝負に行くよ」
「ポーカーか・・・・。フッ」
 江子田は急に態度を変え、鼻を鳴らして笑った。
「何がおかしいんだよ」
「ただのギャンブル成金か」
「ギャンブル成金? お前がやってるビジネスなんて、それこそギャンブルじゃねえか。周りを騙し込んでスタッフを奴隷化して、お前のやってることなんてギャンブル以下だろ」
「なんだ、コラ! もう一回言ってみろ」
 江子田は怒りを爆発させ、種田の胸ぐらを掴んだ。
「触るな、借金二十四億のオッサンめ」
「お前のそんな生活なんざ、続きやしないさ」
「おれは借金ゼロだよ。貯金は億に達したかな。それに引き換えアンタの借金は来年四十六億。破産が見えてきたな。せいぜい頑張ってアコギなビジネスで返済してくれよ、じゃあな」
 種田は笑って去っていった。
「クソッ・・・・」
 江子田は一人になると惨めな気持が強くなった。
――種田の奴にハメられた・・・・。金なんか借りるんじゃなかった・・・・。会社を畳んでしまえばよかった・・・・。じゃあ、ビジネスを辞めていたら何をしていただろう? サラリーマンになる? 四十過ぎてプライドだけ高くなって、酒と女と贅沢を散々やりつくした俺がサラリーマンなんてできるのか? どうせ早かれ遅かれ借金してただろ。やっぱり俺にはビジネスしかないんだ。ビジネスでどうにかしなければ。だけど時間が・・・・。
 深く溜息をつき、グラスの酒を一気に飲み干した。

   五
――もうジタバタしてもしょうがない。自分のペースで生きていこう。大きなチャンスがやってきたら、ソイツを一発で仕留めてやればいいんだ・・・・。
 江子田はそんな一縷の望みを抱き、毎日の生活を淡々と送っていた。会社は良くも悪くもならず平衡状態だった。エンマ銀行のアプリは意識的に避けていたが、借金してからもうすぐ三年になり、残額を確認しなければならない。
【残額四十六億円 返済期限残り十日】
 それを見た江子田は愕然とした。四十六億を十日で調達するのはもう不可能である。
――しかし、破産したところでどうなるというんだ? 俺の財産をすべて差し押さえたところでビビたるもの。あっ、そういえば、エンマ銀行は百億まで借りられるんだっけ。俺はあと五十四億借りられる・・・・。そうだ、 ギャンブルでひと勝負できるじゃないか。種田の野郎もそうやって成り上がったんだ。
 江子田は若い頃、一時期カジノにハマり、毎年数回ラスベガス通いをしていたことがある。バカラ、ブラックジャック、ルーレット――、何でもやった。持ち金を倍にするのはそれほど難しいことではない。「赤か、黒か」それだけである。確率的に五十パーセント。
――借金が四十六億も百億も同じじゃないか。どうせ返せやしないんだから。だったら、一発逆転ホームランにかけてみればいいじゃないか。
 その日の晩、江子田は一人でエンマ銀行へ向かった。夜中の埠頭は三年前に比べて人が多くなっていた。エンマ銀行は世間に静かに広がっているようだ。ほとんどの人は借金をしに行くのだろう。皆、他人の目を避けて目を伏せている。もちろん江子田自身も誰とも目を合わせたくない。
 船が埠頭から出発すると、船室の明かりが消され寝静まった。波の音とエンジンの音だけが響いてくる。江子田はいつしか眠りに落ちた。
「エンマ銀行に到着いたします」
 アナウンスとともに船室に明かりが灯り、江子田は目を覚ました。頭がボンヤリしている。船から降りると前回同様、陽気な楽団が歌って踊って歓迎してきた。江子田は複雑な気分だった。返せるかわからない莫大な借金をする男を歓迎してどうするんだ。
 銀行に入ると、若い男性スタッフがタキシード姿で歌いながら訊ねてきた。
「♪お借り入れでしょうか~、ご返済でしょうか~、それとも新規登録でしょうか~」
 江子田は愉快な気分にはコレッポッチもなれなかったので、小さな声で「借り入れです」と言うと、「は~い」とクルクル踊りながら窓口に案内してくれた。
「おいくらのお借り入れをご希望でしょうか」
 今回の窓口も若い女性だった。
「五十六億円、お借りします」
 江子田はうつ向きながら低い声でボソっと言った。
「承知しました」
 女性銀行員はパソコンのキーボードをカチャカチャと素早く打ち、
「五十六億円の振り込みを完了いたしました」
 大金を得るのに一分もかからなかった。
――貸してくれたか・・・・。
 江子田は申しわけない気持ちで彼女の目をそっと見つめた。女優のような美女だった。目が合うとにっこりと微笑んできたので江子田の荒んだ心はほんのちょっぴりホグれ、訊ねておきたかったことをふっと思い出した。
「すみません・・・・。あのう、破産したとしたらどうなるのでしょうか。以前、罰則があると少し聞いたのですが」
「借金は労働して必ず返して頂く決まりとなっております」
「それはわかりますが、借金が百億となりますと、働いて返せる額とは思えませんが」
「私どもがお仕事をご紹介いたしますのでご安心下さい」
「仕事を紹介してくれるんですか? 百億を稼げる仕事を?」
「はい、エンマ銀行がすべての生活を保証いたします」
 江子田は気持ちが楽になった。
――でも、百億稼げる仕事って何だろう・・。
 椅子から立ち上がり、以前と同じように女性にプライベートなことを訊いてみた。
「お姉さんは大変おきれいですが、おいくつなんですか?」
 女性は笑顔のまま表情が固まりたどたどしい口調になった。
「私語は禁じられておりますので」
 前回の女性と同じだった。
「歳を聞いたらすぐに帰りますから」
 江子田が粘ると、女性はモゴモゴと小さな声で言った。
「今年、米寿でございます」
「米寿?」江子田の頭の中に八十八の文字が浮かんだ。「えっ、米寿ですか?」
「お声が大きいです」
 前回の女性は還暦と言ったが、今回は米寿、この銀行特有のジョークなのだろうか。
「お若くいられる秘訣はなんですか?」
 相手の冗談に被せるつもりで言った。
「秘訣・・・・。秘訣もなにも、若くいるしかないんです・・・・」
 女性は涙を流して笑った。
――そんな泣くほどおもしろいことか・・・。
 江子田は首を傾げながら席から立った。

   六
 江子田はエンマ銀行から帰ってすぐマカオへ飛んだ。一番大きなカジノに入り、五十億をチップに交換すると、扱いが恭しくなりVIPルームに通された。
 ルーレットの席に座り、ミニマムベットで賭けて肩慣らしをした。勝ったり負けたりを繰り返しながら赤と黒の流れを観察した。一時間経っても二時間経っても五十億の勝負をする勇気が出ない。緊張をほぐすためにVIPルームを一旦出てトイレへ行った。出せるものを出し切ってスッキリしたい。
 トイレから出ようとしたとき、すれ違った男に声をかけられた。
「社長――」振り向くと種田だった。「こんなところで奇遇ですね、ヒヒヒ」
 どうしてこんな大事な勝負のとき、こんな奴に会ってしまうんだ。嫌な気持ちしかしなかった。江子田は言葉を何も発さず目を逸らし、そこから離れようとした。
「どうしたんスか?」
 種田は江子田の血走った目を見て、何事かに気づいたようだった。
「もしかして、命、賭けるんスか」
 江子田は種田を無視して歩くが、後ろから付いてきた。
「おれも見させてもらっていいスか」
「コトワル!」
 江子田は恫喝するように言い、一人VIPルームに入ってドアを強く閉めた。
――精神が乱れてしまった・・・・。
 江子田は再びミニマムベットで賭けながら肩慣らしをし、精神を集中させた。
ーー下りてこい。下りてこい。下りてこい。
 集中力が高ぶりすぎて頭がクラクラしてきた。そのときスーッと神の声が下りてきた気がした。
「黒だ!」
 全額の五十億のチップを置いた。ディラーの表情が硬直し、場の空気が凍りついた。
――コトッ
 玉は赤に落ちた。
「終わった・・・・」
 江子田はディラーの顔を見ることなく立ち上がりVIPルームから出ると、ドアの前で種田が立っていた。種田は江子田の顔を見ると、「フハハハ」と大笑いし、「ご愁傷様です」と言って去っていった。五十億の大打撃を受けると人間何も感じなくなるもので、腹立たしい気持ちが何も起きなかった。人生そういうもんだ。受け入れるしかない。
 江子田は翌日、マンション、会社、金になりそうな所有品、一切合切売り払い、すべての財産を現金化した。銀行に資産凍結されるのを防ぐためである。住所不定にしてビジネスホテルに籠もった。追ってくるなら追ってこい。俺は十億以上あるんだ。何だったら海外にでも逃げてやる。クソ銀行め、法外な利息をとりやがって、違法じゃねえか。
 ホテルの一室でビールを飲みながらテレビを見ていた。夜中にテーブルに置いたスマホが自動的に作動し、画面に【破産一分前】と表示が出てきて、カウントダウンが始まった。
「勝手に人のスマホをハッキングしやがって」
 江子田はカウントダウンしていく画面を笑いながら見ていた。
【3、2、1ーー】
 ゼロになった瞬間、世界が止まった。スマホの画面に【破産いたしました 至急エンマ銀行へお越しください』と出ている。
――わかった。いや、わかりました。わかっております。しかし、どうやって・・・・。
 体がまったく動かなかった。意識が肉体の檻に閉じ込められている感覚。
――千倍にさせられた・・・・。
 指先一本動かせない。まばたき一つできない。話そうにも話せない。聴こうにも何も聴きとれない。どうすりゃいいんだ。気持ちだけが焦る。とにかく東京湾の埠頭へ行かなければ。二時までに、どうやって・・・・。通常時間で考えれば今からエンマ銀行へ向かえば六時間ほどだが、千倍では体感として六千時間(二百五十日)かかる。気持ちは急くが、亀よりもゆっくりとしか動けない。いや、ゆっくりではない。ほぼ止まっている。こんなことなら破産する前に銀行に乗り込んでおくべきだった。なぜ俺は逃げようとしたんだ。俺は馬鹿だった・・・・。
 江子田は十日かけてホテルを出て、十日かけてタクシーを止め、一か月間タクシーに乗り、二週間埠頭で待ち、百五十日間船に乗り、ようやくエンマ銀行にたどり着いた。

   七  
「♪体調に問題のある方がおられま~す」
 案内係のスタッフが、挙動のおかしい男の姿に気づき同僚を呼んだ。男の目はカッと見開き、体が痙攣していて動きがおかしく、何を訊いても応答しない。彼らは、こうした挙動の客は破産者であることをよく知っていた。男性スタッフ数人がこの男の体を抱え上げ、破産窓口へ搬送して椅子に座らせた。
「破産手続きをいたします」
 窓口の女性スタッフはパソコンの新規破産者リストのデーターから、『江子田』の名前を見つけ出し、“千倍”を解除した。  
「あっ・・・・」
 その瞬間、江子田は硬直状態から解かれて椅子から崩れ落ちた。
「戻った・・・・。死ぬかと思った・・・・」
 江子田は号泣した。女性スタッフはそんな江子田の感情に寄り添おうとせず、無邪気に笑いながら手続きを進めた。
「負債額は百億円でございます」
「はい、わかっております。でも、どうやって返済を・・・・」
「働いて必ず返してもらいます。ここにもありますように――」
 彼女は壁に張られているポスターを指差した。そこには、『元気に長く働く人を応援するエンマ銀行』とあった。
「どういうことでしょう・・・・」
 男性スタッフがにこやかにやってきて「行きましょうか」と言い、江子田を奥へ連れて行った。
「どこへ・・・・」
「行けばわかりますから」
 奥の扉を開けると地下へ繋がる通路があった。長い階段を下りていくと、『エンマ室』と書かれた巨大な鉄の扉にぶつかった。ボタンを押して扉を開けると、岩肌むき出しの洞窟が現れた。ところどころに焚かれているロウソクの炎が真っ暗な洞窟を仄かに照らしている。
「さあ、奥へ」
 男性スタッフが歩き出すよう促すが、江子田は本能的に恐怖を感じ、足がすくんで動けなくなった。「早くしろ!」、今まで温厚だった男性スタッフがいきなり怒鳴ってきた。 江子田は驚き彼の顔に目をやると、鬼の獄卒の姿となっていた。
「早く来るんだ!」
 腕を引っ張られ洞窟の奥へ力づくで連れて行かれた。
「あ、あ、あ・・・・」
 恐怖のあまり声が出なくなった。洞窟の先に現れたのは、東大寺の大仏よりも巨大な閻魔大王だった。江子田はあまりの迫力に腰が抜けそうになった。
「ボヤボヤしてねえで、服を脱いで一番後ろに並ぶんだ!」
 江子田は真っ裸にされ、長い列の一番後ろに蹴飛ばされて並ばせられた。
「――次」
 閻魔大王の地響きするような声が響き、江子田の番となって前に出された。江子田は虫ケラのような存在である。
「百億円で破産した男です」
 獄卒が説明した。モニターには、江子田が金を借りることになった経緯から破産となった結末まで、その光景が映し出された。閻魔大王はモニターをチラと見ただけでまったく興味がなさそうだった。
「百億秒(三百十七年)の銀行労働の刑に処す。業務ミス、業務怠慢、守秘義務違反、諍い、反抗、嘘、無駄口を叩いたら、罰とし千日滝行の刑が追加される」
 江子田は判決が下されると、獄卒に手を引っ張られ治療室に連れて行かれた。
「な、な、何をするんですか?」
「黙って大人しくしてろ」
 数十種類の薬を飲まされた。
「お前は、老けることのない永遠の二十代だ」
 次の部屋では電気刺激が与えられた。
「お前はもう病気にならないし、食べなくても寝なくてもいい体になった」
 次はカプセルのような狭いところに寝かされ蓋を被せられた。カプセルから出ると、モデルのような端正な容姿になっていた。表情はお面のように固定され、笑い顔以外の表情が作れなくなっていた。
 最後に研修室に連れて行かれ、毎日二十四時間、一か月かけて業務トレーニングが仕込まれた。
「さあ、仕事だ。三百十七年働くんだ」
 獄卒に蹴飛ばされ、『エンマ室』の巨大扉から銀行へ出された。江子田は客がいるときは“お客様案内係”として歌って踊り、客がいなくなった夜中の時間帯は、銀行内の清掃を隅々まで行った。誰とも会話することが許されず、自分のプラベートな時間が一切ない生活。周りにいる同僚たちは何者だかまったくわからない。江子田は苦しくて苦しくて仕方がなかった。それなのに笑うことしかできない。涙を流せども笑うことしかできないのだ。
 毎日やってくる大勢の客の中で一人か二人、自分と同じように破産から逃亡を試み、千倍で硬直してやってくる不届き者がいる。顔が引きつり、体が痙攣しているので、千倍の破産者だとすぐにわかる。江子田はそんな不届き者たちを破産窓口まで搬送する仕事もあるが、ある日のこと、見知った顔の男が痙攣しながらやってきた。
「種田・・・・」
 いくらの負債を背負っているのか知らないが、奴も銀行労働者となるようだ。奴のマヌケな姿を見ても、嬉しさも憐れみも感じなかった。言葉をちょっとだけ交わしたい気持ちが起きたが、千日滝行は嫌なので相手にしなかった。エンマ室から出てくれば容姿がまったく変わり、今後それが種田とはわからなくなる。奴のことなどもうどうだっていい。自分のことで精一杯なのだ。三百十七年間、きれいな職場で、きれいな人たちに囲まれ、元気に笑いながら働かなければならないのだ。江子田は早々と死ねるであろう客たちを見て心から羨ましく思った。

    七
 閻魔大王の前には長い罪人たちの列ができておりました。
「判決、地獄の刑、一千万年」
 閻魔大王が罪人たちを一人ひとり裁いていますと、フラリと不動明王がやってきました。
「あれ、閻魔ヤン、銀行経営もう辞めたん?」
「あ、不動明王ハン、ちょっと話聞いてェや」
 二人は地獄を一望できる山へ散歩に出ました。
「銀行の件な、アレうまいこといかへんかったわ」
「そやったんか・・・・。何が悪かったん?」
「金借りる奴はどんどん増えたンやけど、欲で頭おかしなって破産するヤツが続出や」
「閻魔ヤンのやり方が厳しかったんとちゃう?」
「全然厳しないで、むしろ逆、大甘や。破産したら、借りた分は労働して返せってだけの話やで。しかも労働の賃金、秒給一円、時給換算にして三千六百円や。現代の最低賃金の四倍やで。しかも人間の要望に応じて若さを与え、美しい容姿を与え、不老長寿を与え、病気しない健康な肉体を与え、いたれりつくせりの待遇や。なのに破産者はイジけてしもうて“死にたい死にたい”って言い出す始末。金持たしたら欲の奴隷になり、憧れの環境で労働させてもしょぼくれる。何やねん、いつになったら倫理に目覚めるねんって話や。時間はかかるけど、死んでから地獄へ行かせて、頭を金棒で一億回ぐらいブン殴って苦しませて、それから新たに生まれ変わってまた一からやり直すっていう従来のやり方、それでもうええやんって思い直して」
「せやったかあ・・・・。えろうスンマへん。ワシが変なアドバイスしたばっかりに」
「ええねん、ええねん、気にせんといて。やってみなわからなんことばっかりやった。人間は、何回も何十回も何万回も生まれ変わって、愚行を繰り返して、痛い目におうて、恐怖に打ちのめされて、ちょっとずつちょっとずつしか成長せんてことがようわかったわ」
 不動明王は閻魔大王と地獄の山々を一通り散歩して帰って行きました。                                   
                        了 2020年作


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九舎耳(くしゃに)
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