ぼくのペット/トッぺはくぼ(童話)
先週、太郎は家族とともに新しい町に引っ越してきた。この町は、大型ショッピングセンターがあれば静かな湖や森があり、町の賑わいと自然の両方が楽しめる。太郎はこの町のことがすぐに好きになった。
青空が広がる日曜日の朝、太郎は愛犬・柴犬のマルと一緒に町の散策に出かけた。
「マル、出かけるぞ」
太郎は庭の犬小屋にいるマルに声をかけた。マルは大はしゃぎで飛びつき、シッポをせわしなく振った。
「マル、落ち着け、落ち着けったら」
太郎はマルを家の中で飼いたかったが、ママがノミが湧くと言って許してくれなかった。マルは一匹、夜寂しく過ごしているから、朝家族の顔を見ると異常に興奮する。
「お利口さんにしないと晩飯やらないぞ」
太郎はマルに厳しく言った。マルは言葉が通じたのか、「クーン」と反省した声を出した。利口な犬である。
「ママ、出かけるからね」
太郎がそう言うと、家の中から、
「気をつけて行くのよ。お昼ご飯までには帰ってきなさいよ」
ママの声が返ってきた。
「はーい、行ってきます」
飛び出すように家を出た。
「今日はどこに行こうか・・・・。そうだ、湖の周りを一周だ!」
計画がパッとひらめいた。湖には何度か行ったが、グルリと一周したことはない。湖は対岸も見えないほど大きく、けっこうな冒険だ。ーー冒険、この言葉に太郎の心はおどった。知らない場所、知らない動物、知らないものに出会うことが何よりも好きだったからだ。
湖畔を歩きだすといろんな動物に遭遇した。草むらでトカゲがササと走り出し、大木の枝には小さな野鳥が鳴いていた。
「こんにちは」
犬と散歩する人とすれ違うと、みんな気さくに挨拶してきた。
「かわいいワンちゃんね」
「柴犬のマルといいます」
行き交う人、みんなと声をかけ合った。
湖の奥へ奥へと進んで行くと、道が未舗装の森に入っていった。落ち葉を踏みしめる音が心地いい。しかし人気がまったくなくなり、ちょっと怖い気がしてきた。さらに歩き続けると森の中にポツンと大きなお屋敷があった。
「こんなところに、何だろう?」
太郎とマルはお屋敷の門の前で足を止めて、中の様子をうかがった。シンとしていて誰もいないようだ。誰もいないようなのに、門は全開に開かれ、屋敷の玄関の大きなドアも開けっ放しになっていた。マルはリードを引っ張って中に入っていこうとした。
「ダメだよ、マル。ここは人ン家だ。勝手に入ったら怒られるぜ」
しかし、マルは言いつけを守ろうとせず、グイグイとリードを引っ張った。広い中庭を抜け、屋敷の大きな玄関の前まで来た。そこで一旦立ち止まり、マルと目を合わせた。マルは中に入りたがっている。玄関から中を覗くと、広いロビーのような空間が広がっていた。ここはホテルなのだろうか。
マルが強くリードを引っ張るので中に入った。フカフカの赤い絨毯が敷かれていて、高い天井には豪華なシャンデリアがぶら下がっていた。ロビーの突き当りまで行くと黒いドアがあり、張り紙がしてあった。そこに『ペット禁止』と書かれている。
「あ、マズイ、ペット禁止だ」
でも、誰かが見張っているわけではない。ドアノブをソッと回してみると鍵がかかっていないらしく、ガチャリと音をたてドアが開いた。ドアの向こうをのぞくと、暗い廊下が伸び、突き当りに湖が見えた。
「湖が眺められるのか・・・・」
そのとき、マルは力いっぱいリードを引っ張って、湖が見えるウッドデッキに向かって走り出した。
「マル、これ以上行ったら怒られるぞ」
暗い廊下を抜け、ウッドデッキに出た。静かな湖が広がっていた。
「ああ、いい気持ちだ・・・・」
そよ風を浴びながらしばらく湖を眺めたらマルの興奮はおさまってきたようだ。
「出ようか、マル・・・・」
もと来た廊下を歩いて、ドアを開けるとビックリした。賑やかな音楽が鳴らされ、大勢の動物たちがドレスやタキシードを着てダンスをしていた
「えっ!? どいうこと?」
急変したのはロビー空間だけではなかった。太郎は首輪にリードをつけられ四本足で歩き、犬のような小さな動物になっていた。マルはスーツを着てネクタイをしめ二本足で歩き、人間のような動物になっていた。
「ここはペット禁止だよ」
犬のような紳士にマルが注意された。
「ゴメン、ゴメン、すぐ出るよ」
マルは太郎を引っ張って屋敷の外へ出た。来たときは朝だったのに、外は夕暮れ時の空色になっている。
「マル、マル!」
太郎はマルに呼びかけるが声が出ない。出てくる声は「ウー、ワン、ワン」だ。
「どうした? 太郎。腹がすいたのかい。とりあえず家へ帰ろうか」
マルは太郎を引っ張ってもと来た道を歩き出した。あの静かだった森は、動物たちがドレスやスーツを着て歌ったりおどったりして賑やかだった。
湖を過ぎて町へ出ると、賑やかだったはずの町はしんと静まり、建物は何もなく、不気味に荒野がひろがっていた。大きなショッピングセンターのあったところは大きなゴミの山になっている。
「これはどういうことなんだ? ワンワン」
太郎が驚きの声をあげた。
「どうした太郎、うるさいな」
マルに太郎の言葉は届かなかった。
「――さあ、着いたよ」
マルが言った。引っ越した先の家に着いたようだが、そこには犬小屋がポツンとあるだけだった。パパとママはどこへ行ってしまったのか。
「太郎、お前はここでお利口さんにしてるんだ。ぼくはまたダンスホールへ行くからさ」
「えっ、オレをここにおいて行くのか。冗談じゃない。ワン、ワン」
「なんだよ太郎、ワンワンうるさいな。ダンスホールはペット禁止だから、お前はダメなんだ」
マルは首輪につながれたリードを犬小屋につなごうとした。
「だめだってば、マル。ひとりぼっちにしないでくれ、ワンワン」
「なんだよ、太郎、今日はいつも以上に吠えるな。しょうがない、お前もダンスホールへ行くか」
「そうしてくれ、ワンワン」
マルと太郎はまた湖のほとりの屋敷に向かって歩き出した。夕暮れの空は闇がつつみこみ、あたりは暗くなっていた。森は真っ暗なのに、おしゃれな姿の動物たちは愉快にダンスをおどっている。行き交う動物はマルに気さくに声をかけてきた。
「あーら、かわいいニンコロね」
「このニンコロ、太郎って言うんです」
太郎は複雑な気持ちだった。見下されたようにニンコロと呼ばれている。オレはそういう種類の動物なのか。
「着いた、太郎――」マルが屋敷の前にたどり着き言った。「太郎は外で待っててくれないか。ぼくは中でおどっているからさ」
「ウー、ワンワン。ダメだ、マル。オレも中に入りたい。もう一回、あの湖の見えるウッドデッキに戻るんだ!」
太郎はリードを力いっぱい引っ張った。
「なんだよ、太郎、そんなに引っ張るなよ」
動物たちがごった返すホールをすり抜け、『ペット禁止』の張ってある黒いドアの前に来た。動物たちはマルに「ペットは入れちゃいけないよ」と言った。マルは「ゴメンゴメン」と周りの動物紳士に頭を下げた。
「マル、このドアを開けてくれ、ワンワン」
「何だよ、太郎。こっちへ行ったって、湖が見えるだけだぜ」
「いいんだ、とにかく行こう、ワンワン」
マルはドアを開けてくれた。太郎はマルを引っ張ってウッドデッキに出て、しばらく静かな湖を眺めた。
「気持ちが落ち着いたかい――」マルが言った。「戻ろうか」
暗い廊下を抜けドアを開けると、そこはシンとした誰もいないロビーとなっていた。もう動物たちはおどっていない。ふと足元を見ると、マルが首輪につながれていた。
「戻った・・・」
だがまだ安心できない。太郎はマルを引っ張って走り出し、屋敷を抜け、門から出た。ドッと疲れが出てヘタヘタと座り込んだ。
「助かった・・・・」
マルはシッポを振りながら、太郎を不思議そうに眺め、クンクンと鼻先を近づけて頬をなめてきた。
「マル・・・・」
マルのあのスーツ姿は何だったのか。マルの黒い瞳を見つめると、その黒い瞳に自分の顔が小さく写っていた。ぼくが見ている世界とマルが見ている世界、ぼくたちは別の世界を同時に生きているのだろうか。
「今、何時だろう?」
ふと思った。時間がさっぱりわからなくなっていた。空を見上げると、真っ青だった空が少し曇っている。太郎は左手でマルの頭をなでながら、右手で腹ペコのお腹をさすった。ママが言っていた『昼ごはんの時間』どころの騒ぎではなさそうだ。
(了)2018年作