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日本最高の歴史的建造物は、金沢の妙立寺だ


 迷路のような建造物に興味がある。
 迷路に限らず、複雑に入り組んだものや、カラクリのあるもの、一見無駄の多い構造物などが好きで、逆にシンプルで無駄のない部屋や、整然とした建物には魅力をあまり感じない。

 小さい頃から迷路のような家に住みたいと思っていた。あれはなぜなんだろう、迷路的な空間は心が落ち着く。身を隠すのに適しているからだろうか。と言っても、とくに誰に追われているわけではない。

 たしかに隠し部屋のようなものがあると興奮してしまう背景には、ひと目を避けたいという潜在的な願望があるのかもしれない。だがそれだけだろうか。
 聞けば、作家ヴィクトル・ユゴーは、建物は書物だと言ってたらしい。
 真意ははかりかねるけども、単純に、その部屋、その廊下、その階段のひとつひとつが書物の1ページ1ページのように物語を想起させるという意味なら、その通りだろうと思う。

 子どもの頃の私は、引越し先の新しい家に入ると、その家にある無数の隅っこや窪み、そしてまた押入れの中など、ありとあらゆる場所にひと通りわが身を置いてみて、その感じを味わい尽さずにいられなかった。

 空間は場所ごとに違った味があり、それぞれの場所でまさに多様な物語が生まれそうだった。思えばC・S・ルイスのファンタジー小説「ナルニア国物語」では箪笥の扉のなかが異世界への入口になっていた。小説家がまったくのゼロから思いついたというより、箪笥の扉のほうに、もともと異世界感があったのだと思う。小説家はそれを物語として具体化してみせただけなのである。
 もちろん箪笥が物語を想起させるなどと子どもの私が考えていたわけではない。けれど、子ども心にその場所場所の持つ魅力の違いを感じとっていたのは間違いない。

 建物はまさに書物だった。
 さらに言うなら、建物に限らず、地形や起伏や高低差も書物である。それぞれに独自の味わいがあり、そこから物語が生まれそうだからである。
 哲学者のガストン・バシュラールは、人間の持つ建物や地形へのこのような嗜好を「トポフィリ(場所への愛)」と呼んだ。
 場所のことを思うだけで興奮する私は、まさに「トポフィリアン」なのだ(←今勝手に造った造語)。

 迷路が好きなのは、その複雑さに応じて無数の「トポフィリ」が存在するからで、シンプルな建物やまっ平らな草原に「トポフィリ」を感じることは少ない。言ってみれば平らな草原には「トポフィリ」が1しかないのに対し、迷路には無限にあるのである。

 世の中に「トポフィリ」にとりつかれた人は決して少なくない気がする。このサイトで連載しているワクサカソウヘイ氏も、自らを「迷路ジャンキー」と呼んでいるし、「ブラタモリ」が大人気のタモリも、いつも高低差にこだわっているので絶対に「トポフィリアン」だ。それどころか自分はそうじゃないと思っている人でも、歩くほどに空間が変化していくショッピングモールなどに迷いこんだら、ワクワクするのではないだろうか。

 迷路の魅力を分析するのは難しく、これまで読んだ迷路に関するどんな本にもその理由は書かれていなかった。よって私も迷路を論じようというような大それた意図はまったくなく、ただただ思いつくままに書き進めてみたい。迷路はきっと、いいものはいい、としか言いようがない詩のような何かなのだ。


 日本の歴史的建造物のなかで、私が一番好きなのは、石川県金沢市にある正久山妙立寺である。
 別名、忍者寺。
 その名の通り、忍者屋敷のようなカラクリ満載のお寺である。

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 忍者屋敷は今でこそ全国各地にあるけれど、ほとんどは今出来のアトラクションとしての建物であり、実際に忍者が使用していたそのままの屋敷というのは、甲賀に1軒あるだけである。
 それもさほど多くのカラクリがあるわけではなく、忍者屋敷と聞いてときめいた「トポフィリ」心を満たしてくれるほどのものではない。

 だが忍者寺は違う。これこそは、迷路好きを真に納得させてくれる日本で唯一といっていい歴史的建造物だ。
 ただ正確には忍者とは関係なく、本来は加賀藩前田家の祈願所で、3代藩主前田利常によって、この地に移築され危急の際の出城として改造された。
 一見2階建ての本堂は中に入れば4階建て7層に及び、23の部屋と29の階段が入り乱れる大迷宮となっている。

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 幕府にふた心あると知れれば、あっという間にお家取り潰しとなる時代、秘密裏に出城を築くのは大きな危険を伴ったはず。それだけに外敵や幕府隠密を欺く仕掛けが多く施され、見つかった以上生きては帰さない本気が充満している。

 たとえば、本堂の入口。床に賽銭箱がはめ込んであるが、これは外すと落とし穴になる。

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 すぐにバレそうな穴だが、勢いよく走りこんできたら引っかかる可能性はある。落とし穴といっても奈落の底まで落ちるわけではなく、一瞬ガタンと落ちてバランスを崩させるだけでいい。戦闘時であれば、守る側はそれで一気に優位に立てる。
 さらに左手を見ると、いかにも怪しげな階段群。

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 左の階段には抜け穴が見える。こんな穴ではバレバレに見えるが、それは照明が当たっているからで、江戸時代には照明はなく単なる暗がりだった。ここは地下へ通じる階段が隠れているのだが、落とし穴としても使えるかもしれない。

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 廊下にも仕掛けがある。この床板を持ち上げると屋外に通じる抜け道が現れるのである。

 ここで重要なのは、引き戸が開いた状態でないと床板を持ち上げることができないということだ。つまり誰かをここから逃がしたあと、引き戸を閉めてしまえば抜け道の発覚を遅らせることができるし、外からの逆侵入を防ぐこともできるのだ。

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 この写真がなんだかわかるだろうか。
 明かり取りの障子がオーバーハング状に並んでいる。これ、外階段の裏側である。外から侵入しようとする外敵の足をこの障子越しに攻撃できるよう工夫されているのだ。
 他にも床の間にかかる富士山の絵が抜け穴になっていたり、

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 押入れの奥に秘密の扉があると思ったら、右にもあったり、

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 さらにパッと見たところ出入りできるのが襖一ヶ所に窓ひとつと押入れがひとつしかないように見えるこの写真のなかに、出入口は5つあるなど、おびただしい数のカラクリが配置してあったりする。

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 中央には中庭があり、そこにある井戸の横穴からは長いトンネルがどこかに通じているらしい。

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 カラクリは他にもまだまだあって、取材させてもらった際も、ガイドの女性が自分もすべて把握しているわけではないと言っていた。図面も残っていないそうで、あるいはいまだ知られざる仕掛けがどこかにあるのかもしれない。

 初めてここを訪れたとき、私はようやく真に求めていた建築に出会ったと思った。日本における歴史的なカラクリ建造物は、他に京都の二条陣屋などがあるものの、この妙立寺に匹敵するほどのものに私は出会ったことがない。
 最終的にこの出城は幕府に発見されず、これらのカラクリが機能することも、前田家が御家取り潰しに遭うこともなかったのは、前田家にとっても私にとっても幸運だった。
 
 それにしても、だ。
 たとえ外敵や幕府隠密を欺くためとはいえ、ここまでこだわる必要が果たしてあったのだろうか。
 中庭に面した窓から見る異様な光景は、明らかにこの建物がただならぬものであることを示している。客人でも迎え入れようものなら、一発で怪しまれるだろう。

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 ひょっとしてこの建物は、そういう危険を冒してでもカラクリを充実させたいという数寄者が勇み足で建ててしまったのではあるまいか。
 きっと江戸前期の加賀藩に迷路好きがいたのである。
 どんな人物だったのかぜひとも知りたいけれども、残念ながらその名は伝わっていない。あるいは秘密を知る者として完成後に始末されたのか? などと考えてしまうのは時代小説の読みすぎだろうか。

 なお妙立寺は、迷子になったり怪我をしたりしてはいけないので今でも子どもの拝観はできないことになっている。

                       「建設の匠」より転載

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