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10年前の読書日記16

2014年2月の記

 2週連続の積雪。公式な数字は知らないが、わが家の周辺では合わせて5~60センチ積もり、雪国に住んだことのない私には、自分史上初の豪雪である。

 雪の重みでガレージの屋根が落ちたりして近所は大変な騒ぎだったが、私はといえば、家の前ですべり台作りに熱中していた。
 車の出し入れの邪魔になる、と妻は怒っていたが、こんな雪の中、車でどこに行くというのか。だいたいチェーンもスタッドレスも持ってないじゃないか、今すべり台作らないで、いったいいつ作るんだ、というわけで無視。妻という生き物は、どうしてそんな一見正論のようで、その実ものすごくつまらないことを言うのだろうか。

 で、翌日から腰痛で動けず。雪かきを妻に任せることになって、また怒られる。
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 久々にエンタメノンフ文芸部会が開催され、どういう流れでそうなったのか思い出せないが、みんなでドナウ川を下ろうという話になった。なぜドナウ川なのか。
『ボートの三人男』のようにヨーロッパの運河をボートで旅してみたい、とかなんとか自分が口走ったような気がしなくもないけども、そういえば、もっと前の部会では、みんなで東海自然歩道を踏破しようという決議がなされた記憶がある。東海自然歩道……いまだ実現どころかその後話題にものぼっていない。ドナウ川も酔っ払いどものたわごととして消えゆく運命であろう。

 それはそうと、内澤副部長は遠くの島に引っ越すらしい。高野部員はタイに移住するとか何とか言っていたし、杉江部員は、ケーキ作りに目覚めたりして、みな新しい道を模索しているようである。不惑を過ぎて、みな惑っているのか、それともそれが惑いの末に到達した最終決断なのか。

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 折りたたみ式のテーブルを買った。
 天板の縦が30センチ、横幅が52センチ、高さは最高でも32センチという小さなものだ。何に使うかというと、ベッドの上で仕事するのである。
 なぜベッドの上かというと、自宅の机が埋もれてしまったからだ。
 読みかけの本はもちろんのこと、資料やらノートやら、筆記具やら電卓やらがパソコンの前を占領し、さらに年賀状の束やら、CDやら、一眼レフに至っては2台も机上にのっかっている。ひとつは300ミリの望遠レンズ付きだ。それとあと、石。

 もはや自分の机で仕事することは不可能になりつつある。
 なんとか机上のものどもを力ずくで左の壁際に寄せ、キーボードの前の空間を確保して原稿にとりかかるも、キーボードと自分の間には資料の束があり、その山を抱きかかえるようにしてキーを叩かざるをえない。この資料は、今まさに書いている原稿用の資料だから、いつでも見られるようにしておく必要があり、その他のノートやCDや石とごっちゃにするわけにはいかないのだ。ごっちゃにはできないけど、置く場所もない。ならばということで抱いているわけである。

 パソコンに向かって仕事をするときはそれでも何とかなるが、多くの場合、パソコンに向かう前に原稿の構成を考えたり、タイトルをひねり出したり、さらにはもっと以前に連載の企画を考えたりしなければならず、そういうときは雑記帳を用意して、ああでもないこうでもないと書きつけることになる。

 ところが、書きつけるには机がいる。その机にノートを開くスペースがない。
 仕方なくベッドに移動し、寝ながら構想を練っていた。しかし寝ながら書くと両肘をついて上体をのけぞらせる形になり、腕にも腰にも負担がかかる。やはりここはきちんと座って書きたい。雑な姿勢では、発想も雑になるばかりだ。

 そこでベッドの上にきちんと正座なり胡坐なりかいて原稿に向かえるよう、折りたたみテーブルを買った次第である。
 そんなものを買うより机の上を整理してはどうか、という意見もあろうが、整理しても整理しても、新たなる正体不明のものどもが、どこからともなく現れて机を埋め尽くしてしまうのだ。

 一方、ベッドの上には、本や資料が堆積することがない。枕元本として、写真集やビジュアル本が一冊置かれるだけで、常に整頓されている。この清廉無垢なベッドの上こそ、落ち着いて仕事ができる部屋で唯一のスペースと言っていい。

 ちなみに今、置かれているのは、フジイキョウコ編・著『鉱物見タテ図鑑』(Pヴァイン・ブックス)で、これから出す石の本の参考にパラパラ見ている。鉱物を、植物とか食べ物とか都市に見立てて紹介する、エキセントリックな趣向のビジュアル本である。

 ともあれ、このきれい好きな私にふさわしいベッドの上で、じっくり仕事に取り組むために、折りたたみテーブルは必須のアイテムだった。
 実際ベッドの上で仕事は捗っており、かたや机の上はますます高層化が進んで、パソコン画面すら下半分は見えないありさま。ベッドには電気毛布が敷かれているのも好都合だ。冬の厳しい寒さのなかでも、働くことができる。

 こうして、完全なる仕事環境を整えて、あるとき、ふと自室を眺めわたしてみて、この感じはどこかで見たことがあるな、と思ったのだった。
 昔見た曾祖母の部屋だ。
 子どもの目には、ベッドの上だけが綺麗に整頓され、あとは何に使うのかよくわからない古臭いガラクタだらけの空間。それは、ベッド上でほぼ何でも済ますことのできる、寝たきり生活用の部屋であった。
 私は危険水位に到達しつつあるのかもしれない。
  

本の雑誌2014年4月号から転載

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