上海旅行記4

 目覚めると、上海だった。
 旅に出て最初の朝は、できればのんびりと祝福された時間を味わいところだけれど、私はそそくさと支度すると、朝飯も食べずに駅前へ行ってバスに乗り、南浦大橋へ向かった。
 今回の旅では上海以外に、蘇州と普陀山に行ってみようと考えていて、その普陀山行きの船と宿を手配しておくためだ。南浦大橋のバスターミナルでそれができることは事前に調べてあった。
 中国では交通機関の切符を入手するには長い行列に並ばなければならない、というのがこれまでの私の経験上、常識になっている。朝飯もとらなかったのはなるべく早く並ぼうと気が急いたからである。できれば始終だらだらしたい「きたいうす旅行」なのだけれど、行きたい場所には行きたいし、ならばチケットが必要なので、これはやむをえない。
 ところが着いてみると、チケット売り場にはふたりしか並んでいなかった。もう売り切れたか、と不安がよぎるも、とくにそういうことはなく、まるでみどりの窓口のようにチケットが手に入った。
 おお、なんということだ。
 こんなに簡単に手に入るなんて、怪しいぞ。罠なんじゃないか。
 しかし罠ではなくて、これが今の中国なのらしい。
 拍子抜けだ。思えばここに来るまでの市内バスも、普通に座れた。二十年前の中国では、座るどころかバスに乗るだけでバトルだったのに、ずいぶんな変わりようである。変わったといえば、街も同じで、バスの窓から見る上海は、日本や東南アジアの都会と、たいして違わない。その凡庸さを残念に思う気持ちもなくはないが、安楽志向のきたいうす旅行には、かえってちょうどいいのかもしれない。
 私は、なんとなく気が抜けたような気分で、そのへんの店で朝飯を調達すると、再びバスに乗って、外灘へ向かった。
 外灘とは、かつてタケウチと遊覧船に乗った黄浦江沿いの一帯のことで、租界時代のレトロなビルが並び、それを見るのが上海観光のハイライトのひとつになっているが、私の目的はそんなビルではない。そこまで行けば対岸には目指すポンポン銃が、ってそんな言葉が本当にあるのかどうか知らないけども、おもちゃの銃を立てたような、あのふざけたタワーが見えるのである。
 ガイドブックによれば、東方明珠塔、というらしい。
 ふたつの巨大な珠を刺し貫いた形のテレビ塔で、展望台になっている珠の部分が赤い。
 まるでセンスというもののない、俗悪なデザインのそのタワーに、私は写真でひと目見たときから、ふしぎに惹かれていた。俗悪にもいろいろあるが、このタワーには、かっこつけようとしてかえって俗悪になったという痛々しさがなく、俗悪がまっすぐである。はなからこれでいいと信じ込んでいる、あっぱれな俗悪ぶり。
 社会主義国特有のウソくさいプロパガンダもなく、現代美術にありがちなこじつけめいた難解さもなく、かといって伝統回帰でもなく、そんなこざかしいものすべてを突き抜けた、子どもでもわかるデザイン。ひょっとすると、本当に子どもがデザインしたのかもしれない。
 おちょくっているのではない。
 そんなものが堂々と、他の建物を圧倒して立っていることに、何か温かさのようなものを感じるのだ。そのレトロフューチャーなデザインからは、一家団欒という言葉さえ連想される。
 ひとことで言って、なごむ。

つづく

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