バックパッカーの今
二十代から三十代にかけて、私はバックパッカーだった
大きなザックを背負って何か月も旅をした。背中だけでは入りきらず、胸にも小さなザックを同時にかけて歩いた。やたら重かったが、あのときの自由の味は忘れられない。世界が輝いて見えた。
子どもたちが巣立ったら、またあんなふうに旅をしたいと今も思う。ただ、あの荷物を背負うのはちょっとつらいかも。
と思ったら、先日国内で外国人旅行者に人気のゲストハウスに泊まる機会があり、そこで意外な光景を見た。
昨今は、海外からの観光客が増え、そのゲストハウスもいろんな国の若者でいっぱいだったが、ザックを背負ってやってくる若者がほとんどいないのだ。みなスーツケースをごろごろ転がしながらやってくる。
たしかに登山でもしない限り日本ではそれで十分かもしれない。しかしフットワークに限界のあるスーツケースでは、宿探しが大変だろう。それともパックツアーで来てるのか?
と考えをめぐらせていて、はたと気がついた。そうか、今は宿探しなんてしないのだ。
すべて手持ちのタブレットかスマホで簡単に予約できてしまう。画面上で予約を入れてそこへ直行するだけでいい。
私がバックパッカーだった頃は、大きなホテルはいざ知らず、小さなゲストハウスなど現地に行ってみなければ泊まれるかどうかもわからなかった。なんとかたどりついても満室で、他を当たるなんて当たり前。だから荷物は臨機応変に動き回れるザックでなければならなかった。でも今は、機動性などたいした問題じゃないのである。
ここ数年で旅のスタイルはずいぶん変わった。以前は、たとえばカメラはフィルム式で、長旅の場合大量のフィルムをX線防護ケースに入れて運ばなければならなかったし、音楽だってカセットテープを何本も持って行った。本もしかり。とにかく荷物が多かった。それに比べれば今はかなり身軽に旅ができる。
五十を過ぎ、体力も落ちてきた私にとって、それはとても助かる話だ。またバックパッカーに戻れそうな気がする。
いや待てよ。背負わないのだから、もうバックパッカーとは言わないのかもしれない。長期間自由に世界を放浪する旅人のことを、今は何と呼んでいるのだろう。
産経新聞2017.4.25