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10年前の読書日記10

2013年8月の記

 しかし読書録とかいってるわりに、ちっとも読書していない。
 もし今「本の雑誌連載執筆者選抜試験」を受けたとすると、一次選考の「月に何冊本を読みますか」って質問で落とされるに違いない。これほど本を読まないのは、おそらく物心ついて以来初めてだ。どうしてこんなことになったか。

 理由をつらつら考えるに、まず、昨今やたら忙しいというのがある。
 具体的には、子どものサッカーチームで卒業アルバムを作る係に抜擢されたり、チームの交流事業で、石巻の被災地からサッカー少年をふたりホームステイに迎え入れたり、歓迎パーティーの企画・進行・司会をやったうえに、町内会では書記をやって議事録を書き、夏祭りでは司会、次のスタンプラリーではイベント委員長に任命されそうな状況である。

 さらに近年、夕食時から深夜にかけて、足が痛むという謎の症状に見舞われ、その時間帯はとても執筆や読書に集中できないということもある。テレビさえ見ていられないのだ。

 私にすれば、これはもうマグニチュード7ぐらい大変な印象なのだが、同時に思うのは、果たしてその程度で忙しいと言っていていいのだろうかという点だ。
 マグニチュード7と思っているのは自分だけで、他の執筆者は、このぐらいの困難はものともせず本を読んでいるのではないか、実際はマグニチュード4ぐらいなのでは、という疑念も消えないのである。

 たとえば徹夜はもう十年以上していないし、土日はたいてい息子のサッカーの応援に行っている、朝仕事場へ向かうのは子どもが小学校に行ったあと、しかも仕事場で昼寝しているなど、一般のサラリーマンが聞いたら、ふざけるなという話のような気もする。

 結局、忙しいのは仕事以外の部分なのだ。本来ならそこで読書していたのが、できなくなっているのだ。ということで話は収まりそうな気が一瞬したが、やはり違う。そういうことじゃない。
 何かもっと心理的な要因があるはずである。
 いや、もったいぶってないで正直に白状しよう。私は今、旅行したい。書を捨てて旅に出たいんだあ!
 って言ってしまったよ。本の雑誌なのに。

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 というわけで、帰省以外、子どもをどこにも連れて行ってなかったこともあり、夏休みも終わる頃、家族で沼津港深海水族館へ出かけたのだった。
 最近は、いい水族館が増えてきた。
 とくにこの沼津港深海水族館は、私のお気に入りだ。深海といっても、思いっきり深い海の生き物は捕獲も飼育も難しいから、そこそこ深い海の生物が多いのだが、それでものっけからダイオウグソクムシが展示してあるし、無数の触手がからまりあったテヅルモズルとか、魚のくせに細い脚のようなもので海底を歩くキホウボウとか、見る水槽見る水槽いちいちヘンテコである。

 普通の魚はほとんどおらず、水族館自体は小さいからイルカショーみたいなありがちなものもなく、それどころか2階にあがると、毒ガエルだのサソリだのゲジゲジなんかが展示されている始末で、どこが深海なのか、いや、どこが水族館なのか理解に苦しむほど、とにかく珍奇な生き物だらけ。

 しまいには巨大ゴキブリのうじゃうじゃいる箱の中に顔突っ込んでガラス越しに写真が撮れるとか、ちょっとやめてくださいと言いたくなる奔放っぷりで、これはもう作り手が、途中から、なんでもええ、いったれいったれ、と破れかぶれになったに違いなく、そういう意味で非常に好感が持てる水族館なのであった。

 なかでも極めつけは、ミュージアムショップに売ってるぬいぐるみだ。
 深海生物センジュナマコやメンダコなどはまだかわいいほうで、半分以上の種類は、不気味というか奇怪というか、いったい何の生物かわからないものも多く、チョンマゲみたいな微塵もかわいくないやつは、どうやらオオグチボヤと判別できたが、目玉オヤジがオタマジャクシ化したようなのは、最後まで何かわからなかった。
 そんな到底売れるとは思えないものを、わかっていていくつも投入しているところが素晴らしい。どう見てもわざとやってるとしか思えない。
 他の水族館もぜひ追随してほしいと思ったのである。

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 水族館ついでに、伊豆半島の西海岸にもドライブして、広大な太平洋を眺めた。
 青く輝く海に、子どもたちも大喜びかと思いきや、ちっとも感動しなかったようで、どうやら海は入るものではあっても、見るものではないらしい。
 帰りには、おそるべき透明度を誇る柿田川の湧水も見せたのだが、いいから早く帰ろうとのことであった。
 子どもは風景を見ない、ということがわかった。

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 最後に本のことも書こう。
 数えてみるとこの一ヶ月に読んだ本はたったの4冊だった。
 そのひとつが『本の雑誌』炎の営業マンであり、この欄の担当編集者でもある杉江由次氏の『サッカーデイズ』(白水社)だ。
 サッカー少年少女の親は、ぜひこの本を読んで泣けばいいと思うが、ここに出てくるよきパパである「私」が杉江氏本人だと思ったら、それは大間違いである。真の姿はもっと黒いことが、近年の研究で明らかになっている。
 氏はこの巧みな文章力を、どこで手に入れたのだろう。口から出まかせで世の荒波を渡ってきた経験が活きたのだろうか。

 


本の雑誌より転載

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