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3部作


 先日ノンフィクション作家の高野秀行さんが、月刊『たくさんのふしぎ』から「世界の納豆をめぐる探検」を出版し、「これは自分の納豆3部作の完結編」とツイッターに書いていた。
 おお、3部作いいねえ、と思ったのである。

 自分だけかもしれないが、3部作というものに惹かれる。3部作だからどうだということもないのだろうが、気がつけばしらずしらず3部作を意識している。『スターウォーズ』も『マトリックス』もはじめは3部作だったし、3つでワンセットというのはなぜか惹かれるものなのだ。

 実をいうと私も、当初「四次元3部作」を書こうと考えていた。
 その1作目が、『東南アジア四次元日記』である。東南アジアにある珍スポットを巡った旅行記なのだが、このときは珍スポットとかB級スポットという言葉はまだなく、私は個人的にそれを「四次元」と表現したのだった。

 これを書いたとき、自分のなかにはすでに「四次元3部作」の構想があった。私のイメージでは、第2部の舞台は日本、第3部は全世界になる予定だった。

 そうして書いた第2部が、『晴れた日は巨大仏を見に』だ。
 これは日本の巨大な仏像を見て回る紀行で、他にも四次元(珍スポット)は日本にたくさんあるけれど、あまりに数が多すぎて全部回っていられないと思ったのと、ただ珍奇なだけでなく、大仏には何か深い味わいがあるように思えて、テーマを絞ったのだった。

 この時点で自分のなかでは、最後の第3部は世界が舞台で、山の上にある宗教施設(もしくは宗教都市)を巡ることを考えていた。

 山の上にある宗教施設に目覚めたのは、『東南アジア四次元日記』で訪れたミャンマーのマウントポッパに強烈に惹かれたからで、山の上にあるということはそれは天国、極楽世界を想定しているのであろうし、いわば現実を超越した空間と考えられるから、現実逃避癖のある自分にぴったりと思ったのだった。

 マウントポッパに次いで、インドのシャトルンジャヤ、ギルナール山を訪れ、チベットのポタラ宮、そして高野山なども下見に行った。思い返せば会社員時代にブータンのタクツァン僧院や、宗教施設ではないがスリランカのシーギリアにも行っていて、物書きになる前から自分は知らず知らず山の上の隔絶された世界に惹かれていたことを再認識した。

 調べてみると、山の上の宗教施設は世界中にあった。ギリシャのメテオラや、スリランカのアダムズピーク、中国の泰山をはじめとする五岳、そのほかにも無数にあって、まあ徐々にやっていこうと思ったまま、そのままになっている。

 そのままになってしまったのは、四次元以外にも追いかけたいテーマがありすぎて、あっちこっち手を広げている間に時間が経ってしまったことと、予算的に東南アジアや日本の比ではなかったためだ。

 そしてこれはまったく想定外だったのだが、そうこうしているうちに、あろうことか気がつくと山の上の宗教施設ではない別の四次元的な本を書いてしまっていた。

 それが『ふしぎ盆栽ホンノンボ』である。
 これはベトナムの伝統的なミニチュア載せ盆栽を紹介する本で、盆栽ではあるが、何やらごちゃごちゃした感じが山の上の宗教施設に通じるものがあるというか、そもそも岩を山に見立ててそこにミニチュアを載せるものだから、まさにこれ自体が極楽浄土を形にしたようなものなのであった。

 書き終えてから思ったのである。
 これって四次元3作目になるのでは?
 当初思っていたのと違うが、3部作ができてしまったらしい。そんなつもりじゃなかったのに。

 それだけではない。
 さらにその後『四次元温泉日記』なる日本の迷路状温泉旅館を巡った本まで書き、タイトルに四次元と謳ったため、第4部まで書いたような具合になってしまった。

 つまりどれとどれが四次元3部作なのか?

 自分で書いていながら、なんだかわからなくなってしまった。もっといえば、その後書いた『ニッポン脱力神さま図鑑』『おかしなジパング図版帖』も四次元的である。

 今では山の上の宗教施設企画はすっかりうやむやになり、それ以外で四次元が6部作ぐらいになっている状況。それならそれでいいのかもしれないが、最後ピシッと決めて完結したかったのに、だらだらと締まりのないままで気持ちのおさまりがつかない。
 読者は何と何が何部作だろうが知ったこっちゃないと思うけれど、本人はずっとモヤモヤしているのであった。






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