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イランとイスラエルはかつて友好国だった ―勇気をもって平和を訴えたイラン系イスラエル人活動家
イランのハメネイ最高指導者は、イラン革命防衛隊のムサビ上級顧問がイスラエル軍の攻撃を受けて亡くなったことを受けて、イスラエルに対する報復を許可した。イランとイスラエルの軍事的緊張が高まり、かりに軍事的衝突になれば、イランが位置するペルシア湾岸地帯からの石油輸入に依存する日本にとって深刻な事態となる。
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現在、イランとイスラエルは激しく対立するが、パフラヴィー王朝時代、イランとイスラエルは良好な関係にあった。非アラブのイラン(ペルシア)とイスラエルは、アラブ諸国に対抗するうえで協力関係にすらあった。また、イランからイスラエルへユダヤ人の移住が行われたが、こうしたイラン出身のユダヤ人も両国の懸け橋の役割を果たしていた。現在、イスラエルには20万人から25万人のイラン出身のユダヤ人がいると見積もられている。イラン革命の指導者ホメイニは、「イスラエルは消滅しなければならない」と唱えたが、それでもなお1980年代のイランは戦争を行っていたイラクとの対抗上、イスラエルを戦略的に必要とし、イスラエルから秘密裏に武器を購入していた。
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イスラエルがイランを警戒する背景にはホメイニなどイラン政府指導者たちのよって唱えられた「イスラエルの抹殺」の訴えとともに、イランの核エネルギー開発を行っていることがある。イランが核爆弾を保有するようになれば、「イスラエルの抹殺」も現実性を帯びることになる。また、イスラエルはパレスチナのハマス、イスラム聖戦、レバノンのヒズボラなど親イランで、反イスラエルの武装組織の活動によって囲まれ、隣国シリアでのイラン革命防衛隊の活動に神経を尖らせている。
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エビ・ナタン(1927~2008年)は、イスラエルの平和活動家で、ヨルダン川西岸におけるイスラエルの入植活動がイスラエルとパレスチナの共存を損なうものとして強く反対し、ハンガー・ストライキまで行った。彼はジョン・レノンの支援を得てラジオ局「平和の声」を立ち上げ、またジョン・レノンの経済支援によって「平和の船」を購入して平和活動を行った。
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エビ・ナタンは、イランのアバダン(アーバーダーン)でユダヤ人の家庭に生まれ、イラン空軍の兵士だったが、1948年の第一次中東戦争で義勇兵としてイスラエル軍とともに戦った。その後、イスラエルのエル・アル航空に勤務した。1966年2月28日、エジプトのポート・サイードに密入国し、そこで逮捕された。彼は、エジプトのナセル大統領にエジプト・イスラエルの和平を訴える書簡を手渡そうとした。その後もアラファトなどPLO(パレスチナ解放機構)の指導者たちと面会し、イスラエル当局によって逮捕され、有罪になったこともあった。ナタンへの支援は、ジョン・レノンにとって彼が理想とする世界平和の達成にとって必要なことと思われたに違いない。ナタンは、イスラエルによる入植地建設に最初に明確に反対した人物で、その意味でもジョン・レノンの支援は画期的なことだった。