「さくらのバラード」と桜を愛でる日本人の穏やかな情感
桜も満開の便りが各地から聞かれる時期となったが、noteに「♬反戦歌&命の尊さを訴えた歌♬」という記事があり、その中に倍賞千恵子が歌った「さくらのバラード」という歌が紹介されていた。
https://note.com/worldpeace2024/n/necce7746ad5a
この歌は山田洋次監督の「男はつらいよ」の挿入歌で(作詞:山田洋次、作曲:山本直純)、寅さんの妹のさくらが兄の寅さんを想う心情を表したものだった。「男はつらいよ」シリーズでは第16作の「葛飾立志篇」の冒頭の夢の部分で歌われるのみだ。反戦歌というわけではないが、兄想いという点で、命の大切さを訴えた歌の範疇に入るのだろうか。
江戸川に雨が降る
渡し舟も 今日はやすみ
兄のいない 静かな町
どこに行ってしまったの
今ごろ なにしてるの
いつもみんな 待っているのよ
そこは晴れているかしら
それとも冷たい雨かしら
遠くひとり 旅に出た
私のお兄ちゃん
どこかの街角で
みかけた人はいませんか
ひとり旅の 私のお兄ちゃん
アメリカの首都ワシントンでタクシーに乗ると、アメリカ人ではないアフリカ出身の移民のドライバーたちも、ワシントンの桜を贈ったのは日本だと知っていた。ワシントンの桜をめぐるエピソードは現地で広く知れ渡っているようだった。
1912年に日本からワシントンに桜を贈ったのは、当時の東京市長であった尾崎行雄(1858年~1954年)だった。静岡県の興津園芸試験場で接ぎ木という方法で育てられた、丈夫な苗木6、040本をワシントンに送った。一本も病虫害の被害を受けていなかったそうだ。
尾崎行雄はその後1919年に第一次世界大戦後のヨーロッパを視察し、「戦争は勝っても負けても悲惨な状況をもたらす」と平和主義、国際主義の必要を説いた。「国家至上主義は利己的で、狭い利益にとらわれた島国根性」「国家同士が互いに自国の利益独占を求めれば、当然そこに衝突が生じる。それではいつまでたっても戦争はなくならない。今求められるのは、国家至上主義ではなく国際協調主義であり、愛国心ではなく人類愛である」と主張した。日本に観桜にやって来る外国人観光客も増えていると聞く。ワシントンの桜のように、桜は日本と諸外国との友好のシンボルであり続けた。
平安末期の歌人・西行(1118~1190年)の歌に「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃」(願いが叶うならば春の桜の下で死にたいものだ。できれば草木の萌え出る如月(陰暦2月)の満月の頃がいい)という辞世の歌がある。西行は仏道と和歌に励んだ人だったが、この西行の短歌と似たイランの詩に「ふたりの友よ、私が死んだら、その墓は砂漠ではなく、クトラップに掘っておくれ。大きな石など積み重ねずに、ぶどうの園のなかほどの、ブドウ搾りの足音の聞こえるところ・・・。」というものがある。クトラップは、バグダード北西郊外に広がる有名なブドウ園で、この詩はブドウ酒を造るために人びとが足でブドウの実を足で踏みつぶす音を、墓の中でも聴いていたいという願望を表している。(宮城学院女子大学名誉教授・山形孝夫氏の紹介による)
花は平和と愛のシンボルであり続け、花を愛でるには社会の安定や平和が前提であることは間違いない。
わたしたちが正しい場所に
花はぜったい咲かない
春になっても。
わたしたちが正しい場所は
踏みかためられて かたい
内庭みたいに。
ーイェフダ・アミハイ「わたしたちが正しい場所」
この詩はイスラエルの作家アモス・オズの著書『わたしたちが正しい場所に花は咲かない』の冒頭で紹介される詩だ。私たちが絶対に正しいというのはイスラエルの極右勢力を彷彿させるが、それがガザの悲劇の背景にもなっている。
桜の花など日本の自然の美は、アフガニスタンのような戦乱が続く国の人々からは憧憬をもって見られるだろう。シャンティ国際ボランティア会のページにアフガニスタンの詩人ハビブラ・ズラ・スワンド・シンワリさんの作品が紹介されている。
日本の河や島、自然の美しさが日本の力の源である。
日本はアフガニスタンと同じように戦争の惨禍を経験したが、
神は日本を戦争から蘇らせた。
日本がこれからも平和な国でありますように。
私たちは日本の美と栄光を決して忘れない。
(宮田加筆・修正)
「美しい日本」とは本来、イスラムの「楽園」のイメージにあるような戦争もなく、花々が咲き乱れ、水が豊かに流れ、秋には豊穣な収穫があるというものだろう。下は、室生犀星の『桜と雲雀(ひばり)』という短い詩も日本の平和な情景や情感を表している。
雲雀ひねもす
うつらうつらと啼けり
うららかに声は桜にむすびつき
桜すんすん伸びゆけり
桜よ
我がしんじつを感ぜよ
らんまんとそそぐ日光にひろがれ
あたたかく楽しき春の
春の世界にひろがれ