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「占領下にある人々の「自由 Liberté」と聖地管理を要求するプーチン大統領」

 フランスの詩人ポール・エリュアールは第二次世界大戦中にドイツの占領に対するレジスタンス(抵抗)運動に身を投じ、次の詩「自由」をつくったが、この詩は占領下のフランスにあって人々に将来への希望や勇気を抱かせ、多くのフランス人に親しまれ、愛されていった。

ポール・エリュアール夫妻 https://www.pinterest.jp/pin/696439529865027702/


「自由 Liberté」ポール・エリュアール(Paul Eluard)安藤元雄訳(抜粋)

学校のノートの上
勉強机や木立の上
砂の上 雪の上に
君の名を書く
読んだページの上
まだ白いページ全部の上に
石 血 紙 または灰に
君の名を書く
金色の挿絵の上
兵士たちの武器の上
国王たちの冠の上に
君の名を書く
一つの言葉の力によって
僕の人生は再び始まる
僕の生まれたのは 君と知り合うため
君を名ざすためだった
自由 と。

 2022年2月にウクライナ侵攻を開始してからロシア兵の戦死者数は最大で7万人とも見積もられている。
 これらの死に意義があったかと家族などが問えば、回答を見つけるのは困難だろう。ロシアでは春と秋の年2回に18歳から27歳の男性が招集される徴兵制がとられているが、高等教育機関に進学すれば、徴兵を免れるので、富裕層は兵役を逃れることになる。ウクライナ侵攻によって科せられた経済制裁の影響を最も被るのは貧困層であることは間違いなく、プーチン大統領の名誉や権力欲など個人的感情によって始められた戦争はロシア社会の最も弱い階層を直撃している。

 22年4月中旬、プーチン大統領はエルサレムの聖アレクサンダー・ネフスキー教会の管轄権を譲渡するようにイスラエル政府に要望書を送った。この要望書はイスラエル政府がロシアの戦争犯罪を非難した後にその報復として送られてきたものだった。さながらクリミア戦争(1853~56年)の背景となった聖地管理問題の再現のようであり、現代におけるロシア帝国主義の復活のようでもある。

 オスマン帝国は1535年にフランスと対ハプスブルク帝国同盟を結んだ結果、エルサレムの管理権をフランスに与えたが、ロシアは露土戦争(1768~74年)の結果、結ばれたクチュク・カイナルジ条約によって認められたオスマン帝国領内のギリシア正教徒保護権を盾に1808年にエルサレムの管理権を要求して、それを獲得した。フランスは、1852年にナポレオン1世の甥のルイ・ナポレオンがクーデターによって皇帝に即位すると、フランス国内のカトリック教徒の支持を得ようとして、オスマン帝国に対して聖地管理権を要求してロシアから奪回した。これに対してロシアはギリシア正教徒の保護と聖地の管理を要求して、1853年にオスマン帝国に対して宣戦布告してクリミア戦争となったが、ロシアの地中海地域進出を警戒するフランスとイギリスはオスマン帝国の側に立ってロシアに宣戦した。

「世界の歴史まっぷ」より


 クリミア戦争でロシアは敗北し、その結果締結されたパリ条約でロシアは聖地管理権を失い、フランスの管理権が確保された。クリミア戦争は帝国主義諸国間の戦争であり、クリミア半島の5万人のロシア軍兵士が守備するセヴァストーポリ要塞を、イギリス2万、フランス3万、オスマン帝国6000の兵力で1年近くかかって陥落させた悲惨な戦争であった。

エルサレムの聖アレクサンダー・ネフスキー教会 https://www.tripadvisor.com/LocationPhotoDirectLink-g293983-d7359120-i164723663-Church_of_Saint_Alexander_Nevskiy-Jerusalem_Jerusalem_District.html


 アレクサンダー・ネフスキー教会には1887年のロシアの考古学者たちの発掘調査によれば、キリストがゴルゴダの丘まで十字架を背負って歩いた際にくぐった凱旋門の一部が遺されているとされるが、イスラエルは教会がある東エルサレムを占領しているのであって、本来の主権はパレスチナ人にあり、ロシアがイスラエルを交渉相手とするのはその意味でも筋が通っていない。

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