
昭和と令和で「勇気」の使い方が変わったように感じている50代
勇気という言葉の使い方が変わったような気がします。
W杯バスケットやラグビー、バレー女子などスポーツが目白押しとなっています。世界レベルで戦う日本選手を毎日楽しみにしていますし、選手や監督からどのような言葉が出てくるのか?いつも気になっています。
世界で戦う選手たちなので、凡人のおじさんには計り知れない「何か」と向き合っていることと察し、尊敬の思いしか出てきません。
勇気を持って挑もう、勇気を持って勝負に行こう、など「勇気」という言葉は常套句ではありますが、ちょっと昭和の勇気と令和の勇気は意味合いが違うような気がしました。
勇気の意味を調べると
・ものおじせずに立ち向かう気力。
・いさましいこと、力量がすぐれて強いこと、心が強く物事に恐れないこと
・思いきりのよいこと、いさぎよいこと
また、こんな意味も載っていました。
・不安や恐怖、躊躇(ちゅうちょ)あるいは恥を恐れる事なく、自分の信念に向かっていく積極的で強い意気込み
意味の量が多い言葉なので、使われた場面で推測しながら意味を考える必要はありますが、私の感じている使い方で比べると
昭和の頃は、勇ましいこと、力量が優れていて強いこと
これがメインの使い方だったような気がします
アンパンマンの歌も、勇ましいことを歌っているように感じますし、
勇気をもらう、勇気を持つ、勇気を与えるなど、エネルギーを象徴していたような印象を持っています。
ここ数年、主にスポーツ番組のインタビューで聞く勇気は
・恥を恐れる事なく、自分の信念に向かっていく積極的で強い意気込み
という意味で使われるような気がします。
勇気を持って挑もう!
勇気を持って勝負しよう!
そんな意味合いが強く使われているような印象を受けています。
リゲイン世代なので24時間戦えるのが、かっこいいイメージでした。
勇気=恐れないという意味で使うことが多かったのですが
ここ数年、勇気=プライドという印象があります
試合している姿に、いつもエネルギーをいただき、新しい気づきをいただき、感謝しながら試合を見せていただいております!!