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【弁護士の受験論】受験とは信用を貯めるためのチート装置という話

こんにちは!
弁護士の宮田です。

今日はあらゆる受験生に向けて「受験とは信用を貯めるためのチート装置」という話をしようと思います。

意味不明ですね。笑

受験勉強をしていると、

「こんな勉強意味があるのかな」

「自分のやりたいことと違う」

「もっと他のことがしたい」

そんなふうに思うことがありますよね。

わたし自身、司法試験受験の際にはそうしたことを思い、一度司法の道を諦めたこともあります。

司法試験の勉強って、はじめは楽しんですけど、あるタイミングから本当に苦痛になってくるんですよね。

そこで、今回はそうしたモヤモヤとした受験の悩みを解決するために、わたしが考えている受験に対する考え方を書いていこうと思います。

いま受験生で悩んでいる方に内容が届いてくれれば嬉しいです。

他にも、ビジネスに通じる部分もあるので、興味ある方はぜひ最後まで読んでみてください!


|受験というのはそもそもが非人間的な営み


まず大前提として理解しておくべきこと。

それは、受験というシステム自体がおよそ人間の通常の生活とはかけ離れた、非人間的な営みであるということです。

受験が非人間的・・・???

そうです。

基本的に受験というのは、知識を詰め込み、それをなんらかの形で測定するという形を取りますが、人間の普通の生活はそんなものに対応していません。

人間であれば、いろいろなことに興味を持ちますし、それを知っては忘れていく。

そうしたことが通常の人間の生活です。

忘れることによって、人間の生活は成立していると言っても過言ではありません。

ところが受験界は違います。

忘れていないことが何よりも重要なこととされるのです。

記憶を定着させるために、同じ本を何度も読んだり、問題を解いたり、

普通の生活では考えられないようなことを平気で行っているのが受験という営みというわけです。

わたしも司法試験のために6回7回と同じ本を読みましたが、そんなこと日常生活では考えられません。笑

ショート動画でもそんな回数を見ることはないでしょう。

まずはこの異常性のようなものを理解することが大切です。


|そんな受験に対して本質的な意義を見出すことは不可能


前提がそんな人間生活からかけ離れたものなので、受験ということに本質的な意義を求めることは不可能です。

「自分が心から学びたいことを学ぶ時間だ」

「将来困っている人を助けたいから、そのために民法を学ぶ」

初めはそう思えたとしても、受験の本質というのは結局「知識の定着ゲーム」にすぎないので、

最終的には「繰り返して覚える」だけの時間に突入します。

ある程度記憶が定着したら、深い理解を追求する時間もくるのですが、それでも記憶の定着がメインの時間です。

受験勉強そのものに対して意味を見出そうとする人はここで挫折します。

わたしもその1人でした。

初めの勉強はとても楽しく意味も感じられたのに、次第に日々の勉強がなんの役に立っているか全くわからなくなってしまうのです。

そして、意義が見出せないからここでやめてしまうわけです。

では、どう考えればいいのか?

|受験を信用を貯めるためのチート装置と考える


わたしが出した答えはこれです。

受験というものを、信用を貯めるためのチート装置と考えるのです。

どういうことか。


|人は誰しも「信用」を頼りに生きている


まずは前提を。

人間は毎日生きるために凄まじい量の判断を迫られることになります。

今日食べにいくもの

見る動画

言うことを聞く相手・・・

あげだしたらキリがありませんが、

人は毎日信じられないくらいの判断・決断をしているわけです。

ですが、その1つ1つをすべて1から考えて判断してるかというと、実はそういうわけではありません。

あなたが今日とった行動を振り返ってもそうだと思います。

食べに行くものを決めるためには、googleや食べログを使って、すでになされたレビューを見るわけです。

そして、ある程度の評価が蓄積しているものを選ぶ。

動画を見るにも、全く無名の人の動画を見るわけではなく、

チャンネル登録者数が多かったり、バズっていたり、すでに何らかの保証がされているものを見る。

言うことを聞く相手もそうだと思います。

あなたは全く無名の人の言うことではなく、あなたにとって意味のある実績を持つ人の言うことを聞くでしょう。

そうです。

毎日の行動を振り返っても、

人はすでに存在している「信用」というものを頼りに、あらゆる判断・決断をしているのです。

これは別にそれぞれの人が思考停止していたり、ミーハーだからというわけではありません。

人間社会がそうした仕組みを採用したというだけの話です。

そうすることによって人は他の部分に頭を使えて、幸せに暮らすことができているというわけです。

昨今、「好きなことで生きていこう」とか、「会社に依存しない生き方を」みたいなことが流行っていますが、

それは大切だとしてもまずはこうした仕組みを理解しなければなりません。

「信用」という貯金がない人は、まず誰からも相手にされません。

というより、「誰も相手にできない」のです。

人間は1から全てを自分で判断することなんてできないからです。

まずはこの現実に目を向ける必要があります。


|受験という装置を利用する側に回って信用を積み重ねる


ここからが本題です。

誰しも「信用」というものを頼りにあらゆる判断・決断をしているという話を書きましたが、

これを積み重ねることは本当に大変なことです。

好きなことをして生きていくにしても、会社に依存せず生きていくにしても、まずはとにかく実績づくり、要は信用づくりをしなければなりません。

そのために色んな下積みを行うわけですね。

・したくない仕事でも受けてみて、小さな実績を作っていく

・安くこき使われるとしても、実績のために我慢をする

・とにかく実績のために3年は我慢する

こんな感じです。

わたしの周りでもフリーランスで頑張っている人がたくさんいますが、皆さんここで苦労するわけです。

しかし、この社会には比較的簡単にこの「信用」という貯金を得られる救済策のような仕組みがあります。

やっときました。

それが「受験」というわけです。

歓喜です。

受験とは、ここまで再三説明してきたこの「信用」とやらを得るための絶好の装置なんですね。

受験というマシーンに、「勉強時間や成果」を投入すれば、「信用」というものが返ってくるのです。

わたしの中ではそういう自動販売機のようなイメージです。

チャリンチャリンと「勉強時間・成果」を投入すれば、ガランゴロンと「信用」という「お金を稼いだり自由になったりできる商品」が手に入るわけです。


これは何とも不思議な制度です。

わたしの場合だと、「1日10時間・2年間の勉強」と「ある程度法律問題を解くことができる成果」をチャリンチャリンと投入したところ、弁護士というある程度自由になることができる「資格=信用」が手に入ったわけです。

そして現在、この「資格=信用」のおかげで、組織にも頼らず、自分のしたい分野でしたい仕事が心置きなくできているわけです。

毎日本当に楽しくやりがいのある仕事ができています。

けれども、全く同じ勉強をして法律知識があったとしても、受験という装置を経由していなければこのような「信用」は得れません。

そう考えるととても不思議なのですが、

なぜか今の社会はそうした仕組みを採用しているのです。

(ちなみにわたしも制度論としては学歴や資格社会というのは反対なのですが、現状を幸せに生きるためには利用するほかありません制度批評と人生戦略はしっかりと区別することが重要です。

そしてもう一つ。

現状、受験ほど費用対効果のいい信用取得手段はないと思います。

受験はチート装置なのです。

自販機に100円しか入れていないのに、高級車無料チケットに海外旅行券、一生食べるに困らないくらいの量の食べ物が出てくるくらい高配当です。

繰り返しになりますが、信用を1から築いていこうとなると、本当に地道で苦しい日々が待っています。

そんなことなら、なぜかわからないけど現状高配当になっている「受験」という装置を使って、「勉強時間」を「信用」に変換しておく方がいいに決まっています。

(ですし、なんだかんだで受験で勉強したものは意外と役に立ちますしね。)

なんだか社会制度としては不思議で不合理なところもある制度ですが、

どんな時でもその仕組みを上手に味方につけられる人の方が充実した幸せな人生を歩めます。

受験というものを信用作出装置と捉え直して、それを上手に利用する側に回る。

ぜひそうした視点を持つのはどうでしょうか。

|まとめ


これまで見てきたように、受験なんていうのはそもそもが非人間的なもので、本質的な意味なんてのは見出せるものではありません。

けれども、なぜか社会の仕組み上「勉強時間や成果を信用に置き換える装置」になっているわけです。

それもチートのような配当率です。

だからこそ、受験生は「受験勉強とやりたいこととの結びつき」といったことは一旦置いておいて、この高配当装置によって「信用」を貯めることに専念すべきです。

こんな制度バカらしいなあと思いながらもさっさとそこはクリアしてしまって、

手に入った「信用」を使って、将来自分のしたいことにブーストをかければいいのです。

一つ補足ですが、

受験という自動販売機は、合格しない限り、1つのおまけ商品も出してくれません。

合格に達しなかった場合には、そこまで投入した時間もお金も全て飲み込まれてしまうわけです。

もっと言うと、それまでに飲み込まれた時間やお金が多ければ多いほど、その自動販売機の景品である「信用」は価値が高まってくるのです。

残酷ですがこれが現実です。

だからこそ、とにかく「信用」という「自由になるための商品」を勝ち取るためだと割り切って、勉強に励んでほしいです。

制度自体がいびつなので、そこはもう思考停止の方がいいです。

これがわたしの受験に対する考え方でした。

受験の苦しみは誰よりもわかっているつもりなので、もし悩んでいる人・相談したいという人がいればいつでもXのDMをください。

いつでも相談に乗ります。

ではまた次回。

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