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【小説】さめたてほやほや

 ううう。

 頭が痛い。

 身体も軋んで思うように動かない。

 なんとか重い目を開くと、視界に入ってきたのは真っ白な世界。

 これは…まさか…

 キタコレえええええええ!!!

 気づいたら知らないところにいたなんて、異世界転生しかないだろう!!!私も流行りに乗ったのだ!

 両手で自身の体中を弄ってみるが、触った感じ、特に変化は感じられない。掌を見てみると、私の手相の特徴であるますかけ線がしっかり刻まれていた。これは、転生ではなく転移か?

 私はこの世界にくる前のことを思い出そうとする。しかし、頭が痛くて、うまく考えられない。

 過去のことを思い出そうとすると、頭が痛くなるなんて、これ絶対に異世界だ間違いない。

 白い空間といえば、今から神様か女神様かに会って、チートな能力を授けられるのだろう。

 キョロキョロと辺りを見渡す。

 空間にはテーブルと、今、私が横たわっているソファのみ。

 テーブルにはいくらかの小銭と白い紙切れが置いてある。

 小銭は100円が2枚に、10円が4枚。この世界でも通貨は円なのか。最初の所持金にしては少なすぎやしないか?

 そんなことを思いながら、紙切れに目を通す。

 領収証。760円。××タクシー。××年7月1日。

 …

 …

 …

 私は昨日はわが社の上半期の納会のため、居酒屋で飲んで、飲み足りない部下と2軒目に行き、お局さんがキャバクラに行ってみたいと言い出して、それから、それから、どうしたんだっけ?

 って、この白い部屋、オフィスの私の部屋、つまり社長室ではないか!

 つまりはこういうことだ。昨日飲みすぎてタクシーでオフィスまで戻ってそこで寝てしまった、と。

 なんだよ、ただの二日酔いかよ、紛らわしいことするんじゃねえよ。あはははは。あー、今日は休日だから誰も出社してないよな。しまったしまった、最近こんなことなかったんだけど。業績が好調で浮かれてしまったかな。

 さて、帰るか。今、何時だろう。

 ソファから降り、靴を履き、スマートフォンを探すが、見当たらない。それどころかカバンもない。

 え、荷物…どこ?

 休日の誰もいないオフィス。電話もなければ財布もない。

 あるのはテーブルの240円だけ。

 とりあえず、会社の電話でタクシー会社に電話しよう。社長室から出て、オフィスの電話に手をかけようとしたそのとき。

 オフィス中の電源が落ちる。

 これは、なんだ?なんでこんなこと?

 まさか…ドッキリ?社員たちが私にドッキリでも仕掛けてるのか?いくら私がサプライズ大好きだからって、こんなことまでして、もう、みんな、悪ふざけはそこまでにして、そろそろでてこいよー。

 少しの静寂ののち、おれは走り出した。

 オフィスの扉を開け、エレベーターのボタンを連打する。しかし、反応ははない。ここは11階。非常階段を駆け降り、地上階までたどり着く。

 薄暗い廊下を抜け、入口の扉を開ける。

 そこは、見慣れたオフィス街が広がっている。

 よかった。

 私は安心したのか、腰が抜け、肩で息をする。

「おじちゃん、大丈夫?」

 急に声をかけられ、ビクッとする。声の主は、幼稚園くらいだろうか、メガネをかけて、紺色の短パンに黄色い半袖シャツ、リュックをさげた年端も行かない少年だった。

「ああ、ちょっと、走って、疲れただけだ」

「すごいビチョビチョ」

 少年に言われて、自分が汗だくなのに気づいた。そして、同時に喉の渇きを覚える。視線の先に見える歩いて数十秒の隣りのビルの下にある自販機が遠く感じる。

「なあ、坊や、お願いがあるんだが、そこの自販機で、飲み物買ってきてくれないか」

 手に持っていたなけなしの小銭を差しだし、お願いする。

「いいよ。なにがいい?」

「お茶か、お水を頼む」

「わかった」

 少年が自販機に駆けていく。その後ろ姿を見つめながら、あんなに小さい子だと、この距離でも時間がかかるものなのだな、と思っていると、少年は目いっぱい背を伸ばし、小銭を入れる。あの子にとっては投入口はギリギリの高い場所になるのだ。申し訳ないことをした。飛び跳ねてボタンを押し、出てきたペットボトルを両手で抱え、一生懸命に走って持ってきた。

「はい」

「悪いね。ありがとう」

 ペットボトルの水を受け取ると、フタを開け、口をつける。ゴホッ。買ったばかりだというのに温い。補充されたばかりだったのか。冷えてるとばかり思って、驚いたが、この際、どうでもいい。

 二口、三口。ゴクッ。ゴクッ。ゴクッ。

 はぁ。

 体中に水分が駆け巡るのがわかる。

「助かったよ。今、手持ちがなくて、何もしてあげられないんだけど、必ず、お礼をするよ。君、どこの子?」

「んー、ここ?」

 少年はビルを指さす。

 このビルは商業棟で、住居はないはずだが…

「お父さんかお母さん待ってるの?」

「うんん」

「じゃあ、どうしてここに?」

「おじさん、待ってた」

「…え?」

「ねえ、おじさん、世界を救って!」

 これは…どういうドッキリなのだろう?

「おじさん、聖水飲んで全回復した。この塔を踏破して、世界を救って!」

 この子が言うには、今、世界は秘密結社によって支配されていて、そのボスがいるのが、このビルの最上階24階らしい。各階にはフロアボスがいて、そいつらを倒しながら、最上階のボスを倒せば、世界は救われる、らしい。

 これ、なんのゲーム?

「あー、おじさん、武器持ってないから、ちょっとムリかな」

「だいじょうぶ!」

 少年はいつの間にか、剣と銃とペットボトルを並べていた。

「これは…この中からどれか選べ、ってことかな?」

 剣と銃はさておき、ペットボトルでどう戦えと?いや、剣も銃も使ったことないけど。

「うんん、ぜんぶ持っていっていいよ」

「おお、それはラッキー!…なのか?」

「僕もついて行くから困ったらなんでも相談してね」

 斯くして、私の世界を救う戦いが始まった。

 剣を右手に、銃を左手に、ペットボトルをお尻のポケットに差し、ビルの中を進んでいく。ザコ敵が現れるのかと緊張して進んでいったが、その様子はない。そして、フロアボスを名乗るしゃべる機械とバトルをする。

 正直、生き物、それも人が敵だったらどうしようと思った。もしそうなら殺すことができるのか。いらぬ心配をよそに、剣を叩きつけ、装甲の隙間に向けて銃を放つ。

 最初はそんな戦法で勝ち進んだが、次第に敵も強くなってきた。その度に少年が便利なアイテムを授けてくれる。まるでドラえもんだ。のび太くんみたいな見た目のくせして。

 どうせなら、どこでもドアでも出してもらって、最上階まで楽に行きたいものだ。

 私の会社のオフィスがあった11階はセーフティゾーンらしく、そこで休息を取った。電気が止められているため、冷蔵庫に入っていたドリンクも冷えていない。温い飲み物と来客用のお茶請けで小腹を満たす。

 尋ねてみたのだが、少年は食べ物は持っていないらしい。そこで気づいた。

「ほら」

「え?」

 私は持っていたお茶請けの菓子を差し出す。

「腹、減っただろう?食え」

 少年は無言で受け取り、小動物のようにモグモグと食べ進める。

 そのあとも、順調に戦いを進め、ついに最上階へたどり着いた。

「いよいよか。ここに秘密結社のボスがいるんだな。さっさと倒して、世界を救おうぜ」

 そう言って少年に目をやると、彼は俯いていた。

「どうした?」

「僕なんだ」

「なにが?」

「ラスボス」

「は?お、おい、なんの冗談だよ、だって、」

「僕、イジメられてて、こんな世界なくなってしまえばいい、って思って、そしたら、誰もいなくなって、ずっと待ってたんだ、誰かがくるのを」

「おれはどうしたらいいんだ?」

「やっつけてほしい」

「だって、それじゃあ」

「お願い。僕、もう疲れちゃった」

 よくわからないまま目を覚まして、よくわからないまま戦い続けて、それで、よくわからないままこの子に手をかけるのか?それが世界を救うということなのか。

 少年は自分の頭に銃口を突きつける。

 どうする?どうすればいい?

 なんで私がこんな目に遭わなくてはならないのだ。

 疲れたのはこっちだ。慣れないことして階段使って登ってきて。エレベーターの有難みを実感したよ!

 冷蔵庫の有難みも、空調も、電話も、何もかも。当たり前のように過ごしてきた日常には、当たり前じゃないものが溢れて、感謝が足りなかったのか、神様?

 今からでも感謝する。どれだけでも感謝する。土下座で感謝する。逆立ちでだってできる。だから、どうにかしてくれよ。

 おれはそんなこと思いながら、右手に力を込める。

―パンッ―

 乾いた音がこだまする。

 おれの手はビチャビチャに濡れていた。

「お前、これ、炭酸かよ」

 ポケットにしまってあったペットボトルは泡を立てて溢れだし、少年の頭に降り注いだ。

「急いで来たからな、ずいぶん、振っちまったんだな、すまんすまん」

「どうして?」

「まだお礼してないだろ、水の。食べ物の恩は食べ物で返す、それはおれの流儀だ」

「お菓子、もらったけど」

「それは、あれは、貸しだ、菓子だけに」

「…」

「笑えよ」

「飲み物だったけど」

「じゃあ、飲み物で返してやるよ。温いやつなんかじゃなくて、キンキンに冷えた、冷めたてほやほやのやつをな」

 こうして、私の異世界生活は幕を開けた。

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