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【小説】お前らが知らないだけ

 ステージからいちばん遠い入口の壁面にもたれかけ、一生懸命に笑顔で歌い踊るアイドルを見つめる男。それは、僕。

 ステージの前では、熱狂的なファン、俗に言うヲタクたちが声を、拳を振りあげて熱心に応援している。その熱気は取り換えられたばかりの最新式エアコンでも抑え込めないほどで、湯気だってさえ見える。

 ここまで人を熱くさせる彼女たちでも、世間的に見えれば、まだまだ売れないアイドルなのだ。毎日毎日、血の滲むような努力を重ねているにも関わらず。

 そんな彼女を、僕は見守ることしかできない。


 僕の彼女はアイドルだ。

 アイドルは人気商売。恋人の存在に勘づかれるわけにはいかない。だから、ふたりの関係は絶対に秘密。外でのデートなどもちろん御法度で、付き合ってからというものの、互いの家に通い合うぐらいしかしていない。

 仕事熱心な彼女は、休みの日だって、個人練習は欠かさないし、ブログやSNSもこまめにあげている。その隣りで、ときには愚痴を聞き、ときには励まし、ときには他愛もない話で息抜きをする、そんなふうに過ごしてきた。

 不満はない。彼女の支えになれるのならば、それが僕の幸せであり、恩返しなのだ。なにせ、僕は彼女に救われたのだから。


 ライブが終わり、客席に明かりが灯る。

 場内ではステージの前に机が並べられていく。これから、アイドルたちとの撮影会が始まる。

「きてたんですねえ」

 声のする方へ目を向けると、黒髪長髪、黒縁眼鏡、中肉中背、色白猫背の男が立っていた。

 彼の名は“くまぽん”。みんながそう呼んでいる。熊というほど大柄でもないので、おそらく名前に熊がつくのだろう。あだ名を意識してか、いつも熊のイラストがプリントされたTシャツを着ている。僕が知るかぎりでも、20着は持っているのではないだろうか。

「今日もよいライブでしたねえ」おっとりした口調の彼の言葉に相槌をうちながら、ドリンクを流し込む。

「アイアイ、気合入ってましたが、良いことでもあったんですかねえ。もちろん、うちのみのりんも絶好調でしたがあ」

「そうですか?」内心ドキリとしながら言葉を返す。

 アイアイとは、アイコ、僕の彼女のこと。

 誤解されたくないが、僕らは決して、アイドルとファンとしてつながったわけではない。

 アイコは真面目な性格で、応援してくれるヲタクたちの期待を裏切るようなことは絶対しない、根っからのアイドル気質なのだ。


 出会いは本当に偶然。

 営業の途中、昼食を取るために立ち寄った食堂で、彼女が働いていた。彼女は、昼はアルバイト、夜はアイドルと、二足の草鞋を履いていた。

 その頃の僕はといえば、無気力にただなんとなく過ごすだけの、夢も希望もない毎日を送っていた。
ろくな趣味もなく、休みの日もただ家でぼうっとして、気付けば日が暮れるような日々。

 そんな僕は、昼どきの忙しない食堂で、笑顔を忘れずに働く彼女の姿にドキッとした。

 食堂に足を運ぶようになった僕は、軽い世間話を話す程度には常連になっていた。彼女に影響されたのか、笑顔で営業するようになっていた。

 毎日に楽しみを覚え、仕事も捗った。彼女は、なにもなかった日常から僕を救い出してくれたのだ。


 ある日、仲良くなった営業先の担当にアイドルのライブに誘われた。断り切れず足を運んだ先で、どうしたらいいかわからず立ち尽くし、ただただテージを眺めていたとき。

 彼女によく似た女の子がステージにいた。華やかな衣裳と少し派手めな化粧ではあるが、食堂のときと同じように、常に笑顔を振りまく姿は彼女に違いなかった。

 場内ではアイドルたちがやってきて、撮影会がスタートしていた。


「行かないんですか?」と声をかけてきたのは、高身長、瘦せ型、無表情な男。このグループのマネージャ大山だった。

 営業熱心な彼は、僕のように列に並ばない者に対して声がけをする。

「アイアイ、列空きそうですよ?」
「そのうちに」
「お願いしますね」

 大山は表情を崩さず、次の客へと向かった。営業スマイルの“え”の字もないクールな声がけ。アイドルの笑顔とは天と地の差がある。もしかしたら、アイドルの笑顔を引き立てるためにわざとやっているのかもしれない。

 アイコは、誰にでも笑顔を崩さない。しかし、心の奥底では不安を抱えていた。


 ライブで“アイアイ”を見かけた次の日、僕は食堂へ行った。彼女はいつも通り、元気に働いていた。僕の顔を見ても、いつもどおりの笑顔で挨拶してくれた。あれだけ客がいたんだ、僕の顔まで覚えてるわけがないか、いや、そもそも他人の空似かもしれない。

 食事を終え、会計に向かう。

「ごちそうさま。じゃあまた」と暖簾をくぐろうとしたとき、彼女が駆け寄ってきて、恥ずかしそうに囁いた。

「昨日のこと、内緒にしてもらえますか?」

 アイコは、食堂の人たちにもアイドルをしているのを話していないらしい。

 僕はコクリと頷き、店をあとにした。

 それからも変わらず、僕は食堂に通い、彼女は働き続けた。


「おまたせー。どうぞー」

 みのりんの列に並んだ僕に順番が訪れる。撮影を終えると、サインを添えてくれる。それを書く数分の間、アイドルと1対1で喋ることができるシステムだ。

「アイアイとまだ撮ってないでしょー?ちゃんと撮ってあげなよ?」
「このあとね」
「アイアイの推しは控えめさんが多いなー」
「いや、おれは別にそういうんじゃないから」
「そうなの?」

 サインを終えたみのりんは僕にフィルムを手渡し、手を振って送り出す。


 あの日、秘密を共有した僕たちは、少しずつ、お互いのことを話すようになっていき、次第に彼女の悩みも聞くようになっていた。

 八方美人だのなんだの、陰口を叩くやつがいて、彼女は自信をなくしていた。僕は、そんなやつの言葉なんて聞く必要ない、そんな君が素敵だし好きだ、と想いの丈をぶちまけていた。

 彼女は、気持ちは嬉しいが、自分はアイドルだからその気持ちに応えることはできない、と言った。そう、彼女は真面目なのだ。だから僕はこれまでと変わらず接してもらえるよう、お願いした。

 お互いになんともない顔をして半年を過ぎた頃、彼女の心は決壊した。突然の連絡に駆けつけると、彼女は泣き腫らし、過呼吸気味になっていた。そこで誓った。今度は僕が彼女を救うと。

 そして、僕らは付き合った。


 撮影が終わらないうちに帰る支度をする。今日はひさしぶりに彼女がくる。彼女を労う準備をしなくてはならない。

 こうして今日も秘密を守り、彼女を守るのだ。お前らが知らないだけで。

☆☆☆☆☆☆☆

「くまぽーん!」

 みのりは何度目かの撮影に訪れたくまぽんを手招きで呼び寄せる。そして、ふたりして同じ人物を見つめる。

「今日も律儀に全員のところ回ってたよー」
「素直になればよいのにねえ」
「それは本人たちの勝手です」

 大山が無表情なまま口を挟む。

「そうですけどー」
「幸せになってほしいじゃないですかあ」
「秘めたる恋ほど熱く燃えあがるものなのです」
「大山さん、おもしろがってませんー?」
「別に」
「あ、今、ちょっと笑いましたねえ」
「笑ってません」
「うち、別に恋愛禁止じゃないし、なんなら、アイアイにはそろそろ落ち着いてほしいと思ってるんだけどねえ」
「ファンを代表して同意ですねえ」
「運営も右に同じく」

 そう、この恋は公然の秘密なのである。お前らが知らないだけで。

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