【小説】月がキレイ
「月が綺麗ですね」
歩みを進めようとする彼女を呼び止めて、そう切り出す。
しばらくの間、会話もなく歩いて、突然、そんなことを言い出したのだ。女はぽかんとした表情で男を、そして、空を見つめている。
空はどんよりとした雲に覆われていて、拡散した光によって夜だというのに白く煙って見える。
「どこですか、お月様?」
男はすかさず訂正する。
「あー、ごめん、今日は出てない」
女は納得したかのような晴れやかな表情で返事をする。
「あ、いつも、ってことですか?どんな月が好きなのですか?満月?三日月?」
男は歩き出す。女のそのあとに続いて、少し遅れ気味に足を運ぶ。
「どんな月でも、好きです、大好きです。いつでも、どこでも」
「相当お好きなんですね」
その言葉を最後に、再び沈黙が訪れる。
足音が夜空にこだまする。その音に責め立てられるかのように男は再び、言葉をかける。
「夏目漱石って知ってますか?」
少し考えるそぶりを見せてから、女は切り出す。
「うーん、知り合いにはいないです」
男は肩を落とし、そのまま口をつぐんでしまった。
そのまま、歩いていると、女が立ち止まる。男はそのことに気づかずに歩みを進めていく。
「月」
女は男の背中に向かって、言い放つ。
「月が綺麗ですね」
男は空を見上げる。
空は、相変わらず白く煙っていた。