【随筆】人称と認証の話
あなたは一人称に何を使ってる?
「わたし」「わたくし」「あたし」「うち」「おれ」「おいら」「おら」「わい」「わて」「ぼく」「じぶん」「ミー」「わし」「せっしゃ」「それがし」「われ」「わらわ」などなどなど。あとは名前を一人称にする場合もあるかな。
今まで観察、体験してきた中では、多くの人は、相手との関係や状況、精神状態によって変わってきますが、なるべく一つのものを使う傾向にあるように見受けられます。
あたり前だろ。と思われるかもしれません。むしろあたり前か。確かに一人称でその人のパーソナリティが垣間見えてくる気はします。
「おれ」って人は気が強そうな気がするとか、「わし」って人は年齢や経験を重ねている気がするとか。たぶんそういった認証があって、その想定を持ってして人と接してるんだと思うのです。
だから、なんですが。
僕、一人称を固定することに妙な抵抗を感じてしまうたいぷの人間で。意識的に使い分けて、あんまり固定されないようにしたり、逆に、こう思われたいな、って状況では意識的に使ったりしてしまう。
これ、なんなのだろうかいまいちよくわからないのですが、おそらく、誰かにじぶんを決めつけられたくない、みたいな思春期的症状なのだと思います。まだこじらせてます、はい。
この一人称の使い分けって、僕は自意識過剰にやっていますが、先に述べた、多くの人の場合も同様で、それを意識的にやっているか、無意識的かはさておき、相手を認証して、自己演出してるのですね。
ひとりぽっちだったら、一人称使う必要ないもんですね。それどころか名前すら必要ない。あったってよいけど。
そう、相手があってはじめて、呼び方って生まれてくるわけで。じゃあ、それなら、二人称はどうなのだろうか。
二人称といえば、「あなた」「きみ」「おまえ」「○○さん」「○○くん」「○○ちゃん」「○○っち」などなど。あと呼び捨てとか愛称もあるよね。
これも意識的にか無意識的にか、相手との距離感を図って決めている。とそう思い込んでいる節があります。
思い込み。そう、これってば思い込み。距離感が二人称を決めているだけじゃない。親しいから近いから馴れ馴れしいとか、初対面だから距離をとるとか、もちろんそれもそうなのだけれども、それ以上に人称が認証を決めることだってある。
たとえば、はじめましての人にいきなり「○○っち」みたいな呼び方してみてください。相手は違和感を覚えても、それやめて、って返すことって、あまりないと思う。もちろん、じぶんの中にも違和感があるかもしれないけど、慣れてくるとそれがあたり前になってくる。相手が慣れてるかどうかは別の問題ですよ。それは別の、気が合う、目的が合う、スタンスが合うなどの、相互関係で変わってきますし。
たとえば、はじめましてでも、共通の知人に紹介されて、その人が「○○っち」と呼んでいたとき、便乗して呼べたり、そちらのほうがしっくりくることもあります。これは集団であればあるほど難易度がさがる傾向にあります。距離感ごまかせますから。ここでしか呼ばれないけどなぜか満更でもないって愛称は、こうした状況で起こりやすいです。
つまりは。
二人称を決めるのは相手や、相手との距離という、相手次第のものではなく、自身がしっくりくるかどうか、という、自分勝手なものなのです。
なんていう、あたり前の話を、私の人称が安定しないことを認証してもらうためにダラダラ書いてみました。