【小説】風神戦記 黎明の時代
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風が強く吹きつけ、帽子が高く舞い上がる。この上昇気流に乗って、遠い異国の空すらも自由に飛びまわりたい。ガキの頃、空を見上げたおれは、頭上を過ぎる飛行船を見つめて、そんなことを思っていた。
時代は明治。文明開化の名のもと、西洋の文化が押し寄せ、この国は目覚ましく成長した。
はるか海の先、イギリスの産業革命に端を発して、蒸気技術は、日本でも独自の発展を遂げ、飛ぶ鳥を落とす勢いだ。蒸気機関を搭載した飛行船は移動手段だけでなく、軍事、物流、すべてを変えた。
それまで海の外の世界など、異世界のような現実味のないものであったのに、今では容易に行き来することも可能になった。
飛行船乗りは子どもたちの憧れの的になった。例に漏れず、おれも飛行機乗りになるために、軍に入って、そして、怪我をして右腕を失って、夢破れて、今では…。
「おらおらおら、邪魔だ邪魔だー!」
先を行く飛行船をまくしたてる。機体が接触し、バランスを崩して後退していく。
「ふっ、情けねえ、このくらいで」
そのまま先頭でゴールゾーンを突っ切る。
「クソつまんねえ」
移動手段として、飛行船が主流になるほど、民間人でも手軽に蒸気飛行船が手に入るようになった昨今、飛行船レースが人気を博している。
一攫千金を夢見てレースに参加するやつもいるが、こんなもの、どこまでいっても子どもの遊びだ。腕のあるやつはみんな軍にスカウトされていくし、夢のあるやつがいつまでもいるようなところじゃない。ようは社会の吹き溜まり。
おれは吹き溜まりから巻き上げた賞金を手に、しなびた暖簾をくぐり、引き戸を開ける。
まだ早い時間だからか、人はまばらだ。
おれはカウンター席に腰かける。店のオヤジは何も言わず、酒と肴を差しだしてくる。猪口に酒を注ぎ、一口。
「っくう」
体中にアルコールが染みわたるのがわかる。今日もまた一日が終わる。レースで稼いで、稼いだ金を酒に費やす。そんな毎日。それ以上、何を望むでもなく、このつまらない人生という暇をつぶしていくだけだ。
「となり、いいかな?」
いつの間にか、男が立っていた。小綺麗な服装、きれいに整えられた髪、小柄ながらも妙に威圧感を感じさせるその男は返事をする前に、おれの横に腰かける。
「オヤジ、同じものをひとつ」
男は注文を告げると、おれの酒を手に取り、注いでくる。
「南原隼人くん、だな」
「取り締まりか?おれぁ、違法なことなんざしちゃいないぜ」
「片手ながらに他を圧倒するその操舵技術、賞賛に値する」
「なんだい、あんたも同業者かい?」
「いや、レースは賭ける専門だ」
「へえ、じゃあ、おれのスポンサーにでもなってくれるのかな?それとも、八百長の交渉にでもきたのかな?」
「君の腕を買いたい」
「おれの右腕は、とうに地獄の閻魔様に貰われていったぜ」
男の前に酒が出される。
「まだあるだろう、そっちの腕が」
おれに酒を注ぎながら男が告げる。
「この国は開国以来、ずいぶん自由になった。自由に空を飛び回り、外国への行き来も自由自在。だが、まだまだ発展の途上。法律の整備も追いついていない。最近では空賊の被害が増えてきている」
「軍隊さまはなにしてんだ」
「取り締まりに動き出そうにも、法律がないとな」
「いざというときに頼りないねえ、お国さまってやつぁ。で、なにか?おれにそいつらをとっ捕まえろってか?」
「今、民間で対空賊組織をつくろうとしている。君の手も借りたい」
「なんでおれが人様のために命賭けなきゃなんねえんだ」
「怖いのか?」
「ぁんだとぉ?」
男の挑発に乗ろうとしたところ、戸が強く開かれる。
「ゲンさん!また一人で行動して!」
女がズカズカと入り込んできて、男の頭に雷を落とす。
「痛い」
「石頭なんだから構いやしないでしょう!」
女は鼻息荒くまくし立てるが、こちらに気づくと急に態度を変える。
「あらやだ、ごめんなさいね、お騒がせして」
「おはなさんこそ、またいろいろ目移りしていたんだろ?」
「だって、おいしそうなものがいっぱいなんだもん。ご主人、ここのおすすめはなにかしら?」
「ともかくだ、勧誘ならよそでやってくれ」
「あら、ゲンさん、振られちゃったの。じゃあ、お兄さん、お近づきのしるしに。カンパイ」
それ以来、ゲンさんと呼ばれた男、轟源太郎と、おはなさんと呼ばれる女は、おれに付きまとうようになった。
おはなさんは、細腕ながらも、荒くれものたちにも引かない思い切りのよいその性格で、飛行船レースの会場に顔を出せば、同業者のアイドルと化し、庶民の出ながら、有名な侯爵家で女中として働いているらしく、品もあり、いつの間にやら胴元にも取り入っていた。
行きつけの酒場もほとんどが今じゃおはなさんの虜だ。
料理の腕も確かなもので、酒場の板場を借りては、手料理を振舞って、客の胃袋も掴んでいた。まったく、誰の店なんだか。
「なんちゃん、あんたも食べるかい?」
例によって、酒場ではおはなさん目当ての客で溢れかえっている。
「なんだい、この、独特な匂いは」
「あら、軍で食べたことなかったのかい?ライスカレーって言ってね、今流行りの洋食さ」
「これが」
「騙されたと思って食べてみな」
「ゴクッ」
おれは恐る恐る匙に取り、口に放り込む。
「か、かれぇ!!!!」
「はっはっはっは」
「み、みずぅぅぅ」
「デカいなりして情けないねえ」
唇が腫れあがり、胃がキリキリとするが、それでも、なぜか食欲が湧いてくる。おれは震えながらまたライスカレーを口に運ぶ。
「くそっ、やめられねえ」
「たあんとおあがり。お代わりもあるからね!」
「あんたたちは、なんでおれたちみたいな荒くれものの面倒なんかみてるんだ」
「ゲンさんはああ見えて、面倒見がいいのさ。あの人も元々軍隊にいたそうだけど、あの人、まっすぐ過ぎるから、部下には好かれるけど、上司には好かれないんだろ。部下を守ろうとして揉めたとかなんとか」
「人のために。バカなやつだな」
「ああ、バカだよ。あんたらみたいにバカでまっすぐで、国のために命をかける若者たちの、その志をムダにしたくなかったんだ」
「そんなことしたって、しょうもないのに」
「しょうもないかもしれないけどさ、なにもしないでは居られない、そういう男なんだよ」
「よくわかってるんだな、あいつのこと」
「年下の男なんざ、みんなわかりやすいもんだよ」
「愛してるのか?」
「ん?」
「あいつのこと」
「…あはははははは。ヤダよお、なに勘違いしてんのさ。ゲンさんはそんなんじゃないよ。あたしの愛しの旦那さまはもっと懐が広くて、頼りがいのある年上のお兄さんさ」
「そうなのか」
「今、海外に出張して家を開けているからね、暇を持て余したあたしがゲンさんの面倒をみるように命じられてるのさ」
ケラケラと笑いながら、食べ終わったおれの皿をさらい、頼んでもいないお代わりのライスカレーがつがれるのだった。
それから数日。
轟源太郎が告げる。
「賭けをしないか。おれが勝ったら君はおれのいうことを聞く。君が勝ったら、おれは君の言うことをなんでも聞こう」
「ほう、おもしろい。なにで賭けるんだ?」
「もちろん、飛行船レースだ」
「レースでおれに勝つ気か?」
「おれが賭けるのはおれじゃない、彼だ」
轟が指したのは、人の良さそうな顔をした男だった。男の横には鼻垂れ小僧が一人。
「ふっ。子連れの優男におれが負けるとでも?舐められたもんだな」
「どうだ?」
「いいだろう。ただし、おれが勝ったら身ぐるみぜんぶ剥いでやるからな、覚悟しておけ」
「決まりだな」
それからすぐにレースの準備が整えられた。
飛行船レースのルールは簡単だ。飛行船を使って、誰よりもはやくゴールにたどり着くこと。どんな飛行船を使おうが自由。ただし、コースによっては山あいを抜けることもあり、大型だから有利というわけでもない。
出場する船が横ならびに位置につく。
スタートの旗を持つのは、なぜかおはなさん。
「みんな、気合入れてがんばるんだよ!おいしいごはんを用意して待ってるからね。それじゃあ。ようい、どん!」
一斉にスタートを切る。
おれはこれまで、先行逃げ切りで勝ち抜いてきた。今回も一気に先頭に躍り出る。おれが独自に手がけたエンジンは、そんじょそこらの船に負ける気がしねえ。
ふと振り返ると、轟の賭けた男の船はおれの後ろについてきていた。
「やるじゃねえか。だが、まだまだこれからだ」
コースは、序盤、平野を駆け抜けるが、すぐに山間部へ入った。このまま川沿いを抜け、このあたりで一番高い山を折り返し、街へ戻っていく。
山間部で抜くのは衝突の危険もあり、順位の変わりづらいコースなのだ。
うしろではムリに抜こうとした一機が墜落していく。
そのまま往路の終わり、そして、一番の難所、折り返し地点を目前にしていた。
子連れの船は変わらず、おれの船の後ろに張り付いていた。
やるじゃねえか。
K、A、I、D、O、カイドウ?船体に書かれた文字。奴の名か?奴が抜くとしたら、ここがチャンスだ。絶対に前は取らせない。
目印の山が近づいてくるとやつは高度をあげる。
させるか。
おれはやつの進路を塞ぐ。
前を取ったまま、おれは減速し、旋回の準備に入る。
しかし、やつは速度を落とすことなく、進んでいく。
バカな。
このままじゃ曲がり切れないぞ。
その瞬間、やつは真上に上昇し、背面姿勢からロールして、船体を移行した。
「インメルマンターン、だと!?」
天を飛ぶ彼の顔が見える。
その表情は、ゴーグル越しにもわかるほど、笑っていた。
おれは急いで舵を切る。
旋回し、追いつこうと加速するが、やつの背中はずいぶん先に行っていた。
理屈じゃ不可能じゃない。だが、この山間部で、たった一度の挑戦で決めるにはリスクが高すぎる。
それをあいつはやってのけた。
「くっ。はは。はっはっは。おもしれえ、おもしれえじゃねえかよ!」
やつは加速力ではおれの船には敵わない。岩肌に触れるか触れないか、ギリギリのコースを攻めればすぐに追いつく。
おれの左腕がうなる。
こんなに熱くなったのはいつぶりか。
細かいことはもうどうだっていい。
勝ちたい、おれはその一心で前を行く船を追う。
そして、平野部に出た。
ここからは スピード勝負だ。
おれのエンジンが勝つか、やつのエンジンが勝つか。
ジリジリとおれの船体が近づいていく。そして、ついに横並び。
ゴールはもう間近だ。
あと少し。
あと少し。
そのとき。
ガタンっ。
おれのエンジンから黒煙があがり、一気に失速。頭ひとつ先にカイドウの船がゴールを切る。
おれの船はそのまま海に着水し、おれは海に投げ出される。
駆けつけた救助艇の上から、轟が声をかけてくる
「いいレースだった」
「負けは負けだ、好きにしな」
「なんだ、負けたままで悔しくないのか?とんだ見込み違いだったかな?負け犬は買わない主義なのだが」
「なんだとぉ?」
「あの船に勝てるエンジンはつくれるか」
「当たり前だ!」
「それは楽しみだ」
轟が差しだした手を掴む。おれはそのまま、海に引きずりこむのだった。
「なんちゃん」
割烹着姿のおはなさんがおれの肩を叩く。
「まったく、また酔いつぶれて。ほら、みんな行っちまったよ」
「おれは、次こそは、勝つ」
「また寝ぼけちゃって。夢でも見ていたのかい?」
「ん、夢、夢か」
おれは右手にはめられた義手を見つめながら、先ほどまで見ていた夢を思いだそうとする。
しかし、すぐに諦めて、おはなさんに声をかける。
「おはなさん、もう一杯」