【小説】会議を開きます
「会議を開きます!」
ある日の夕食のあと。高らかに宣言した彼を、私はダルそうに見つめる。目で「また始まった」という感想を伝えようとするが、嬉しそうにノートパソコンを立ち上げている。
食器を洗い終え、軽く拭いただけのまだ濡れた手のまま操作を始める。感電したら懲りるのだろうか。
「なにしてるの?」
「議事録、会議だから」
「あ?」
思わず、声を荒げてしまった。
「言った言わないになるのはよくないから」
「あ?」
「あ?が二回と」
ドキュメントファイルを新規に立ち上げ、“あ”と二回入力する。
ふざけているのか、真面目にやっているのか、わからないが彼は次の私の発言を待って、こちらを見つめてくる。
私は大きく深呼吸して、どうぞ、と首で合図する。
「それでは、第一回家族会議を始めます」
まだ家族じゃないけどな。
私と彼は付き合って3年。同棲をはじめて1年になる。
「議題は?」
「なんで怒ってるんですか?」
なんで最初から素直にそう言えないのだろうか。
「怒ってないです」
「怒ってるよ」
「いつ?どこで?なにを?何時何分何秒?地球が何回回ったとき?」
「…いつから数えて何回と数えればよいですか?」
「地球が動いたとき」
「わかりません」
捨てられた子犬のような目でこちらを見たあと、シュンと肩を落とす。しまった。つい頭に血がのぼってしまった。冷静にしていないと、彼は被害者面してじぶんは悪くない、という顔をするのだ。悔しいかな、この顔を見せられると私が悪い気がしてしまう。
「昨日は何時に帰りましたか?」
「1時30分くらい」
「2時です」
「2時はいってなかったよ!1時45分くらい」
「終電までに帰ってくる約束はどうなりましたか?」
「それは…ごめんなさい」
ようやく理解したのだろう。まずい、という顔をしている。私が何も言わないから怒ってないとでも思っていたのだろうか。
「どうしたら約束を守れるようになるでしょうか」
これで何度目だろう。いつも素直に謝る。謝るのだが、直る気配はない。
「それは、申し訳ないとは思ってるけど、同僚に悩み相談されて、途中で帰るって言えなかったんだ。それで、駅まで走ったけど間に合わなくて」
彼が頼まれたら断れない性格なのはわかっている。それは付き合う前からそうだった。それは私に対してもそうだし、それに甘えたこともある。でも、それはムリなら断ると思っていたからで、彼の性格を知ってからはそれもなくなった。はずだ。きっと。
一度や二度なら許せるが、彼は同じ過ちを何度も繰り返す。
「口だけでは何とでも言えるよね」
つい嫌味を言ってしまう。
「それ、どういう表情?」
私は今、どんな顔をしているのだろう。
「意味はありません」
「言ってくれないとわからないよ、おれ、バカだから」
「はあ」
私は、空返事とも溜息とも言えない声を出す。
「で、今日はどんな話だったの?」
私が問いただすと、彼は口を開く。
「同僚がさ、今度のコンペに参加したいんだけど、どのプランにするか決めかねてて、それで、どれがいいか聞いて、それぞれの案に対していろいろ喋ってたら時間かかって」
「それって飲みながらするものなの?仕事時間中にできないもの?そもそもそのコンペにあなたは参加しないの?」
「ちょっと待って質問が多すぎて、えっと、はい書けた」
書記は議論に参加してはいけない理由を実感した気がする。
「おれは参加しないよ、だから手伝うくらいはしてもいいかなって。あいつから相談されるなんて滅多にないし、力になってあげたいんだ」
この人は人が良い。でも、だからこそ、いつも騙されてるんじゃないか、って思う。いままでだって、都合よく使われて、彼になんの得もなかった、なんてことがあった。その度に私が怒り、彼はそんな私を宥めてくる。本人がなんとも思ってないので、バカらしくなって、その話は終わり。そろそろ疲れてきた。
「仕事中だと、部署が違うから、あと、飲みながらのほうが気楽に話せて、アイデアが出やすいっていうか」
発言をしては記録を取る彼。元来、真面目な性格なのだろう。でも、なんかちょっとズレてる。
なんだか面倒くさくなってきたのに気づいて、彼は私が履いている室内用の靴下を脱がしにかかった。私はそれに抵抗する。
「どうして靴下脱がさせてくれないんですか?」
「意味はありません。どうして靴下脱がせたいんですか?」
「意味はありません」
「一緒ですね。気が合いますね。仲良しですね」
「いいえ、私は靴下を脱がしたくはありません」
「だって履いてねえからな。ない袖は振れないのと一緒。ない靴下は脱げない」
新しい慣用句が生まれた瞬間であった。いや、違う。ごまかされないぞ、私は。
彼は姿勢を正して尋ねてくる。
「もう、好きじゃない?」
「わからない」
「別れたい?」
「わからない」
「好きかわからないのはどうしたいですか?」
「現状維持したい。いいところを見つけたい」
一緒に暮らしていると、それまで見えてこなかった悪い面が見えてくる。それが気になって、喧嘩になって、険悪になって。良いところなんてなかったのかもしれない、なんて錯覚するほど、不信感を覚える。
昔、母親に言われた。好きなところがたくさんある人より、嫌いなところを認められる相手のほうが長続きするのだ、と。
私は彼のこんな人となりを、これからも許せるのだろうか。いや、違う。母は、“許す”ではなく“認める”と言った。そうか、別に許さなくてもよいのだ。
母は父のこと、認めていたのだろうか。
ずっといっしょに暮らしていたのに、二人の関係ははっきりとは思いだせない。
少なくとも、二人は結婚して、離婚はしていない。
今のところは認め合っているのだろう。
私は、私たちは、これからも一緒に暮らしていくなら、同じように振舞えるだろうか。私は許せないところは許せない。それでも、彼が改善できないのであれば、むしろ、彼が私のことを疎ましく思ってくるのかもしれない。それは逆も然り、で。
彼はどう思っているのだろうか。
こんな私のこと、認めているのだろうか。
考えれば考えるほど、だいたいいつもどうでもよくなって、そのうち忘れる。
「もう会議終了でよいですか?」
「もう言いたいことはないですか?」
「めんどくさくなってきた」
「会議がですか?おれがですか?」
「両方」
面倒くさい彼との日々をこれから、何時間何分何秒、地球が何回回るほど過ごしていくのか、あと何回会議が開かれるかはわからないけど、まあいいか。
私は会議終了の合図を鳴らす。
「ふぁあ」
大きな欠伸をした私を見て、彼はパソコンを閉じた。