【小説】祝日をふやそう
「祝日を増やします!」
ファミリーレストランのランチどき、食事を終えた彼女は、満席に近い店内で臆することなく、高らかに宣言した。
「素晴らしいアイデアだね。でも、どうしたの、急に」僕はいたって冷静にそう応える。
「だって、春分の日と秋分の日は祝日なのに、夏至と冬至は祝日じゃないんだよ?それって不公平じゃない。法律って公平であるべきよ、そう思わない?」
なにを持って公平とするか、無知な僕にはわからないが、ここで変に反論すると、寿限無のそれのように、淀みなく続く呪文を浴びせられることを僕は知っている。知っているから、僕は微笑みを浮かべて頷く素振りを見せる。
「それに、考えてみて、夏至と冬至を祝日にしたら、祝日のない6月と12月に祝日ができるの。一石二鳥じゃない?まあ、私はそれも見越して、祝日にすべきだと思ってたのよ。なんて合理的なのかしら!」
おそらく、思いつきで言ってたまたま気づいた事実を、あたかも事前に考えていたかのように言い切るのは、決して珍しいことではない。こういうときほど満面の笑みを浮かべているのも。
「ほかにも不公平な祝日はたくさんありますので、すべて追加を提案します」
「はい」
「なんでしょう」
「減らすという選択肢はないんですか?」
「正気?祝日を減らして、誰が得をするの?」
「失礼しました。それで、ほかにどんな祝日が?」
思わず口ごたえをしてしまった僕は、急いで詫びを入れ、話を戻す。
「子どもの日と敬老の日はあるのに、親の日がないの!親が可哀そうよ!」
「なるほど…。でも、父の日と母の日があるのでは?」
「それは祝日じゃないわ!あれは2つとも花屋の陰謀でしょ!?私利私欲のために祝日は遣わせられないわ」
「それじゃあ、親の日はいつになるんでしょうか?」
「それは…おー、やー、だから…0月8日?」
「それじゃ祝えませんね」
「だいたい、なんで敬老の日は9月の3週目なのよ?ね、どうして!?」
「はいはい」
どうして、の言葉を合図に、僕の人差し指が烈火のごとく検索を始める。
近頃じゃ、どうして、の言葉待ちで常にスマートフォンを左手に、右手を宙に泳がせている。こうすることによって、話を聞いているようでゲームをすることも可能になった。画期的発明と言ってもいい。
敬老の日は元々9月15日で、国民の祝日に関する法律第2条によれば“多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う”ことを趣旨として定められているらしい。また、兵庫県で主催された敬老会がはじまりとされているそうだ。
「それじゃあ、いつでもいいんじゃない」
「あ、両親の日、あるよ!」
「いつなの!?」
「9月30日」
「なんで?」
「ええっとー、9月30日を逆さにして、039で、“おー”父さん、“おー”母さん、“さんきゅー”、だって」
「なにそれ」
「いや、一応、日本記念日協会に登録されてるっぽいし」
「だいたい、両親って、片親の子はどうするのよ。配慮にかけるわ!」
「じゃあ、いつがいいの?」
「…保留よ、保留!」
「承知しました」
一つの祝日が保留とされる間にパズルゲームで記録を更新しました。僕の集中力は今、ピークに達しているらしい。
「そんなことより、もっと明確に不公平な祝日があるの」
「なんでしょう」
「天皇誕生日よ!」
「それは、年に一日しかないのでは?」
「バカね、歴代のよ。いい?明治天皇の誕生日は11月3日。今は文化の日。昭和天皇の誕生日は4月29日で昭和の日。じゃあ、大正天皇は?祝日じゃなくない?ねえ?いつ?いつなの?」
「えーっと、8月31日生まれですねえ」
たまには自分で調べたらどうか、と思うが口には出さない。
「ふうん。いいじゃない、じゃあ、大正の日も祝日に決定ね!」
「明治天皇が122代らしいけど、これ、とんでもないことにならない?」
「さすがの私も、そこは明治以降で納得するわよ」
さすがに基準がわからない。
「それでも、このまま植えたら、そのうち、毎日が祝日になっちゃうんじゃない?」
「バカね、そうなるのに何年かかると思ってるの?それに、増えれば増えるほど日にちが被る確率が高くなるから、毎日が祝日になるなんてありえないわ」
この子はたまにまともなことを言うから恐ろしい。いや、まともではないのだが。
「今の上皇様の誕生日も祝日にすれば、冬至と続いて、連休になるわね!やったじゃない!」
師走の忙しい時期に連休なんて、恐ろしいことを考える人もいるもんだ。
「次ね」
まだあるらしい。
「私、気づいたの。奇数のゾロ目って、1月1日の元旦と5月5日の子どもの日は祝日なのに、他は祝日じゃないでしょ。だから、雛祭りとか七夕とかも祝日にしちゃいましょう」
「あー、節句ね。それだと1月の節句は1日じゃなくて7日なんだよ。七草の節句」
「なによそれ、どういうルールなの?納得できない」
「僕に言われても」
「残りの、9月9日と11月11日は?」
「9月9日は菊の節句で、11月はそもそも節句がないね」
「なんでよ!11月が可哀そうじゃない!」
「11月が嫌がったのかも」
「そんなわけないじゃない」
彼女はいつだっていたって真剣である。
「とにかく、3月も7月も9月も11月もぜんぶ祝日にします」
「1月7日は?」
「仕方ないわね、いいわよ、可哀そうだから混ぜてあげる」
彼女の基準は可哀そうかどうかなのだ。なんと慈愛に満ちているのだろうか。
さて、パズルゲームと祝日の数が粛々と伸びているが、この話はそろそろ節目を迎えるだろう。
「ねえ、ほかは?なにかある?」
きた。そろそろ飽きてきたのだ。こうなると彼女は、僕に話を押しつけてくる。僕はそっと、ゲームの一時停止ボタンを押し、スマートフォンを机に置いた。
「そうだね、あと、めぼしいところでいえば、立春、立夏、立秋、立冬が祝日にできるんじゃないかな。そうすると、節分も祝日にすれば連休がいっぱい増えるよ」
「どういうこと?」
節分というのは、2月が有名だが、読んで字の如く、季節を分ける日、つまり、季節のはじまりの日の前日を指すから、年に4回あるのだ。これで8日追加することができた。
だが、まだだ。僕はここで、八十八夜を提案しよう。夏も近づく、でおなじみの八十八夜は立春から数えて88日目に当たる日、平年なら5月2日、閏年なら5月1日。これがどういう意味かわかるだろうか。
そう、4年に1度の5月1日が祝日になれば、4月29日の昭和の日と5月3日の憲法記念日に挟まれた4月30日と5月2日は国民の休日となり、真のゴールデンウィークが誕生するのだ!
そして、公平という観点から考えれば、立春から数える二百十日、二百二十日も加えなければならない。もっといえば、そのほかの雑節である彼岸、社日、入梅、半夏生、土用も加えるべきではなかろうか。
いや、彼岸や土用は期間が長いため、祝日にすると支障がでるかもしれない。
ここでは泣く泣く諦めることにしよう。
あとはどうせなら、十五夜、十三夜、十日夜も加えてはどうだろうか。もはや、名前がついている日にちはもれなく祝日にする、それこそが真の公平というものだと、僕は思う。
「どうかな?」誇らしげに語り切った僕は彼女に目を向ける。
気づけば、ランチタイムが終わり、客はまばらになっていた。
「あのさあ」
左手に持ち上げたスマートフォンに目を向けたまま彼女は言い放つ。
「もう好きなときに休ませてくれ」