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【感想】北野武『Broken Rage』と『カメ止め』と『ザ・ギース』~平山夢明『俺が公園でペリカンにした話』を前菜に~

YouTubeつまんないでおなじみの、天才小説家平山夢明の「俺が公園でペリカンにした話」を3カ月ほどかけて、上等なウイスキーをちびりちびりと飲み下していくように、読み干した。

物語は、基本的にヒッチハイカーである主人公が拾ってくれた車に乗り込むところから始まる。車の運転手は大方助兵衛な男色家か、事情を抱えた善人か、欲にまみれた悪人であり、いずれにしろヨレヨレのおっさんである。

主人公はおっさんというには若いようにも感じられるのだが、特に描写されない(名前もわからない)俺(Nobody)であり、大昔に家族をひき殺されたことへの贖罪を求めて虐待を行う/振るわれるに家族に付き合ったり(『ろくでなしと誠実鬼』)、大金持ちの集う豪華客船でその腐りきった精神に辟易したり(『五十五億円ためずに何が人間か? だってさの巻』)、善人としてある定食屋の秘密を暴くこと・守ることに携わったり(『命短し、乙女はカーマ・スートラだってよの巻』)する。

下品で汚く金はなく、差別的な言葉を吐き、怠け者で反社会的だが、大勢が石を投げる相手を殴てないくらいに善人であり、状況に流されながら悪に流されない。
そんな主人公像が、無限に繰り返すようにして冗談のような悪夢のような非現実で格闘する物語群。

その下町コメディ的な人間像は、寅次郎か? 清水次郎長か? あるいは菊次郎か?

と、考えつつ、北野武最新中編『Broken Rage』を見たが、こちらのたけしはそうではない。

『Out Rage』を破壊した『Broken Rage』であることからもわかる通り、前半ではアウトレイジのセルフパロディを、後半ではそれを破壊したセルフパロディパロディを行っている。

最初に言っておくが、普通に見たらかなりつまらない。

上記の動画で3名が語っている感想に俺もおおむね同意であり、中でも山田さんに特に感覚が近い。

テレビのたけしで笑った過去も遠く、吉田豪を恫喝したイメージの方が強く──。

とはいえ、本作のギャグの中では覆面ギャグだとか、銃を突きつけられる→手を挙げるの連鎖だとか、普段から笑うというより心でおもろいおもろなくない判定をするだけの俺が、どちらかといえば「おもろい」側に判定する部分も普通のお笑い映画としては及第点くらいにはあったのだが。
そもそも映画で笑うって感覚はなかなか難しい。例えば、先日見に行った『ディックス』だって、声を出して笑ったところは数回もなかった。好きだった(面白いと判定した)ギャグや場面は多かったし、つまらない部分は非常に少なかったというだけ。

しかし、思えば映画というのは基本的に笑わせるよりもスベらないことを狙っていくお笑い撤退戦が求められる、非常にお笑い者としては難物のジャンルに感じる。
──でも、チャップリン映画を見るとき、確かに声を出して吹き出しはしないんだけど、どっかの誰かが大笑いしたり会場の声なき笑い声が「どっ」と吐き出される映像自体は脳内にありありと浮かぶのだよなあ。

反対に、滑った時の静けさも大きな脳内会場では「シーン」と大きく0dbで響くのだ。

前半でやったことをもう一回繰り返して、人為的にループを作り出すことにより笑いを作り出すというのは、思えばどっからどう考えても『カメラを止めるな!』のやり方である。

ここ数日の話でいえば、同様の手法を期せずしてドキュメンタリックに行ったのが粗品の岡山旅行であろう。

あるいはキングオブコント2015でザ・ギースが披露した『コントビフォー&アフター』のネタなども類似の発想として思い浮かぶ。

上記のweb記事で取り上げられている通り、ギース~カメ止めの関連はすでに気づく人は気づいていたポイントであり、その6年遅れの結実が『Broken Rage』というわけだ。

ただし、ギース、カメ止めが‟壊れた●●”を「直す」発想に導かれているだったのに対し、『Broken Rage』はその名の通り、既に存在する‟素体”を「壊す」発想で作られている。

まあ、一言でいえばそのモードが古いんだよなあ~。

ギースやカメ止めでさえ10年前なのだが、毒ガス的な、あるいは火薬田ドン的な「破壊」が笑いの中心であった時代は、それなりに世の中の良識や建前や文部科学省推薦的なユートピア像(その陰で泣くものも多い)が強固にあったからで、平成ペインを経てSNSで価値観の多様化と良識の破壊を目にしたテン年代以後は、圧倒的に「直す」方がリアルなのである。

その古さが今回の企画自体の失敗の根にあるものだと思うのだが、当然多くの人が突っ込むであろう通り2025年で79歳を迎えるたけしが古くて何が悪い。

無理して古くあらんとすることの方がよっぽど痛い、ってことぐらいわかってるよバカヤロー。

きっと、『Broken Rage』劇中のSNS的なツッコミ描写(時間稼ぎ)は本人ではなく取り巻きが考えたに違いない(そういうメタ的な視点を持ち込むこと自体は本人として)。

そもそも映画っていうメディア自体が古いものにならんとしているわけだしね。


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