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Facebookにポエムを、noteに小説を

Xで4つ、Instagramで2つ、noteで2つ、Tiktokで2つ(パスワードが分からなかったものもふくめて)、アカウントを持っている。
こんなに要らない。

なぜこんなに増えてしまったかというと、個々のアカウントそれぞれに違ったスタンスを設定しており、それが混在することで、見る人にどのように受け取られるのかを考えると同じアカウントで発信する勇気がわかなかったからだ。
ようするに、平野啓一郎(小説家)いうところの分人主義及びその実践である。

SNSを”誤書”によってカオス化する

それがあほらし、と思って早数年。
多くの人は同じような状況に陥り、ひっそりとSNSを離脱するかROM専になる。

だけ”ど、あ”んたがた”、ぼくはねえ、ぼくは、おもうわけですよっ、SNSごと、あるいはアカウントが分裂していって、サイロ化”していく現象に、俺ら、あらがわなきゃなんね”って!
(ここでイタコからサンボマスター山口の魂が抜ける)

そんでま、へば、アカウントをだんだん統一しようと思っている。

Facebookにポエムを書き、noteに小説を書き、小説家になろうにエッセイを書くような攪乱によって、プラットフォーム間の差異をカオスによって埋めていきたいというのがその戦略の第一歩である。

小説を書こうと思って小説を書くのではなく、エッセイを書こうと思ってうっかり小説を書いてしまうような誤読、ならぬ誤書が必要だと思っている。
整理された世界(とはいえスパムによって別の意味で混とんとはしている)をかく乱することで変化につなげる、その変化を実感することが、消費でも作業でもなく「制作」の快楽へ人間をつなげるのではないか。

ほら、この記事も当初意図していた元とは違い、『庭の話』について書いたことと接続した。


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