こたけ正義感『弁論』は政治が一番おもしろい時代をサブカルチャーがハックする端緒となるか?
こたけ正義感の単独ライブ、「弁論」が2025年1月15日まで無料公開され、業界人を含め、お笑い・カルチャー界隈で話題を呼んでいる。
内容についてはマナーとしてネタバレを避けたいと思うが、上記の大島育宙(XXClub・エンタメ全部見る系芸人)の言及に代表されるように、「茂木健一郎(脳科学者タレント)の言う通り、日本のお笑いは権力・政治・社会と接続しないのがバカ大衆の文化って感じでかっこ悪いけど、茂木健一郎は全然お笑いに愛がないのが分かるし、ザ・ニュースペーパーに腹から笑わされることもない、というか興味がわかないんだよなあ~」と思っていた日本のお笑い状況のエアポケットにちょうどよく収まる最新コンテンツがやっと一つ現れたという点が多くの評価を得る理由なのではないか。
「政治」(=大きな物語)が一番面白い時代に
ここで思い出したのが、宇野常寛(批評家・出版社経営者)などによる上記のサブカルチャー(主にアニメなど)について語るトークセッションである。
このタイトル「サブカルチャーは「政治」の面白さに負けたのか」とはすなわち、「都知事選」や「兵庫県知事選」における、多様なキャラクター(蓮舫、石丸、さいとう元彦、立花孝志…その他泡まつ候補も多数)を眺め、それを推したりからかったりし、ミーム化して大イベントに参加する快楽を享受する人口がただ物語を摂取するそれを上回っている時代であることを反映している。
こたけ正義感『正論』で扱われているのは「政治」ではなく「法律」と「とある事件」だが、このライブが‟ジャンルを拡張するもの”として評価を集めたのは「ある社会に対する主張」が60分全体を貫いていたことが終盤明かされるからである。
正直なところ、笑い声の総量自体はそれほど多いライブではないはずだ。これは自分の好みもあるのだが、こたけ正義感の芸は弁護士というキャラクターを存分に生かした「法律の矛盾点や独自のロジックを展開する」‟かしこ芸”であり、想像の斜め上は言っても思考の埒外へ到達することは多くない。
ようするに、期待を大きく超えづらい笑いなのである。
そこで、大きく期待を超えるために用いられた今回用いられた飛び道具が、「ある社会に対する主張」だったのだ。
ここで重要なのは、「●●」(『弁論』の主題)自体は、こたけ正義感が本当に主張したいことだろうが、そうでないことだろうがどうでもよいということである。
「ディープステートが世界を牛耳っている」でも「老人に若者は搾取されている」でもよい(ある程度のテーマのデカさ(大きな物語との接続)は不可欠だと思う)。
正しさの快楽。
動員される快楽。
それをハックすることが、‟かしこのお笑い”でキャズムを超えるための必須条件になるのではないか。
アメリカではコメディアンの発言が大きく大衆の政治判断に影響を与えると聞いた覚えがある。
日本にも同様の流れがやっとやってきたということなのだと思う。
モギケン(※)のしたり顔が浮かぶなあ。
※茂木健一郎のこと。
Funny以外の面白さVS原始のお笑い~お笑い左翼とお笑い右翼~
一方で、最もフィジカルで、最もプリミティブで、そして最もフェティッシュなお笑いを皆さんは知っていますか?
それは、年初の『ザ・ノンフィクション』で放送されたザ・ノンフィクション「クズ芸人の生きる道~57歳婚活始めます~」だ。
これが、従来の本物のお笑いの保守本流であった。「おもろうてやがてかなし」だとか、「ごっつのトカゲのおっさんが…」とかお笑いファンはここからいろいろもっと語れることがあるが、要するに、「こいつ、本物やん」という感想を抱かせられるかにプリミティブな笑いの成立はかかっている。
本物のやばいやつ、本物の変態、本物のキ……。
そこに代入できる言葉は一般にはネガティブな意味で使われるもろもろで、しかしてそれを「自分がおもろがれる主体である」という点で、それを享受するものやクリエイターの特権性は保たれているのだ。
これは、奇奇怪怪(ポッドキャスト)と雷獣(YouTuber)という2組のホモソノリから関東ノリと関西ノリを分類した話にも通ずる。
奇奇怪怪=関東男子ノリ=かしこが社会と接続し、その矛盾を突いたりハックしたりする笑い=こたけ正義感
雷獣=関西男子ノリ=かしこが社会から(あえて)落伍したように見せ(あるいは本当に落伍したものを連れてきて)、人間はこういうものだと突き付ける笑い=ザ・ノンフィクション「クズ芸人の生きる道~57歳婚活始めます~」
である。
私は前者を社会を変革しようとする新しい(社会的・政治的にもなれる)笑い=お笑い左翼、後者を笑いの保守本流であったが(常に社会ではなく個人やコミュニティに閉じていく作用がある)原初の笑い=お笑い右翼と命名したい。
上記の記事でも言及したように、今はお笑い右翼が力を失い、お笑い左翼が力を得ようとしている。そんな時代の中で、両翼にきらめいた2つの象徴を2025年の初めに見た。
この記事は、その記録なのだ。