奇奇怪怪と雷獣の違いにみる、関東ノリと関西ノリの違い①
大半の人間にはよくわからんし、どうでもよい話をする。
『奇奇怪怪』は関東私立高校男子ノリ
とあるXのスペースを聴いていたら、『奇奇怪怪』の話題になった。
同スペースでは、『奇奇怪怪』の魅力を問われたスペース主が、その魅力について下記のように語っていた。
その話題の発端は、『奇奇怪怪』推しの主に対し、「僕はあまり魅力が分からないんですよね」という京都の男性からの質問、というか相談だった。
俺は、質問者(京都の男性)の気持ちがよくわかる。Taitanのあの、二チャッとしたいかにも何かの会話の途中のようなポッドキャストの始まり。それに対し少し高めの声で玉置周啓が(しかし口調は「~じゃねえよ」と乱暴な男子学生のノリで)掛け合う。
たとえばダウ90000とか、バカリズムを見ていても感じるあの「こいつら本心でしゃべっとるんか?」といらだってしまう心のささくれ。
そのせいで、私はどうにも『奇奇怪怪』にはまれない。
『雷獣』は関西新学校男子ノリ
ここで「奇奇怪怪」と対置したいのが、『雷獣』である。
『雷獣』のノリは、『奇奇怪怪』に比べて関西(奈良県)出身の自分にとって非常によく「わかる」。おもろい(≒奇人・芯からの破天荒であること)至上主義、俺たち経歴はすごいのに道を踏み外してもうてん(という屈折したナルシシズム)、笑いを取るということ自体を脱構築するメタ×乱暴さへの欲望(上記の動画中で「犬ってすごいなあと思う話があってさ…」というフリを全無視というボケなどが顕著)
上記をまとめると、雷獣とは関西進学校男子ノリであるというラベリングになる。
両者のミッシングリンク=令和ロマン
『奇奇怪怪』は関東私立高校男子ノリ。『雷獣』は関西進学校男子ノリ。関東私立高校ノリ(≒進学校ノリ)と考えていいだろうから(主の言い方に準拠した)、要するに自分の学業における成績と笑いを含むカルチャー面での知識やセンスに自信を持っている男子の態度というのがベースで共通していることは間違いない。
だが──
(続きは明日書きます)