吾輩は、ACである。特に問題は無い。⑭
オレオレ詐欺よりもエグい、霊感商法。を語る前に、信教の自由、表現の自由について確認しよう。
という事で、世間はゴールデンウィーク明けですね。私は勤労学生の主婦という身分なんですが、隙間時間を使ってこういった情報発信活動をしています。まあ、気楽なもんです。
この連載、何だかんだで14回目になりました。よくもまあこんなに書くことがあるなあと思われるかもしれないんですが……
ところで皆さんは、信教の自由をご存じでしょうか。改めて、ここでちょっと触れておきたいんですね。
というのも、私は宗教二世問題の当事者なんですが、そうするとどうしても、宗教活動への批判をしがちなんですよ。いい思い出よりも、嫌だった思い出の方がよく覚えているというか。皆さんはそんな事無いですか。
やっぱり、何かの物事に対し一方的な意見を書き連ねるばかりでは、書いている方も飽きてくるんですよ。(そういう問題か)
だから(何が)、信教の自由をここでいま一度、確認しますね。
よろしくお願いします。
はい、毎度おなじみウィキペディア。
この信教の自由、面白いんですよね。西欧諸国と日本では、意味合いが違うんです。西欧では「教会権力からの自由」、日本では「神社神道(国家神道)」からの自由という意味があると思うんです。いかがですかね。
ちなみに神社神道(国家神道)は、以下のように書かれています。
国家神道というのは平たく言うと、明治政府が作った宗教ですね。ご本尊が天皇な感じの。それで、敗戦したあとGHQから廃止させられました。「やべえ思想だからやめろ」って感じで。この国家による教育のために、今で言う、イスラム国みたいな事(神風特攻隊とかの自爆テロの指示、志願など)になってましたから、廃止させられたのはしょうがないと思いますよ。私は。(異論がある事は知っていますが、あえて言います。一つ言える事は、どんな信仰も平等であり、個別の事情があるという事です。愛国であれ、ムスリムであれ)
なんて事を書いてると、どっかから「非国民めー!」って怒られそうなんですけど、しょうがないんですよ。事実を簡単に言うと、そうなっちゃうんだから。ちなみに戦中だと、こんな事書いてたらご近所さんに通報されて、特高警察にしょっぴかれ拷問されてただろうと思います。
表現の自由って、すばらしいですね。
話がだいぶ脱線しちゃったんですが、日本の信教の自由というのは、その前の時代の不自由があったから、わざわざ憲法に書かないといけなかったという事情があるというところを確認しておきたかったんです。
やっぱり、歴史の流れを知っておかないと、自由の意味っていうのは分かんないと思うのですよ。
急に話を元に戻すと、霊感商法をやってる人はこう言いますよ。
「信教の自由、表現の自由があるのだから、私たちが何を布教しようが、何を価値あるものとしようが、自由ではないか」と。
そうやって、霊だとか先祖の因縁(カルマ)だとかを信じる人を増やして、結果的にその人たちからお金を巻き上げるというのが霊感商法なんですけどね。何でも良しとして鵜呑みにしていると、ろくなことにはならないですよ。私が書くこの文章も含め。
「霊感商法をやる人は、こんな事を言ってきてお金を巻き上げますよ」とアナウンスするのも、自由なんですよね。
だからこうして、書いているというわけです。
という事で、今日はここまでとします。次回は、老人から霊感商法で大金を巻き上げた、口の上手いおばさんたちの話をしようかなと思ってます。
ここまで読んで下さって、ありがとうございました。
みなさん、良い一日を。
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