吾輩は、ACである。特に問題は無い。⑰
焼き畑的霊感商法の行きつく先
こんばんは、宮坂 澪(みやさか れい)といいます。
私は宗教二世問題の当事者です。子供の頃は、父親がアル中で、たまに家で暴れてました。
もう中年である今は、特に問題無いです。
さて、⑮でお約束していた「渋谷(仮名)さんと池袋(仮名)さん・霊感商法二大巨頭(某田舎町限定)の熟女対決」の結果について、お話するのを忘れてたんですね。前回。
それで今日は、いつの間にかフェードアウトしていた池袋さんの事を話そうかと思ってたんですけど……よく考えたら私、池袋さんをそんなに知らないんですよ。当時私はハタチにもならない子供だった、というのもあって。「オバちゃん同士仲悪いな」としか思ってませんでした。
分かっている事といえば、担当した信者さんにムチャクチャ献金させて、絞るだけ搾り取ったら後は「ほったらかし」という焼き畑スタイルの池袋さんの活動は、結局長くは続かなかったのでした。やられた人たちは大抵、二度と献金しないって怒ってましたから。
翻って渋谷さんの方は、自分の担当している信者さんが生活に困っていたら、自分の家にある米を分けてあげるような事をして助け、結果的に人の心を掴む、という方法を取っていました。
渋谷さんと池袋さんのどちらが「人格的に優れているか」といえば、皆さんはどちらだと思いますか。どちらも霊感商法をやるような悪党ではありますが、人情があるのは渋谷さんの方だと思う人の方が、多いかもしれませんね。いかがでしょうか。
私は、渋谷さんの方がかなり質(たち)が悪いと思っています。
若い頃は、自分だって貧乏なのに人のためにお金を出したりできる渋谷さんの事を、「いい人」だと思っていましたが……
こういう事は、当事者になると見えなくなるもんなのです。
どういう事かというと、人生が追い込まれてる上に人間関係・利害関係でグチャグチャになると、目先の損得しか見なくなるのです。
要は、判断力が鈍くなります。
世の中の視点から見たら、霊感商法をやっている人間は明らかに「悪い人間」ですし、霊感商法に引っかかっている人間は「アホ」なのです。どっちも同じ穴のムジナ。
だけどケツに火がついている人というのは、そんな簡単な事すら分からないのです。
今だから言えるのですが、本当にいい人というのは、他人の問題に、頼まれもしないのにわざわざ介入なんかしません。頼まれたら快く引き受けて、終わったら何も無かったように去っていくのが、本当にいい人なのです。
渋谷さんのような人は、目的があって他人に親切を施す、悪人なのです。
十万円貸したら、その場で手数料を一万円取るようなトイチみたいなもんです。どうしようもない多重債務者のように「食うにも困ってたから、お金貸してもらえて助かった!」と喜んでいる場合ではないのですが、人生追い込まれると、そんな事も分からなくなるのです。
池袋さんの事を話すつもりが、自分の感情がドクドク湧いてきて止まらなくなってしまいました。
ある親子の話
今からお話するのは、渋谷さんの説得に応じて210万円を献金した、あるおばあさんの事です。そのおばあさん……Bさんは、城下町に住んでいました。もう二十年以上前の話なので、生きておられたら100歳超えている感じの、おばあさんです。
Bさんは、知的障害がある息子さん(当時50代)との二人暮らし。家は持ち家で、木造二階建て、部屋数は三部屋。小さな家に、慎ましい様子で生活していたのでした。
ある時私は渋谷さんに頼まれて、Bさんの家に何度か通っていた時期があったのです。私は車を運転して、渋谷さんをBさんの家に運ぶ役割でした。
渋谷さんの目的は、Bさんに献金させる事でした。
金額が確か210万円という事は、天運石(てんうんせき・悪霊を吸い取る壺)を買わせたのか。それとも単純に「神の国が来るから、全てを捧げなさい」という名目だったか。ちょっとそのあたりの記憶が曖昧なんですが、結局Bさんは、何度目かの訪問の後に、献金に応じたのでした。
余談なのですが、統一教会というのはやたら、数字にこだわる教団でしたね。まるでピタゴラス教団のように。
例えば、あんまり触れたくない話題ですが……21という数字は、教団的には意味がある数字なために、霊感商法の商品の価格になったりする事がよくあったのです。「3本で21万円の印鑑セット」「210万円の壺」など。
そんなわけでBさんは、私たちが二度目の訪問をした際に、米櫃(こめびつ)の底から百万円の束を出してきて、渋谷さんに渡しました。
そして三度目の訪問の際、仏壇から百万円の札束を出して、渋谷さんに渡したのでした。足らない分は、郵便局のATMで引き出したのでした。
Bさん親子は、本当にわびしい生活をしているようでした。無駄遣いをしないで、もしかしたら、節約しない方がいいところまで節約して、何十年もかけてお金を貯めていたのでしょう。家の中には、彩りというものが欠けていたのでした。
Bさん本人は、喜んで献金に応じていましたが……
今となっては、何をどう言っても、どうしようも無い事なのです。
今日のお話は、これでお開きという事で。
次回は、どうしようかな。教団の、二世の話をしようかな。高校生の頃私は、赤ちゃんから幼稚園児までの子供たちの、お世話をしていた事があったのです。彼らがなぜ、子供だけで置いとかれてたのか。そんな話をしようと思います。
それでは皆さま、良い眠りを。
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