ウズベキスタンに忘れ物

久々のサッカーはやはり良いですね!
こんにちは、ゆーきです。
今日は先日の続きでサッカー繋がり、ウズベキスタンのサッカーについて書いていこうと思います。

1.配属されたホラズム フットボールアカデミー

配属されたのはウズベキスタンの首都、タシュケントから飛行機で約1.5時間西にあるホラズム州ウルゲンチという場所。
とっても田舎です。ヒヴァという歴史都市もホラズム州にあります。

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歴史都市ヒヴァ


そしてタシュケントより一回りくらい寒い。(夏は夏でタシュケントより暑くなるらしいです…砂漠ですね…)
配属から一週間のみバスに30分ほど揺られる「通勤」が必要でしたが、一週間で職場がお引越し。
ウルゲンチの自宅から徒歩30分くらいの場所になりました。とても立派なスタジアムです。

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アカデミーの練習グラウンド。とてもきれいな人工芝です

練習を見て思いました。
みんな、上手いな…

それもそのはず。年に一度のセレクションにはホラズム州全体から300人は受けに来るそうです。その中から選ばれた20人。上手いはずです。
日本の地域チームで教えていた私からすると、特に球際の激しさ、スピード等の部分が非常にレベルが高い、と感じました。
そしてそれ故に、何も考えず、感情の赴くまま、本能のままにプレーしているな、という印象でした。(小学生年代の試合は、ほっておくとサッカーの試合のはずが、そこら中でキックボクシングが始まります…)

2.アカデミーの課題

選手のレベルは高いですが、課題が無いわけではありませんでした。特に気になった点は以下2点です。
・練習内容の質が学年によってバラバラ
・コーチングが近視眼的で感情的

一つ目の練習の質について。
私が担当することになった2008年生まれ(11~12歳くらい、最年少)の練習では、なんとうさぎ跳びをやっていました…平成を通り越して、昭和です…
見ていると上の学年になるにつれて練習の質は高く、下の学年になるほど低いように感じました。
これがたまたま私がいた時点での現象なのか、練習の質が高くないから下の学年を担当しているのかは、私がいる時点では分かりませんでした。

二つ目のコーチングについて。
毎週末に学年間の交流試合があるのですが、そこでのコーチングや会話が、非常に象徴的に状態を表していました。
学年間なので、一つ上か、一つ下の学年と試合をすることになるわけです。
子ども達の年齢が一年違えば、体格も技術もだいぶ差があります。
普通に試合をすれば、上の学年が勝つことは当たり前です。勝った中でも課題を見つけ、さらに改善すべく練習に活かしていく必要があります。
しかし、交わされる会話は「おめでとう!」「失点は〇〇のせいだ!」
中には激怒しているコーチも…次に繋がるような会話は皆無です…
どちらかと言えば、選手の気持ちが目の前の試合の勝敗に感情を持っていかれてしまうことは多々あると思います。私もプレイヤーの時にはなかなか冷静に自分自身のことや周囲の状況を把握することができなかったのでとてもよくわかります。
その分、やはり大人やコーチがうまく「演じて」行く必要があると思っています。コーチがベンチから「キレ」て、選手が速く走れるようになる、パスミス・トラップミスがなくなるなんてことはありえないと思っているからです。
しかし、すぐに結果に表れるようなことでもないですし、どのように伝えていったらいいだろうと考えていたら、すぐに帰国することになってしまいました…(うさぎ跳びだけは、膝に悪いよ、と言って初日に止めてもらいました。)

3.伝わらない想い

短い任期だったので、成果を感じられる場面はほとんどなく、悔しさ、伝えきれないもどかしさを感じることのほうが多かったです。象徴的なエピソードを2つだけ、振り返りたいと思います。

・他人へのリスペクトを持ってほしい
帰国前に、担当していた2008年生まれの代が4チームほどを招いて招待大会を行いました。結果はアカデミーの優勝。本来であれば嬉しい結果ですが、なんとももやもやした想いを抱えることになってしまいました。まぁこの短期間で試合に結果が出るわけもないということもあったとは思いますが…
この大会の中で私は何試合か審判として笛を吹き、決勝戦も担当することになりました。

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どこかのチームがHPに載せていたらしいです。
同僚のコーチが帰国後に送ってくれました。


試合はまれにみる好試合。1-1の同点で試合は最終盤へ。
フルタイムになりましたが、途中ファールによる中断もあったので少しだけ、10秒ほど延ばしたところでなんとアカデミーの決勝ゴール。相手チームへ配慮して再開後1分ほど続けるも攻撃が途切れてしまったので、試合終了の笛を吹きました。

問題はこの後。相手チームのコーチから試合中も何か言われていると思っていましたが、試合後も何か言っていたようです。それをわざわざ教えてくれる同僚コーチ…言わなくて良いよ…
さらに、アカデミーの選手達からも試合後に最初に言われた言葉は、
「なんで自分たちがファールを受けているのに取ってくれないの?」というようなこと。
確かにファウルを流したことはありました。全部細かくファールを取っていたら試合にならないし、でも別に相手のファールだけを流していたわけではなく、お互い様です。
そのことに対して流された時点、せめて試合中に抗議をしてくるのであればまだわかります。頭に血が上ってしまうことは私もあったし、それだけ本気だということも分かっています。許せなかった、というよりは悲しくなったのは、それが試合後だったということ。もうその時点で判定をどうすることもできないし、できることは何もない。今後に活かせることもない。そういうタイミングで判定に対して文句を言ってきたということで、非常に心が重くなりました。
優勝のお祝いにみんなでアイスを食べに行くけど来ないか?と誘われましたが、理由をつけて断りました。
その後、私の顔色を見た同僚コーチに訳を話し、選手たちに直接話をすることになりました。
試合が終わった後に判定に対して文句を言ってきた選手がいたこと、それを受けてもう練習試合では彼らの審判はしないこと、その代わりに選手達に順番で審判をしてもらい、それをサポートすること、を伝えました。悔しさやらなんやらで情けないことに涙が出そうになって、必死で涙をこらえながら説明しました。私の拙いウズベク語で正確に伝わったのかは分かりませんでした。選手たちは謝ってくれて、審判をしないなんて言わないでくれ、というようなことを同僚コーチにも言われましたが、私の決意は変わりませんでした。

審判をやってみるといかに難しいかわかります。審判は一人しかいない(線審も無しでした)のに、選手は22人います。それだけで全てを見切れるはずはないのです。その中でできるだけサッカーの楽しさを失わせずに、選手を危険から守りながら試合を続けられるようにコントロールすることがどれだけ難しいか。そして、その仕事を引き受けてくれる人がいるからこそサッカーをできるということ。
感じてほしいことはたくさんありました。こういったことはきっと私が説明するより、感じたほうが彼らのためになる。そう強く確信していました。

残念ながらそれが彼らと顔を合わせた最後の機会になってしまいました。きっと彼らには真意が伝わりきらなかっただろうし、下手するとそれでキレて日本に帰ったと思っている選手もいるかもしれません…笑
いつかもう一度彼らに会いに行けたらなぁ…と思います。

・「ミス」って悪いこと?
もう一つも同じ学年のボブール君とのエピソード。
ボブール君はお世辞にも学年の中で上手とは言えない選手でした。上手くいかないことにイライラし、プレーが荒くなり、ファールを犯し、最悪の場合、報復を受けて殴られる。笑
見ていて実に危なっかしいなぁと日々思っていました。
ボブール君はとにかくパスが出せない。ボールが来ると、いっぱいいっぱいになってしまい、結果ボールを奪われるまでドリブルをするしかできるプレーがありません。
ある日、ゲームの中で散々ボールを奪われまくったボブール君を呼びました。サッカー中に何を考えているか、何を見ているかを確認し、今後どう改善していくかを話してみようと思ったからです。
話し出すとすぐに「Хато борми?」と聞かれました。
直訳するとХато→失敗、ミス борми?→あるの?というような意味です。
失敗があるの?よくないの?みたいな意味だと思います。
彼は怒られると思ったのか、少し悲しそうな顔をしていました。

確かに、チームメイトが必死でつないでくれたボールを、周りを見ずにドリブルして毎回奪われたことはミスかもしれません。
でもそれがミスだ、というだけでは、彼は何も変われないと思います。
それに100%悪いミスってあるでしょうか?
仮に周りを見ていなくてドリブルを奪われたとしても、いつかはそのドリブルが抜けるようになるかもしれない。来る前にチラッとでも周りを見ることができればボールを奪われずに済むかもしれない。
問題は、何がしたかったのか?そのプレーをどうしたら実現できるのか?そういったことを考えているのか、ということから話をしたかったのです。

結局私が伝えたいポイントが伝えきれず、要領を得ないままに話が終わってしまいました。
アカデミーのコーチ達がそんな風に選手と個別に話をする場面をあまり見ることはできませんでした。だから、ボブール君も私が何をしたかったのかすら、分からなかったのだと思います。
彼が今後もっとのびのびとサッカーができるように成長してくれることを願っています。

4.ウズベキスタンにおいてきた「忘れ物」

こうやって振り返った結果…
帰りたいなぁ!!!!!

ひたすらに帰りたくなりました。笑
彼らはなんだかへたくそなウズベク語を話す外国人である私を受け入れてくれました。
心残りの部分ばかりを書きましたが、たくさん笑顔になれたし、何を言っているのかを必死で理解しようとしてくれたことも、たくさんご飯に誘ってくれたことも、ウズベク語を教えてくれたことも、ウォッカを飲みすぎて二日酔いになったこともありました。
それなのに、受け入れてくれた彼らに私が残せたものが少しでもあるんだろうか。
まだまだこれからで、伝えたいことはまだまだあって、だからこそ2年間の任期を全うできていれば…と思うことはたくさんあります。
できなかったことは仕方ないですが、いつか…
彼らに会いにウズベキスタンに行きたいなぁと思っています。

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