日々のこと 0126
入らないぞ~、と言い続けたNetflixに、ついに入ってしまった。
キュアロン監督の『ROMA / ローマ』を見るために。
それなりに映画を見るなら、今どきAmazonプライムもHuluもNetflixもなーんも入ってないなんて時代遅れもいいところだと思う。でも入りたくなかった。
WOWOWの番組表を見るたび「あー、見たいやつばっかり。入ってなくて本当によかった」と、いつも思っていた。
一日中、映画なんて見てるわけにはいかないのだ。見なきゃいけないDVDも常に抱えている。結局は見たいものが見れず悔しくなるのは、火を見るより明らか。
もはや良質な企画は、映画よりも予算充実のNetflixに流出しているというし、実際ラインナップには面白そうなタイトルばかり。「あの人もこの人も次作はNetflixか、キーッ!」(ハンカチを噛む)は、今までも何度となく。
なぜ配信に抵抗するか。それは、ひとえに私の集中力のなさである。
うちにはホームシアターとかない。PC画面で見る映画は、私の場合、たぶん映画館で見る時の3割程度しか内容を受け止められていない。
映画館なら上映前にそわそわ携帯オフを確認し、飴の小袋すら音に注意してチリチリ破るのに、おうちで見る時はもうダラッダラ。じっとしてられずにスマホをいじり始める。止めずにトイレも行く。
大きなスクリーンと、音響と、知らない他人と、暗闇がないと、私は集中できない。できないんだよ。涙。
『ROMA』も映画館で見たかった。アカデミー賞ノミネート効果で、上映があるのでは? と期待していたけど、待てなくなった。見たさが上回った。
それでも、3割しか受け止められなくとも、『ROMA』は素晴らしかった。
作った人の「少年時代の贖罪映画」や「実際は違ったけど、こうありたかったなー映画」に、とても弱い。ホドロフスキーしかり。『ROMA』もそんな映画だった。
キュアロンはもともと好きで、以前『トゥモローワールド』『天国の口、終りの楽園。』の2本立て入替なし上映に行き「このまま永遠にこの2本だけを交互に見ながら死にたい」と思ったくらい。娘の舞台を観劇しながら微笑を浮かべて客席で冷たくなっていた北島マヤの母親のように。劇場に迷惑だけど。
見た後、ますます大きなスクリーンで見たくなってしまった。視界をあのモノクロの海でいっぱいにしたかった。お皿がぶつかる音、水を流す音、風や波の音を、良い音響で聞きたい。配信前提で作られただろうか。全然そう思えない。
というわけでまだ見てない方、『ROMA』はNetflixでいつでも見られます。
1カ月無料なんで、継続するかどうかは後で決めればいいらしいですよ。
どうしよっかなー!笑