『THE NET 網に囚われた男』
キム・ギドク監督『THE NET 網に囚われた男』を見てきました。
ハタチ過ぎの頃、韓国を一人旅したことがある。泊まるところも全く決めない半月間ほどの旅。
「韓国に行こう」と思ったきっかけは、飲み屋でたまたま一度だけ会った、隣に座った在日の男の子だった。お互いのことを少しずつ話すうちに、彼は自分の朝鮮学校時代の話を始め、ふと「俺たちが人生でどんな目に遭ってきたか、知らないでしょ?」と半ば責めるように言われた。
「知らない。じゃとにかく行ってみよう」と思った。で、韓国へ行った。
初めての海外一人旅、初めての韓国。ハングルも分からず、英語もろくにできず、基本的にバカでモタモタしている私を、いろんな人がいろんな局面で助けてくれた。
ちょうど8月15日を挟んでいたので、外を歩いていたらあちこちでデモに遭遇した。日本では終戦記念日だけど韓国では独立記念日。言葉や垂れ幕が読めなくても、もし日本人だとバレたら殺されるんじゃないかと思う雰囲気があった。ものすごく怖かった。
行き当たりばったりで私は韓国を歩いた。
田舎では、タクシーにガンガン乗車拒否される私を見て、知らないおばあちゃんが家に泊めてくれたりした。昔の人は日本人を憎んでいるのかと思ったら「私、美空ひばりのファンなの」とCDを聞かせてくれた(当時、日本大衆文化は韓国では制限されていて『持ってるの内緒ね』といわれた)。日本統治時代を知るお年寄りは日本語が少しだけ話せ、日本を懐かしいと思っている人もいると、初めて知った。
おばあちゃん家には何日も居た。「韓国料理が食べたーい」という私に「ガイドブックみたいな料理は普通の家では作らないの!」と言いながら、おばあちゃんはあれこれ作ってくれた。私はドラゴンボールのアニメを見ながらずっとゴロゴロし、近所のおばちゃんたちがそれぞれに漬けた自分ちのキムチを持ってダベりにくると一緒につまみ食いをして過ごした。
街ではおじさんにひどい粘着ナンパをされ、怖くて泣いたら日本語学校に連れていかれた。おじさんは弁明しようとしたんだと思うが、逆にスタッフの若い女の子たちに追い払われて消えた。
私と同世代の彼女たちは仕事が終わるとそれぞれの男友達を呼び、一緒に夜の街へ遊びに連れて行ってくれた。飲んで食べて、カラオケボックスに行った。日本語学校に勤めてるくせに日本語は誰もできず、言葉がわからないお互いのために、私も彼らも、なるべく英語の有名なヒット曲を歌った。ダサい青春映画みたいだけど「レット・イット・ビー」とかをみんなで歌った。
夜中の川べりに座って、カタコトの英語とジェスチャーでいろんな話をした。くだらない話、恋愛の話、お互いの国で流行ってる音楽や化粧品の話。「おしっこしたい!」と女の子が言い出して「夜だし大丈夫だよ」と私も含めた女の子たちで木陰に行っておしっこした。
「来年、兵役なんだ」と、一人の男の子が言った。そっか、そういうのあるんだったなぁ、と思った。
「38度線って、どう思ってる?」と私が聞いたら「サーティ・エイト・ラインは、俺たちの恥だ」と、別の男の子が言った。
その後は、安い宿を取って、全員でザコ寝した。
彼らの顔は忘れてしまった。もう会っても思い出せないと思う。
でも、「38ライン・イズ・アワー・シェイム」というあの言葉を、そう言ったあの子たちのことを、どんな思いでそれを言ったのかを、現在に至るまで、私は何十回も何百回も反芻している。
今日も、映画を見ながら、また思い出した。
たぶんこの先も、ギドクさんみたいな人がこういう映画を作るたびに、私はずーっと、思い出すんだと思う。