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映画『ゴンドラ』
『ゴンドラ』(1987年)を2017年、リバイバル上映で。
監督の伊藤智生さんは、現在はTOHJIROさんというAV監督です。AV以前、約30年前に一本だけ撮った自主映画がリバイバル上映。それは興味深いなと見に行きました。
私の中のTOHJIRO監督のイメージは、いつも大きな声で笑ったり怒鳴ったり叫んだりしてる、豪快で怖そうなおじさん。『ゴンドラ』は、そのイメージとは全然違った! むしろ正反対。とても繊細で、言葉よりも映像で雄弁に語る、豊かな映画でした。
掃除しているビルの窓の向こう側の住人と初めてしゃべった青年と、音叉の響きのような鈍い目をした少女のお話です。
小学5年生のかがりちゃんは、母親と二人暮らし。初潮を迎えても一人で生理ナプキンを買いにいくしかないような女の子です。母親は自分のことに精一杯で、かがりを見ようとしていない。同じ部屋にいても、ブラインドがあちこちに下りているのが象徴的です。台所に、ベッドルームに、不自然な場所に存在するブラインド。親子の間を隔てるもの。隙間から照らす光は母親の姿をまだらに見せ、かがりの身体を縞模様に浮かび上がらせる。
いつもひとりで音叉を手にしているかがり。この音叉、そのままかがりだなあと思いました。「死んだ魚のような目をした」とよく言うけれど、彼女は、ぼわーんとした音叉の鈍い響きみたいな目をした女の子です。
四角い箱から出られずにビルを上下する窓掃除の青年と出会い、かがりは少しずつ心を溶かしていく。この青年の目も「かがりちゃんに似てるな…」と思いました。何か、二人は佇まいがそっくり。
かがりの周りには、水が執拗なほどに出てきます。初潮を迎えてしまう学校のプール、ひとりぼっちのご飯の皿を漬ける油の浮いた流し桶の水、血の付いた水着を自分で洗う泡だらけの洗濯水。
故郷の青森から東京に出てきた青年は、「ゴンドラに乗ってると、街に海が見えてくるんだ」と語ります。母親とすれ違い続け、死んだ小鳥を手にしたまま行き場のなくなってしまったかがりと青年は、青森を目指す。徐々に心を開いていくかがり。彼女の周囲にあったどこへも行けない淀んだ水は、解放感で満たされたあの美しい海へと流れ込んでいくんだと思いました。
かがりが手にしていた音叉は、小鳥の亡骸に代わります。彼女にとって大切なもの、手放せないもの。青年との旅の中でその表情が解けていくのと同時に、かがりは道に生えたネコじゃらしを手にしていたり、丸いガラスの欠片を嬉しそうに手にしていたりする。そのことに何かホッとします。
かがりが青年と海を泳いで向こう岸に渡るシーンがあるのですが、平泳ぎで進む青年に対し、かがりは真っ直ぐ腕を伸ばしたままの顔つけバタ足で、いかにもビート板の小学生という泳ぎ方。可愛くて思わず笑ってしまいました。かがりが普通の小学生みたいなことをしてくれると、安心しちゃう。
そして、私はこの映画をかがり目線だけでは見られませんでした。
思い通りにならない人生を生きるかがりのお母さんと、子どものようになってしまった夫を世話しつつ生きている青年のお母さんに心を添わせずにはいられなかった。
かがりの母親は「母親失格」のように見えるけれど、彼女は彼女なりに一生懸命やっていて、でもなぜか娘の心とはすれ違ってしまう。人生こんなはずじゃなかった…と思いながら、彼女もまた不器用な自分が悲しくて泣いているに違いないのです。
青年の母親は、息子が突然連れて来た少女を孫のように可愛がる。「めんこい、めんこい」と一緒にお風呂に入れることを喜んでいる。歩くこともできない夫を世話する毎日の中で、都会で働く息子を心配しながらきっと毎晩、床につくのだろうなあ。ついそんなことを想像してしまう、そちらにも視線を忘れない優しい映画でした。
私が見に行った回もゴンドラファンを名乗る方がいましたが、確かにこの一作で映画を離れてしまったら、見た人は監督の次回作が気になり続けると思う。AVって、人目につきにくいから。
***
最後に、TOHJIRO監督のことを少し。
上映前からロビーに立ち「いらっしゃいませ!」「ありがとうございます!」と大声で挨拶されていたのが印象的でした。トークショーは上映後です。初日でもないのに、上映前から劇場でお客を迎え入れる。たまたまかもしれませんが、他の映画ではあまり見ることがない光景だと思います。終演後も「どうやって知ったんですか?」と一人ひとりに声をかけていた。この映画を上映できることが嬉しい! 見せられることが嬉しい! とにかく来てくれてありがとう! という純粋な喜びに満ち溢れていると思いました。
かがり役の少女は当時近所に住んでいた子で、不登校で心を閉ざしていたそうです。「何か共同作業をすることで外に開いてやれないか?」というのが映画制作のきっかけという話にもビックリしました。劇中で笑顔を取り戻していく彼女は、実際そのままだったそう。この映画で多額の借金を抱えた監督は、その後15年ほどかけて返済をしたとのこと。
TOHJIROさんの約30年の人生の時間を超えて上映された『ゴンドラ』。
いい映画だと思います。で、この映画自身のストーリーにも、これを通じて出会えた伊藤智生監督という人にも、やっぱり私は感動してしまうのでした。
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追記(2017.3.25)
地方上映、名古屋での公開が始まりました。初日は監督舞台挨拶があり、入場時からお客さんひとり一人を迎えられる姿は変わらずでした。
ユーザーが直接見えにくいAVに比べ、映画上映はお客さんの顔がわかる。作り手の喜びはそんなところにもあるのかな? と思っていたのですが、「AVだってお客さんと触れ合えるよ。俺は日本一AVショップを回ってきたAV監督だと思う」というTOHJIRO監督に、ああこの方はAVだろうが映画だろうが、同じスタンスなんだなと思いました。
そして「将来もしもAVがなくなっちゃったら、AVショップでしか安らげない変態おじさんたちの居場所がなくなる。それが一番心配だよね」という冗談まじりの言葉がとても印象的でした。それは『ゴンドラ』と同じ視点だと思った。
私は「あー生きるのって大変」という人に、「でもまあもうちょっと、どーにか頑張るか!」と思わせてくれるものが世の中の表現とか作品ってものだったらいいな、と思うのです。
構想中という次回作、楽しみにしています。
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