暮らし3.0 ソーシャル化する暮らし
「人間とは社会的な動物である。」
核家族化が進み、暮らしは分断され、個で完結するようになった。
その中で、暮らしを共有しようとする試みが生まれ、ついに私たちの暮らしは社会的なものに回帰していく。
はじめに
本noteは過去の経験を綴ったものでも、確かな未来を約束するものでもありません。
ADDressという会社の社員として働き、自身も1年半ほど多拠点生活を続けている筆者が、暮らしの未来とADDressというサービスについて感じ、また考えてきたことを1本のnoteにまとめあげたものです。
そのため、解釈の間違っているところや領域に対する理解の浅いところもあるかもしれないですが、その点に関してはご容赦いただき、また知見のある方はその知見をシェアしていただくことでより解像度の高い未来を一緒に描くことができたら嬉しいです。
第1章:多様化する暮らし
皆さんは、いまどんな暮らしをしているでしょうか。
1人暮らし、実家暮らし、シェアハウス、社員寮、同棲、バックパッカー、アドレスホッパー。
色んな方がいると思います。
近年、暮らしはかなり多様化してきました。
例えば、ひと昔前まではシェアハウスという暮らし方も特殊なものでしたが、最近ではかなり周りでも聞くようになってきました。
かくいう私も実家暮らし、シェアハウス、社員寮、1人暮らし、海外暮らし、ゲストハウス暮らし、多拠点生活など様々な暮らし方を経験してきました。
大学を出て友達とシェアハウスをすると言ったときには親に反対されましたが、誰かと暮らしをシェアするのが当たり前の今になってみると1人暮らしの時には敷金や礼金、家具家電などの初期費用をよく1人で負担していたな、と驚きます。
暮らしはその人の価値観なので何がいいというものではないですが、何事にも大きな流れはあると思うので、大局的に見て私たちの暮らしはどうなっていくのかを考えてみたいと思います。
結論から言うと、暮らしはソーシャル化していく。
これが本noteの結論です。
第2章:暮らしと「ソーシャル+」
なぜ、暮らしがソーシャル化していくと考えているのでしょうか。
それは、暮らしだけではなくあらゆるものがソーシャル化していく流れがあるからです。
そのあらゆるものがシングルプレイからソーシャル化していくという考え方を「ソーシャル+(プラス)」と呼びます。
例えば、音楽で言うと、Spotifyで(AmazonMusicでも、itunesでも、カセットテープでも)音楽を聴くということは、基本的にはシングルプレイでした。
自分で好きな音楽を好きなタイミングで聴くことができ、音楽を聴くという体験そのものが個で完結していました。
それをソーシャル化したのがTikTokだと言われています。
Tiktokとはご存知の通り、音楽(や音楽に合わせた踊り)をユーザー自身が一つのコンテンツ(ショートムービー)としてシェアすることができるSNSです。
今まで個人で完結していた音楽を聴くという行為が、SNSとして人と繋がるソーシャルな手段になっています。
また、ショッピングで言うとPinduoduoというサービスがあります。
これは、TikTokほどは知名度が高くないかもしれないですが、中国のECサービスで、特徴は共同購入という点です。
今まで、Amazonで(楽天でも、アリババでも、八百屋でも)何かを買うという行為はシングルプレイでした。
自分の欲しいものを自分の欲しい時に買うことができ、買い物という体験自体が個で完結していたわけです。
それが、Pinduoduoを使うと、みんなで一緒に買おうよ!と気軽に呼びかけることができ、それを欲しい人同士が一緒に買うことでボリュームディスカウントした価格で購入ができます。
日本だとカウシェというサービスが「シェア買い」という同じ概念を打ち出しており、昨年8.1億円の資金調達をしています。
これがまさに買い物をソーシャル化しているということです。
音楽、買い物という例で見てきましたが、このようにあらゆるものがソーシャル化していくよね、というのが「ソーシャル+」の考え方で、ビジネスの次なるメガトレンドと言われています。
ソーシャル+
<音楽>
spotify(シングルプレイ)からTiktok(ソーシャル)へ
<買い物>
Amazon(シングルプレイ)からPinduoduo(ソーシャル)へ
その流れの中で、暮らしもソーシャル化していくと考えています。
第3章:「暮らし2.0」と「暮らし3.0」
あらゆるものがソーシャル化していくということは先に述べたとおりですが、それでは暮らしのソーシャル化とはどのようなものなのでしょうか。
まず、先ほどのソーシャル+の考え方に則り、暮らしのシングルプレイについて考えてみます。
暮らしのシングルプレイとは何でしょう。
そう、1人暮らしです。
当たり前すぎましたかね笑
自分の好きなところで好きな暮らし方をしていく、まさに暮らしが個で完結している状態です。
実家暮らしも大きな意味では血縁という単位で完結しているので、暮らしのシングルプレイと言ってもいいかもしれません。
これを暮らしのシングルプレイ、「暮らし1.0」と定義します。
それでは、「暮らし2.0」とはどのようなものでしょうか。
これは暮らしのシェア化だと考えています。
今まで個で完結していた暮らしを他人とシェアする。
シェアハウスがイメージしやすいと思いますが、あらゆるものをシェアするという意味では家を持たないアドレスホッパーや、世界中を転々とするバックパッカーもシェア化した暮らしです。
そういう意味では、アドレスホッパーは暮らし2.0の極地の姿と言えるかもしれません。
それでは、「暮らし3.0」つまりソーシャル化した暮らしとはどのようなものでしょうか。
ここで「シェア」と「ソーシャル」という一見似ている2つの概念について考えてみます。
「シェア」とはご存知の通り、「誰かと何かを共有する」ということです。
それでは一方、ソーシャルとは何でしょうか。
それは、「不特定多数の誰かと共有するとともに、その不特定多数の誰かも不特定多数の誰かと共有しあっており、全体として1つの生態系が出来上がっている状態」と定義できます。
シェア・・・(特定・不特定問わず)誰かと共有する
ソーシャル・・・不特定多数の誰かと共有するとともに、その不特定多数の誰かも不特定多数の誰かと共有しあっており、全体として1つの生態系が出来上がっている状態
ソーシャルという概念について考えるときにSNSを考えるとイメージしやすいですが、TwitterもinstagramもSNSと言われるものは全て、自分が不特定多数と繋がれるということでなく、不特定多数が不特定多数と繋がれるという性質を持っています。
一方向の矢印ではなく、矢印がネットワーク状に広がっていく、その形がまさにソーシャルです。(まさにSocial Networking Serviceですね。)
つまり、ソーシャル化した暮らしとは、単純に暮らしをシェアしているという状態ではなく、不特定多数が不特定多数と暮らしをシェアし、全体として1つの生態系をなしている状態と考えることができます。
例えば、シェアハウスは1つの家で完結していますし、バックパッカーやアドレスホッパーも不特定多数の誰かとシェアしてはいますが、その不特定多数の誰かが互いに繋がり合っていない、またその全体の生態系の中に自分が身を置いていないという点でソーシャル化した暮らし(暮らし3.0)ではないということです。
また、近年よく聞く新しい暮らし方を表現する言葉としての「Co-Living」についても考えてみましょう。
ちょっと専門的な話になるので、このまま読み飛ばして第4章に進んでいただいても大丈夫です。
まさに、ADDressも「Co-Living」サービスを謳っており、「Co-Living」について公式HPで以下のように解説しています。
コリビングの英語表記は「Co-Liiving」であり「一緒に暮らす」という意味です。一緒に暮らすと聞くとシェアハウスをイメージする人も多いかもしれませんが、コリビングとシェアハウスは暮らし方が異なります。
コリビングとは、複数人で居住空間を共有しながら暮らす「シェアハウス」と、仕事空間を共有できる「コワーキングスペース」の2つの特徴を併せた住居のことを指しています。
コリビングは、インターネット環境が整い、ノマドワークやリモートワークといった新しい働き方が生まれた時代だからこそ支持される新しい暮らし方と言えるでしょう。
Co-Livingというのは、上記を読んでも分かるように「シェア」の概念です。
その点で、Co-Livingというのは暮らし2.0を表現した言葉であり、暮らし3.0つまり暮らしのソーシャル化には適切な表現ではありません。
強いていえば、暮らし3.0とは「Social-Living」と呼べるかもしれません。
第4章:ADDressとは何なのか
では、ADDressというサービスについて考えてみましょう。
私はADDressはまさに暮らし3.0を実現するサービスだと考えています。
もちろんADDressユーザー個々人で言えば、月額4.4万円で全国の200を超える家に住み放題できるという点で暮らしのシェア化(暮らし2.0)に他ならないのですが、そのような暮らし方をしているADDressユーザーが全国にいて、家も全国にあり、互いに繋がりあって暮らしています。
私たちADDressユーザーは、鎌倉B邸といったときに同じ家を想起し、小田原A邸の家守さんと言ったときに同じ人を想起し、次に使うかもしれない誰かのことを思いながら家を綺麗にして、新しくADDressで出会った人と今日笑って過ごしながら、以前にADDressで出会った人に思いを馳せたりします。
この全体の枠組み自体がとてもソーシャルです。
個人が多拠点生活をするという暮らし2.0としての側面ではなく、その個人が全体として繋がりあい1つの生態系を形成しているという暮らし3.0としての側面がADDressの本質なのです。
その点で、個人でADDressのような暮らしはできるのかという質問に対しては、多拠点生活(暮らし2.0)は個人でも実現できるが、ソーシャルな全体の枠組み(暮らし3.0)は作れないので、答えは「NO」になります。
その点で、ADDressのサブスク料金というのは、多拠点生活ができるという「シェア」や機能に対する対価にとどまらず、それらが有機的に繋がりあったADDressという「ソーシャル」への参加料なのです。
第5章:何がソーシャル化を加速するのか
ADDressには全国200を超える家をシェアしているというリアルなコミュニティの他に、オンラインのコミュニティもあります。
Facebookを活用した実名制のコミュニティで、ADDressユーザー全体向けの「会員コミュニティ」のグループと、趣味や興味関心などで繋がる有志の集まりである「部活」のグループがあります。
この「会員コミュニティ」や「部活」の取り組みは、ADDressを暮らし3.0のサービスたらしめる1つの大きな役割を担っています。
例えば、会員コミュニティには日々何かしら会員さんや家守さんの多拠点生活の様子がシェアされています。
それはまさにTwitterやinstagramなどのSNSのフィード投稿のようなもので、その投稿を眺めることで、いいね!やコメントをしなくても自分がADDressというソーシャルの一部であるということを自認する機会となっています。
その日々の投稿の積み重ねにより、ADDressユーザーひとりひとりの有機的な繋がりは生まれ、また強化されていきます。
それこそが、暮らし3.0の姿です。
それでは、各部活の取り組みはどうでしょうか。
ADDressの中で2020年末からスタートした取り組みが「部活」です。
現在20を超える部活が活動中ですが、この部活制度のすごいところはスタートしてから1年半ほどの中で、とある1ヶ月を除いて毎月何かしら新しい部活ができているという点です。
これほど活発なコミュニティはあまりないと思いますし、その熱狂こそがADDressがソーシャル化した暮らし(暮らし3.0)のサービスとだということを表していると思います。
部活はもともと「趣味や興味関心が近い人同士で繋がる」という主旨でスタートしたためADDressを純粋に楽しむという目的の部活がメインでしたが、ここ最近はADDressというサービスを自分たち自身で創ったり、広げたりという活動も生まれています。
ここではそのような部活を紹介するために、便宜上それぞれの部活を以下の3種類に分けて紹介してみます。
部活① ADDressを楽しむ
ADDressでの暮らしや、ADDress全体をより楽しもうという部活です。
具体的には、「珈琲部」や「サウナ部」「カレー部」など趣味で繋がる部活です。
部活のグループでは、それぞれの趣味にまつわる投稿がされたり、部活のテーマに基づいたイベントが開催されることもあります。
多拠点生活をしながらオススメのカフェを共有しあったり、スパイスカレーのイベントを開催したり、という感じです。
部活② ADDressを創る
ADDressを、ADDressユーザー自身で創っていこうという部活です。
具体的には、「テック部」や「こそだて部」「家守代行部」などがあります。
「テック部」はADDressユーザーのエンジニアの方々が作った部活で、「ADDressに必要なサービスを自分たちで作ろう」をテーマに掲げています。
また、「こそだて部」は、子どものいる世帯でもADDressを使いやすくするにはどうしたらいいかを、部員全体で考えています。
部活③ ADDressを広げる
ADDressというコミュニティを、ADDressの外に広げていく部活です。
ADDressユーザーだけでなく、ADDressの家のある地域の方なども巻き込んで活動しているのが特徴です。
「沖縄なんかしたい部」や「たらぎ部」、「エクストリームワーケーション部」などの部活があり、部活を楽しむことが地域貢献にも繋がっていく形をそれぞれの部活が模索しています。
そして、上記の部活以外にも、「アドラジ」というポッドキャストでADDressユーザーが他のADDressユーザーを紹介していたり、ADDressユーザーがADDressのイベントにゲスト登壇してくれたり、イベントスタッフとして一緒にイベントを作っている方もいます。
このような活動がADDressユーザーひとりひとりから自発的に生まれ、それが全体の益になっていく。
まさに、TwitterやinstagramなどのSNSで、ユーザー自身が作った投稿が全体の益になり、そのサービスそのものを形作っていく構図と同じです。
とてもソーシャルな現象ではないでしょうか。
また、このように暮らし3.0のサービスであるADDressをよりソーシャル化していく仕組みは、会員コミュニティや部活だけではないと考えています。
例えば、いま私が仲の良いADDressユーザーさんたちと実験的に始めているのが「ADDressユーザー同士での位置情報の共有」です。
Zenlyという位置情報シェアサービスを利用して、全国で多拠点生活をするADDressユーザー同士で互いの位置情報をシェアしています。
今は互いの位置情報を何かに使っているというわけではないですが、例えばどこかの地域に行ったときに近くのADDressの家に仲の良いADDressユーザーがいれば食事に誘うかもしれません。
また、何もしなくても寝る前にZenlyを開くと、他のADDressユーザーが全国で暮らしている様子を体感することができます。
その感覚自体が、まさにソーシャルだと思います。
このような取り組みは、思い浮かんでいないだけで他にもまだまだあるはずです。
ADDressという暮らし3.0のサービスだからこそできる取り組みは今後も進めていきたいですし、それは間違いなく暮らしの未来にも繋がっていくと確信しています。
(ご興味ある方、暮らしのソーシャル化のための新しい取り組みについてぜひディスカッションさせてください!!)
もしかしたら今までの文章を読まれて、「ユーザーに頼りすぎではないか」「ADDressというサービスのことについてはADDress社が考えるべき」という方もいらっしゃるかもしれません。
それも一面では真理だと思います。
ただ、私がADDressのコミュニティを担当していてよく考えるのは、「ADDressとは誰のものなのか」ということです。
私の答えとしては、ADDressはADDress社のものではなく、ADDressに関わる広い意味でのADDressユーザーひとりひとりのものだ、ということです。
なぜなら、それこそがソーシャルだからです。
TwitterやinstagramというSNSが、Twitter社やMeta社のものだと誰が思うでしょうか。YoutubeがGoogle社のものだと思うでしょうか。
それらのSNSは、投稿をアップする、視聴をするなど何かしらの形で関わる私たち全てのものなのです。
その点で、ADDressとはプラットフォームであり、ADDressに関わるひとりひとりが「この暮らしを守りたい、より良くしたい」という想いにより行動することは、とても自然なことだと思います。
また、そのようにADDressというソーシャルの中で力を発揮することで、その人の自己実現もなされたり、ADDressの内外でもより個人として影響力を持っていくという側面もあります。
これは、まさにinstagramからinstagramerが、YoutubeからYoutuberが生まれてきた構図です。
ADDressユーザーがそれぞれにそれぞれのユーザーを意識し、支え、そのソーシャルな枠組み全体を全体の力によって守り、発展させていっているわけです。
暮らし2.0から暮らし3.0への変化は、暮らしの「共有」から暮らしの「共創」への変化でもあるのです。
それこそが、ADDressというサービスが暮らし3.0のサービスであると日々実感している点であり、ADDressというサービスのとてもユニークな点だと思うのです。
おわりに
暮らしというのは、とてもよくその人の価値観を表します。
また、それだけでなくその時の社会情勢や人々の感覚も反映しています。
つまり、暮らしとはその人の価値観の表層化したものなのです。
私はADDressに関わる前に、長らく教育に関わっていました。
高校生のキャリア教育、AO(総合選抜)入試対策、モンゴルでの学校勤務、その後に関わってきたキャリアという領域も教育ととても密接した分野でした。
そのような私がADDressと関わって感じたのは、暮らしを変えることがこんなにも人の価値観を容易に変えていくのかという驚きでした。
今まで1つの教室の中でどれだけ向き合ってもなかなか変わらなかった個人の考え方というものが、暮らす地域や暮らし方を変えることでどんどん変わっていく。
教育というストレートな手法以外にも、人の価値観と向き合うこんな変化球があったのかと日々感じます。
まさに、かわいい子には旅をさせよ、ということです。
そして、大事なのは自分の暮らしに自覚的になることです。
いま、私たちは自分の暮らしを自分で選べる稀有な時代に生きています。
一昔前まで、私たちは親の生まれた地域で親とともに暮らし、その後に大学など教育機関に近い場所で暮らし、それからは会社に近い場所で暮らし、自由に暮らしを考えられるのはリタイアして第2の人生を考えるときでした。
それが、テクノロジーの発達と、また不幸なことではありますがコロナウイルスが蔓延したことによるリモートワークの拡大で、暮らしの自由度は格段に上がっています。
もっと言えば、つい数百年前までは藩を出るだけでも関所があり、脱藩は命がけという時代もあったわけです。
いま、私たちの暮らしはどこまでも自由です。
その時代に、どのような暮らしを選択しますか。
暮らしに何を求めますか。
それこそが、あなたの価値観です。
自分の価値観に自覚的になり、納得して選んだその暮らしこそ、あなたにとっての最高の暮らしなのです。
さあ、漕ぎ出しましょう!
暮らしの大海原へ。
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