宮崎牛の一生
2014年3月20日に農山漁村文化協会(農文協、東京)から出版された宮崎日日新聞社著「宮崎牛物語 口蹄疫から奇跡の連続日本一へ」。出版に合わせ、本書第5章から抜粋して再構成し2014年3月27日から同年4月11日まで「宮崎牛の一生」として本紙連載されたものです。
<第5章 牛たちの一生 あふれる愛情で成長>
子牛が誕生し、繁殖、肥育農家らの手によって宮崎牛として出荷されるまでを追い掛け、それに携わる人々の愛情あふれる思いに耳を傾けた。
繁殖農家は1年1産を目指して種付けし、安全に出産できるように妊娠中は母牛の体調管理を気に掛ける。約300日かけて育てた子牛は競りを経て肥育農家に買われていき、成育段階に合わせて種類・量を細かく調整した餌を与えられ、霜降り牛へと成長していく。
安全な牛肉を食卓に届けるための食肉処理や宮崎牛の格付けの現場、食用にならない骨や内臓を処理するレンダリング工場など、知られざる畜産の裏方も紹介する。
1.誕生
■死産は経営、精神的痛手
全国和牛能力共進会長崎大会(2012年)で連続日本一を果たし、全国のレストランや家々の食卓を彩る県産最高級牛肉「宮崎牛」。しかし宮崎牛がこの世に生を受け、農家の愛情を受けてすくすく育ち、最終的に人間の命をつなぐ肉となっていく過程は県民にもあまり知られていない。肉以外の骨や皮も身の回り品に生まれ変わり、人の役に立っている。その誕生から、牛肉となってその使命を終えるまでを、農家の日常を交えながらたどってみたい。
「よし頑張れ。いいぞ、いいぞ」。串間市串間にある谷口畜産で蓑輪康広場長(41)が励ます中、繁殖和牛の雌牛「きくの721」の出産が始まった。陰門から茶色の液体が出る1次破水の後、羊膜に包まれた2本の前脚がゆっくりと現れ、頭が見えてきた。
子牛はうつぶせで出てくるのが正常だが、あおむけの体勢だったり、後ろ脚から出てくる逆子だったり、アクシデントが付きもの。時には農家が脚や頭にロープやベルトを掛けて引っ張り、体が大きければ滑車なども使って手助けをする。子宮がねじれて手に負えないケースなどは獣医師の出番となる。
それでも事故は避けられない。串間市を含む南那珂地域では年間5300頭の出産があるが、200頭が産声を上げることなく命を落とす。母牛が妊娠中健やかに過ごせるよう心を砕く農家にとって、待望していた子牛が死産となれば経営的、精神的に二重の痛手となる。元気に生まれるよう近隣農家は結束し、夜中が多い出産にもできる限り立ち会う。
分娩にかかる時間は平均1~2時間。きくの721は1時間ほどで無事に終わった。難産になると、脳に血液を流れやすくするため子牛の後ろ脚をつかんでつり下げたり、心臓マッサージを施したり、農家や獣医師による手厚いフォローが待っている。へその緒も手際よく消毒される。
生まれたての子牛は1~2時間、おぼつかない足取りで立ったり倒れたりを繰り返し、自分の脚で懸命に立ち上がろうとする。その間、ぴったり寄り添う母牛がその全身をなめ、血行を促進させる。最初の関門は免疫力を高める初乳をスムーズに飲めるかどうか。うまくいかなければ、農家が子牛を母牛の乳房に導いたり、初乳と同じ成分の粉ミルクを与えたりする。
一仕事を終えた蓑輪場長はきくの721に甘える子牛に目を細めた。繁殖雌牛170頭、肥育牛350頭を養う大規模農場のため日常から出産に追われ、不規則な生活を10年近く続けている。「生き物相手の仕事で苦労も多いが、生まれてくる子牛は人間と同じようにかわいい。やりがいは大きい」と話す。
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