甦る記憶 戦後77年とウクライナ侵攻
ロシアから侵攻を受け民間人にも多くの犠牲者が出ているウクライナ。報道などで現地の惨状を目の当たりにし、記憶が呼び覚まされた太平洋戦争の経験者も少なくない。今年で戦後77年。遠い異国で続く惨劇に、自身の体験を重ね合わせて胸を痛め、平和への思いを新たにする当事者たちの声を聞いた。
(1)動かない血だらけの親友 子どもの犠牲へ怒り
延岡空襲で機銃掃射を受けた/堀順子さん(85)=宮崎市
「ロシア軍がウクライナ南部の集合住宅などをミサイル攻撃。10歳以下の子どもを含む21人が死亡」-。2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻以降、毎日のように届けられる新聞やテレビの写真や映像など。特に子どもたちへの無差別な攻撃を見聞きするたび、宮崎市月見ケ丘4丁目の堀順子さん(85)はあの夏の記憶が鮮明によみがえる。
「ばぁーっ」。1945(昭和20)年夏、当時住んでいた延岡市に敵機が操縦席がはっきり見えるほどの低空飛行で襲来。川で遊んでいた当時8歳の堀さんたちを機銃掃射が襲った。「鼻が高くて魔法使いのおばあさんのように見えた」。“魔法使い”はいとも簡単に一緒にいた親友の命を奪った。
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