はじめって何書けばいいんだろう。
note始めたらいいじゃない、と言われたのは去年の夏頃だったかしら。
私のinstagramの投稿というのはオシャレなお店を投稿をするわけでもなく、自撮りをバンバカあげるわけでもなく、友達との楽しいひと時を記録するのではない。
文字数に制限がないからありがたいわ、といって気が滅入るほどの長文をあげる。需要がないかもしれないけどね、誰かが、そう一人でもね、いいのよ、わあイイネありがとう、よくもこんな長文読んでくれて…、ラブユ!なんてね。気づいてはいたけど、そのままにしておいたの、新しいことを始めるのって続かないだろうし、なんだか面倒くさくって。使い慣れている媒体の方が楽だしね、いや、でもな。
インスタの使い方間違ってね?
今何月?四月も終わりでしょう。まあ、やんなっちゃう。こうやって自分でやってみようかな~と興味をもったものを後回しにしちゃう。時は私なんかを待ってくれない。当たり前だけど。
インスタさんから「またこいつ長文載せてるよ、過去の盛れた写真適当に引っ張ってきてさ、でも写真適当なのに文の長さがすごいのよ。僕の得意分野は写真なのに」
インスタの一人称がなぜ僕、なのかは置いといてそろそろインスタさんにもご迷惑はかけられないし、私はこれからも文を書き続けたいだろうからnoteを始めてみようと思ったの。某Tさんの勧めもあったし。ありがとうTさん。笑
とは言えnoteを始められないきっかけはもう一つあって。私はというと、
文章を自己満でかいている割に人からの評価だのを気にする傾向があるところ
があるの。いい評価を得ようとなんて思ってないんだけど「こいつの文章イキッテル」って思われるのがきついの。いい例が歌、で。高校までは自分でうまいほうかな、とか友達から褒められたりね、調子に乗ってた。でも大学はいって打ち砕かれた。少しでも自分の強みであるのかなと思ったものが打ち砕かれる瞬間って本当に怖いのよ。何もなくなっちゃうような気がして。それよりも「スキ」ってことを尊重すればいいのにね。そんな強さと冷静さはそのころ全くなくて。人前で一人で歌うことができなくなった。できても思うように声が出せなくなったの。一種のトラウマかな。誰しもがそういう瞬間あるのかもしれないけど。
まあそうはいっても「そんな人間ってあなたに興味ないよ、気にせずに行動すればいいじゃない」って言われるし、最近思うようになってきた。けどそれもなんだか悲しかったり。なんだかな。
めんどくさいな、メンヘラなの?
目に見えないはずの人からの評価に左右される私は、誰なんだろうと思う時もある。思考がマイナスよりで面倒くさく、人に優しくしたい割に心が狭く、一人が好きだけど孤独が怖くて、そして小心者のくせに暴走する私をいつでも見放さずに救ってくれたのは「言葉」なの。「文章」なの。noteは私に居場所を作ってくれるのね。だからインスタさん、今までありがとねー!(noteをはじめて利用したのは課題のカンニングのため、だったなんて言えない)
自分のために書くの、書きたい文章を書きたいときに書く、文章力が不完全でモヤモヤすることもあるかもしれないけど。それでもいいの。
プライド捨てて不完全さを素直に認め、そんな自分を愛していきたい。
太字にしては長いな。ボケたらツッコみまでセットでお送りしたいと思います。いや~全然ボケてないけど!うっせえ私。
Freut mich.