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感覚を大事に。
おかしいと思う事を周りに流されずに。
作業をしていると最初は慣れないから繰り返し作業して体で覚える。
感覚で覚える。
何年も繰り返しやっていくうちに体が覚えているから、最初の頃のぎこちなさも無ければスムーズに進む。
そして少しの変化、おかしい?と感じる事もできる。
人は感覚に繊細な生き物なはず。
昔は狩に行けば気配を消して獲物に近づき仕留める。
その時の空気は、現地にいる人にしか分からないだろう。
私自身も、山の畑で作業していても、湿度や風、匂いなどで「雨が降りそうだな」と感じる事がある。
人は産まれもった感覚を大事にしてきたはずだ。
神社、お寺、仏閣に手を合わせる。
緊張する時なんかも願う。
いただきます。ごちそうさまでした。
と感謝する。
全ては目に見えないモノなんだ。
それなのにいつから、数字やら学者の発表した事ばかりが正しいという感覚になってしまっただろうか。
視点をもっと上から見て視野を広げて考えた時。
情報というモノで人を誘導していると感じないだろうか。
何かと
「昨今の厳しい世の中において、、、」と話しだす人がいる。
同じのことを何回も繰り返して言うことで潜在意識に刷り込む
起こっていないことも、あたかも本当の出来事のように。
人は宝くじを買うと
「当たったこと」ばかりを考える
人は自分が事故の事は考えない
不幸な事は考えないように生きている。
いやな情報は、聞きたくない考えたくないという本能。
ただね、事故や怪我、災害など不幸と捉えられるような出来事が起こった時こそ、【感覚】を大事にすること。
事故であれば、痛いと感じる。
車ならば、すぐさま行動しなくてはいけない。
災害などもそう。
自分の命を守ること、家族、地域の人。
優先順位がある。
起こったことを、悔やんでも事実は変わらないのだから、起こったことから何を学ぶのか?
ネガティブな考えや情報からの誘導にとらわれることなく、今ある最善の感覚を大事にすること。
テレビやラジオ、新聞などを普段は見ないという人も多いのに、災害の時だけ、テレビをつけて見ている姿は異様に思える。
情報社会なのだから流されている情報を鵜呑みにするのではなく、自分から情報を選びとるということ。
変だな?と感じることがあれば、自分なりに聞いて見たり周りに聞いてみるとか。
農業やってて、表に見える情報と農家として見える情報があまりにも違いすぎること。
それはどんな職種にも言えるだろう。
違和感こそ、何かの氣付きを与えてくれると思ってます。
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コロナ
芸能界のこと
政界のこと
たくさんの情報がある中で違和感や感覚を大事に。
あぁだこうだと分断することや判断することせず。
〇〇だったら?
〇〇の可能性もあるよね?
で良くないかい?
そんなの絶対あるはずない!
バカじゃないの!?
不謹慎!!
とかで怒りに任せるのは思うツボ。
広い視野と心で生きよう。
食べることは生きること。
そのものだよ。
まぁ今日はこの辺で。