アップデート
せやろがいおじさんのツイッターはフォローこそしてないけどRTで動画は何度も見ていて好感を持ってます。この動画もRTから興味を惹かれて見ました。me too 運動にはわたしも非常に助けられた面があり、ネットでの関連記事や、島本理央の直木賞受賞作「ファーストラヴ」を読んで、自分も子供の頃に受けた性暴力が元になって自己認識が随分と歪んでしまったことに気がついて。今後も、こういった方たちがますます活動の幅を広げられる世の中であってほしい。けど、お二人の対談を聞いていてほんの少し違和感をおぼえたのも事実です。内容ついての批判ではないのですが。たしかに、価値観をアップデートすることはこれからの世の中さらに重要になっていくと思うけど、もはや前提としてインターネット及びスマホありきの感覚ですよね。わたしはパソコンでのネットはまあまあ長く使ってるけどスマホ歴は一年ちょっとで、スマホって便利さも毒性も強烈だなと感じていて、あえて乱暴にたとえてみるならば、大麻と他のドラッグくらいに違うんじゃないかと(←経験ないです!)。政治的なツイートをする作家の方を何人かフォローしたりして意見を参考にしてるのだけれど、過剰に攻撃的な面を見かけて大丈夫かな?って思うこともあって。身体感覚への影響はけっこうバカにならない気がしてます。ネットでの誹謗中傷が癖になってる人ってそこで日頃の多大なストレスを解消する回路ができちゃってるのかなとー思うし、陰謀論とか世界中で急激に拡大しつつあるのも多分スマホありきの話ですよね。全く詳しくないのですが、台湾のように市民運動とネットがいい意味で結びついたケースもあると思うけど、可能性が広がった一方で、人間の負の面がむき出しになってきた感もあります。歴史は繰り返す、といいますし、おそらく人間本体そのものはそんなすぐにはアップデートされないじゃないですか。二十年前の携帯やパソコンを考えると隔世の感あるけど、そもそもの成り立ちが安定した電力供給や消費社会が前提な上に、歴史上では現代が特殊すぎる時代なわけで、人間や地球環境のキャパシティーなんかを今一度見直したいなと個人的には差し迫って感じていて、ヨガや呼吸に関心を向けている今日この頃です。メディアリテラシーについても改めて考えたい。ナチスのプロバガンダやルワンダの虐殺ではラジオが大きな役割を果たしたらしいけど、テレビやパソコンやスマホ、本当~に、このままでいいの?って危機感をおぼえます。もちろん、のめり込まずに適度な距離感を保てる人も多いと思うんですが、自分も含めて、バランス崩しちゃう人も少なくない気がする。
話はちょっと飛びますが、ここ一ヶ月くらい、ヨガの瞑想的な世界におそるおそる足を踏み入れてみてぼんやり感じたことは、さまざまなスピや宗教において、アプローチのプロセスこそ異なるけれど、結局は、人間の体の基本的な構造が同一であるということに立ち返るのかなと。ざっくり見ると。さらに話は脱線すると、村上春樹はオウム真理教の被害側加害側の両方に取材して二冊本を出してます。その後の小説「アフターダーク」では中国人の娼婦に暴力をふるったシステムエンジニアが深夜ヨガマットの上で腹筋運動をする場面が個人的には強く印象に残ってます。「1Q84」の青豆はとある宗教の熱心な信者であった家族と子供の頃に縁を切り、人体の機能やストレッチのプロである腕を買われて新興宗教の教祖を殺害したり、そういや春樹自身もマラソンランナーだし、小説にセックスシーンを書きたくて書いてるわけじゃないとたしか言ってたし、人間の身体と精神とのつながりやバランス、そういった重要性や危険性が大きなテーマであると言えるかもしれません。
この文章を書き始める前、パソコンが立ち上がるのを待つ間、ふと手に取った本に、「便利なものや、能率をあげるものは、しばしば、人間の余裕を奪ってしまうのである」との件があって、そうそう、そういうことだよねーと得心した次第です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?