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spring has come

しばらくぶりにnoteを更新したくなりました。文章を書きたい気持ちはずうううっとあったのですが。4月1日、エイプリルフールですね。昨夜は二十歳近く年上の飲み友だちと同居人と三人で花見酒しました。ここ数日は体調が崩れ気味で疲れてたけどふと気が向いてあり合わせの材料で普段のおかず並みの簡単な弁当をこしらえ、スーパーで待ち合わせて缶ビールと値引きされてた三岳一升瓶とプラカップと氷を購入、公園の大ぶりな桜の木の下でレジャーシートを広げて、同居人のiPhoneからBluetoothのちっちゃいスピーカーで音楽を流して、夕暮れどきに杯を傾けました。15年働いた仕事場からすぐ近くの公園は桜の名所でこれまで何度となく一人でも人と一緒でも花見酒をしてきて、また連絡取りたいのだけれどなんとなく躊躇してしまう元同僚を想ったり、今この状況を不思議に感じたり、内心しばし感傷に浸りつつも楽しいひとときを過ごしましたが、飲み友はしまいに酔いつぶれてタクシーで家まで送り届ける羽目となり、家の場所わかる私が自転車で向かうよ!と二手に分かれてすぐ、友のお洒落自転車をうまく操縦できずに公園内で派手に転倒した私の姿を遠目に見て激しく不安になったと同居人に後からさんざん聞かされました…。花見の夜の珍事として、いつの日かなつかしく思い出されるのかしら。タイツのおかげで左膝を軽く擦り剥いて青あざができた程度で済みました。一升瓶はちとやり過ぎでしたが、三岳のロック、美味しかったな。

この半年くらいは表面上は大きな変化もなく淡々と穏やかな生活を送れてますが、心の在り方は大きく変化したように感じていて、今の生活環境のおかげだなあとつくづくありがたいです。大きな変化はここ最近のことだけど、仕事を辞めたのちコロナ禍となりステイホーム生活でヨガを始めて数ヶ月の頃に、自分の中で忘れられない強烈な思い出があります。またヨガを始めたばかりでヨガそのものに全く集中できず頭の中が退屈だったので、図書館で借りて何冊か読んだホオポノポノの本で知った「ありがとう、ごめんなさい、許して下さい、愛してます」という言葉を、日本語だとめちゃくちゃ違和感があるのでとりあえず英語で頭の中で思い浮かべながら簡単なヨガをやってみてたときがあって。「thank you, i am sorry, forgive me, i love you」みたいな感じで繰り返しながら無心に体を動かすうちに、いつの間にかforgiveがforgetに、loveがhateに変換されており、恐ろしいことにそっちの方がどう考えても自分にとってしっくり来るので、私の無意識どれだけ病んでるんだ?ヤバくないか?とおぼろげに自覚したのでした。今になって思い返すとその行動の全てが突っ込みどころ満載な気も。マインドフルじゃなさすぎて。そのあと9年ぶりに躁鬱の大波に見舞われてそりゃもう大変でしたが、ヨガを始めたこと、病気になったことで、改めて自分と向き合うことができて、それなしには今の自分はあり得なかったと思うので、紆余曲折あったけれど、これもまた必然の流れであったようにも感じてます。

自分が自分を虐待し続けてるような面が子供の頃からずうううううっとあって、そのことに無自覚で、要はコップに穴が開いて水が漏れ続けてるような精神状態で、だからこそ二十代で躁鬱になったのかなと。薬は飲み続けて日常生活はかろうじて送れてこれてたけど、「穴」に対して目をつぶってきたことに、ヨガや瞑想のおかげで、そして同居人のおかげで心が安定してきて、ようやく気づけてきてますが、まだまだ道半ば、なんだろうな。


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