見出し画像

Tokyo Long Letter への手紙

先週の日曜日、秋田のら珈琲(https://shop.nora-coffee.com)でウクレレひきがたりしてきました。チル部Vol.6ということで、営業時間中に演奏したりしなかったり、要は完全生音の生演奏BGMみたいな感じです。のら珈琲の店主森くんはかつて上京してQurageという名義で音楽をやっていて、わたしは一時期サポートメンバーとして演奏に参加させてもらってました。

生まれて初めてライブハウスで演奏したのは2007年1月、Qurageが京都に遠征したライブで、前月にやはり生まれて初めてスタジオでのバンド練習に参加し(新宿JAMのリハスタでした)、楽譜なしで演奏したこともなければ作法も身の置き場も一切見当つかず、おそるおそるクラリネットで合奏に加わったのですが、森くんとドラムの鬼頭くんが、いいんじゃない、これでやってみよう、と何故だか納得してるので、なんだかわかんないけど二人がいいって言うならやれることやっちゃうよー!!!と無我夢中で喰らい付いて行ったのでした。
子供の頃はエレクトーンを習っていて中高は吹奏楽部でクラリネットを吹いてたけど、音楽を作り出すのは生まれつき才能のある人にしかできないことだとそれまでずっと思い込んでました。あれは小学校3、4年生の頃だったか、不意に歌を作ってみようと思い立ってやってみたらば自分でもびっくりするくらい陳腐なものしか出て来なくて、こりゃダメだと早々に諦めた記憶があります。歌と鍵盤と違うことを同時に演奏するのも全くできなかったし。音楽は大好きでずっと聴き続けてたけど、よもや三十過ぎてから自分が受け手じゃなく発信する側になれるだなんて、ソフトに天地がひっくり返るくらいの衝撃でしたが、一度きりの人生、やってみない手はないなと、そうとは知らず大海原にざぶんと飛び込んでしまったわけです。
話を戻します。数回のライブを経て春になる頃サポートはいったん終了となってちょっとがっかりもしましたが、ネットで4トラックのカセットMTRを買って(キセルの影響)カバー曲の宅録をやってみたり、他の方のサポートもちょいちょいやらせてもらったりなんかするうちに、森くんが自主レーベルZombieForever(通称ゾンフォー)を立ち上げ、Qurageとcirceと矢野ミチルさんのユニットDrawingsにやはりサポートメンバーとして参加させてもらう運びとなり、ライブレコーディングや地方遠征を経験したり、ゾンフォーのコンピレーション音源用にソロ名義で人生初オリジナル曲を宅録して…今こうしてウクレレひきがたりとして活動しているのは、まさに森くん及びゾンフォーとの出会いに端を発しているんです。

山形ハードコアシーン由来のDIY精神はスパルタかつ放任でしたが、もしそうでなかったら、わたしも未熟なりにあそこまで好き勝手に自分を発揮できなかった気がします。Drawingsのライブレコーディング音源「5tracks/3songs/1picture」の三曲目に収録されている「Drawing」をわりと最近iPodの全曲シャッフルでたまたま聴いて、わたし何やってんだ、とちょっとびっくりしました。いい意味で。レコーディング当初はまだマイクの返しすらよく理解できてなくって、ひたすらガムシャラにできることを必死でやってたんですが、素人なりにいっぱしの演奏してるんですよこれが。当時、Qurageのサポートが初だったって言うと「え?」って顔をされたことが何度かあったのを憶えてるけど、そりゃそうだよね、と今になってわかります(逆に、曲によってはクラリネット下手すぎてびっくりするんですけどね…辛い…)。本当に、得難い経験をさせてもらいました。当時の演奏とそれにまつわる記憶は自分の中に鮮やかに残っていて、つい昨日のことのようってまさにこれだなと改めて実感します。
Qurageで一番の思い出はやはりアルバム「Tokyo Long Letter」のレコーディングとライブに全面的に参加させてもらったこと、これに尽きるのではないかと。おもちゃの鉄琴、ピアニカ、アンデス、クラリネット、カリンバ、コーラス(は一箇所だけ)、リコーダー。カセットMTRでの宅録経験とライブで培った度胸、過言ではなく、その時点で持てるものを全て出し切りました。下北沢屋根裏のレコーディングスタジオで夜中のオーバーダビングを終えて、明け方にみんなと分かれて一人になった帰り道、張りつめてた気が緩んだら少しのお酒で泣けてきてしまって、朝の新宿を泣きながら大荷物でさまよった痛々しい記憶があります。さておき。森くんとわたしだとお互い言葉が足りないところを鬼頭くんにしょっちゅうフォローしてもらったし、エンジニアの伊藤さんもQurageの音楽を理解して親身になって関わって下さり、良いチームワークで制作した良いアルバムだなと今でも思います。森くんの作る曲が単純にとても好きだったし、自分にとっては音楽に誘ってもらうきっかけとなった張本人でもあるので、どうしても思い入れが過剰になってしまい(雛鳥がはじめて見た動くものを親と刷り込まれてしまうように)、お互いの距離感がうまく一致せずその後サポートを離れることになったのですが、歳月を経て、今回のら珈琲で久しぶりに再会して演奏させてもらったことは、だから心から嬉しい出来事でした。お互い変わらない部分で気兼ねなく接することができて。


あれはDrawingsで京都に遠征したときだったか、個人宅である京都の町家で、昼間にQurage二人編成で演奏したことがありました。何故かそのときわたしはウクレレを持って行って、当時唯一弾き語れたフィッシュマンズの「新しい人」を人前で初披露したら、ゾンフォーコンピに収録された「月とベランダ」もやりなよって家主の石田さんが言って下さって、けどピアノと歌を別録りした曲なので本当に弾き語りできないんですよって断ったらば、森くんに「…みんな最初はそうなんだよ!!!」と一喝されました。そしてライブ後に星の王子様たちの小口さんが「いい声だから歌った方がいいよ」と言って下さって。

忘れられないことばかりです。ありがとう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?