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MITTANを巡る旅の途中

※本記事は僕のMITTANに対する偏愛を整理するために書き出したものです。思考整理の第一弾(ほんの断片)なので、またいつか続きを書くかもしれません。

まず、時系列でまとめてみる。

【2014年】

秋冬頃、ウォールズアンドブリッジでMITTANの存在を知る。しかし当時は高尚そうに感じ手に取ることはなかった。

【2015年】

冬に初めて半纏コートを買う。

【2016年〜】

麻綿のジャケットやパンツ、ラオスコットンロングシャツ、カディシャツなど買い足し、可能な限り全国のMITTAN取り扱い店舗を訪ねる、MITTANを巡る旅をはじめる。

この過程でOUTBOUNDにて、デザイナーの三谷さんに出会ったり、正藍型染師 田中昭夫さんの生地を使ったバッグを手にし、MITTANのなかでも珍品を蒐集していくことになる。

(ちなみに珍品といえば、H.P.E 谷由起子さんの生地を使ったものの存在は遅れて知ったので手にする機会がなく、後に重点的にリサーチしサルベージしていくことになる/三谷さんやウォールズアンドブリッジの森さん、OUTBOUNDの小林さんが着用されている同生地のものがとても格好良いのです)。

【2020年】

うろお覚えだが、どこかのタイミングでMITTAN以外の衣類をすべて手放し、基本的には毎日MITTANを着て過ごすようになる。

【2021年】

5月頃。コロナ禍真っ只中。毎日MITTANを着続けることにより、所有し過ぎていることに気づき、第一回の「もう服は買わない宣言」を行う。

実際、同時期にウォールズアンドブリッジの塩田さんより当時の珍品の入荷情報をお知らせいただいたものの丁重に辞退している(塩田さん、当時はすみませんでした)。

10月頃、三谷さんより買取の座組のシステム的な相談をいただいたく(本当にこの数年間は各地の催事に一番乗りしていたので三谷さんに顔を覚えてもらうことができました/Web系の仕事をしているので&古物商に少し知識があったので/買取に出したのも自分がおそらく世界初/赤字で二次流通からレスキューして故郷に送り返す運動をしていた時期も)。

※「服は買わない」だけであって「服以外は別腹だ」という謎の言い訳をし、布は買っていたし、年末のオープンアトリエで修繕品も買ってしまっていた…。

【2022年〜】

そして2022年春、ウォールズアンドブリッジ主催の催事にてリバウンドしてしまい新品を買ってしまう…(森さん・塩田さんに声がけいただき三谷さんの対談相手に呼んでいただいたのも今となっては素敵な思い出です。ありがとうございます)。

そこからはもう病気で「新古品なら」とか言い訳したりしつつ、禁断症状なのか2023AW〜2024SSまで物欲が大爆発して今日に至る。

【2024年】

そして今。
良いのか悪いのかわかりませんが仕事がカオスで心にゆとりがあまりないのと、猛暑、酷暑、終わらない残暑で気分的に秋冬の新作にまだ目がいかず…。
また、少しずつ始めた衣替えで再認識する家中に溢れかえるMITTAN(ちなみに帰省時に持ち運びしないでいいように実家にもオールシーズンぶんの2軍が控えています)。なにより自分でドン引きしたタグの山…。
たぶん世界で一番買ってる気がする…

【MITTANを巡る旅の途中】

僕はMITTANに恋愛しています。正確に言うならば恋かもしれません。
(必ずしも全員がそうではありませんが)恋に出会いと別れがあるように、これまで色んなブランドに恋してはMITTANに出会うまでに別れてきました。
そして今はMITTANの中のアイテムと恋しては別れてるような気がします(実際、一時期蒐集していた珍品系は自己顕示欲に過ぎないと思い直し、一部を除いてはお別れしています)。

2021年に自分がそう思ったように最近ある言葉に出会いました。要約させていただきます。

『これ以上、買わない。でもMITTANが好きなことに変わりないから、こういうブランド(信念/矜持)があることを周りに伝えい(でも新作も魅力である)』

どこかで見つけられます

そうなのでした。僕も2021年、そう思ったはずなのでした。

そしてMITTANを巡る旅の途中で同じことを考えている方たちに巡り合っていたのでした。

実際、2016年〜2021年までは限られたものを愛用していたように思います。でも僕はどこかで愛し方を間違ってしまっていたようです。

そう。これからはMITTANを愛していこうと思います。

『もう買わない宣言』第二章の開始です。

※補足
ショップは売ることが商いなのですから、それを否定するつもりはありません(射幸心を煽るような売り方はどうかと思いますが(例:もとから在庫数少なく仕入れてるだけなのに僅かだと煽る/自分の言葉ではなくコピペで済ませる等)。

もちろんブランドを否定するものではありません(これを読んだ方は理解してくれると思いますが)。

ビジネスとしてよく考え尽くされたモデルだと感心、尊敬しています。製造工程、修繕・修理・再販、拠点…挙げたらきりが無いですがブランドの経典がしっかりしているからこそ(精神論だけなくマーケティングとしても)、唱えるショップさんや僕のような人間がいたり、参拝したり寄進する方がいるのだと思います。

そして解脱者が少しずつ増えたとしても、新たに恋する人も増えていくだろうし、恋する過程で愛に変わって解脱して輪廻していくブランドなのだと想っています。

ここまで書いてまた買ったらホントに病気ですね…。