#116浅草寺。(東京観光⑤)
東京観光2日目はホテルから徒歩で移動し、まずは浅草寺にお詣りに向かいました。外に出た途端、強い日差しに晒されて、カエルの日干しにでもなりそうな気分です。歩き続けること数分…まずは商店街を通り抜けます。
「わあ、たくさん食器や台所用具が並んでる」
浅草のかっぱ橋道具街は、大正時代から続く調理器具や食器などの飲食業向けの問屋街です。170近くのお店が軒を連ねているそうです。ふつうの家庭で使う食器類だけでなく、ラーメン屋さんや喫茶店など専門店で用いられる道具も、ずらりと棚に並べられています。
ショーウィンドウはピカピカに磨き上げられ、頭に手拭いを巻いた男性たちが、シャキシャキと働いていて、清々しさが街全体にただよっています。エアコンに頼らずとも、こんなに爽やかな空気を醸し出せる街があることに感動しました。
歩き続けて数十分、浅草寺が近づいてきました。浅草寺は1400年近い歴史をもつ、都内最古のお寺です。はじまりは飛鳥時代で、推古天皇36年(628年)、漁師の兄弟が網にかかった仏像を拾い、その仏像に力があると偉い人から助言を受けて以降、私宅を寺にして礼拝供養したのが始まりとされています。
霊験あらたかな寺として名を知られるようになり、源頼朝や足利尊氏、徳川家康などの武将が祈願に訪れたと言われています。今では毎年3000万人以上の参拝客があるそうです。
雷門にやってきたのは、わたしは30年ぶりくらいでしょうか。昔よりも鮮やかになったように見える雷門。正式名称は「風雷神門」で、左側に風神、右側に雷神がでーんと立っていて、大提灯は、高さ3.9メートル、幅3.3メートル、重さ約700kgだそうです。
「わあ、人がいっぱい。…それにしても外国人ばっかりだ」
前日の東京スカイツリーに引き続き、ここも外国人観光客が溢れていました。家族づれも多く、若い女の子たちは浴衣を着て自撮りしたり、日本のムードを満喫している様子です。
もう一つ驚いたのが、人力車がとても多かったこと。若い車夫と呼ばれる人たちが元気良く呼び込みをしていました。若者たちの活気のせいもあり、30年前と比べて街が若返ったように感じられたのかもしれません。
ミドリーはいちご飴を食べました。真っ赤な苺がシロップをかけられて宝石のようにきらめいています。デコレーションをふんだんに施したいちご飴は、今とても人気だそうです。可愛いもの好きの女の子たちのハートを射止めているのでしょう。
この参道は「仲見世通り」といわれ、約90店ものお店が立ち並び、工芸品やお土産、お菓子が売られていました。あまりにも刺激的なものや人があふれていて、お寺の本堂までたどりついた時には、かなり疲れを感じていました。階段をのぼってお詣りの行列に並びましたが、ガヤガヤと騒がしく、手を合わせてお詣りしようという気持ちが、正直なところ湧いてこないのでした。一番大事なところでエネルギー切れという、わたしにはよくあるパターンです(苦笑)。
なんとかお詣りを済ませ、浅草駅から上野駅へと電車で移動しコインロッカーを探していた時のことです。
「わたし、さっき韓国人に間違われたみたい」
とミドリーが言いました。人力車の男の人に、韓国語で声をかけられたのだそうです。きっとメイクが少し派手だったからでしょう。
「まあ、そんなこともあるよね」(わたし)
ロッカーの場所がわからず、構内の案内所に立ち寄りました。その後、教えられた場所に向かって歩いていると、
「今、母ちゃんも中国人と間違われてたよ」(ミドリー)
「え、いつ、どこで?」(わたし)
「駅の案内所で。女の人が最初、近づいてくる母ちゃんに向かって、メイ・アイ・ヘルプ・ユー?って言ったよ。母ちゃんは全く気づいていなかったけどね」(ミドリー)
「…まあ、そんなこともあるのね」(わたし)