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椎名林檎『ありあまる富』を事務職員が解説する
TBSドラマ『スマイル』や『龍が如く8』でも使用された椎名林檎の『ありあまる富』
一回も聴いたことがないならとりあえず聴いたほうがいい。日によったら泣いてしまうくらいの名曲だと思っている。
同じく椎名林檎の『幸福論』という曲があるが、私は『ありあまる富』こそが正真正銘の幸福論だと思う。
今回は大好きな曲である『ありあまる富』の歌詞を解釈してみる。
僕らが手にしている富は見えないよ
彼らは奪えないし壊すこともない
世界はただ妬むばっかり
僕らが手にしてる富=優しさなどの内面的な豊かさで、お金のように見えるものではない。
彼ら=自分以外の相手。私は嫌いな人たちをイメージしながら聴いている。彼らは私の中にある優しさを奪えはしないし、壊すこともない。
人間関係で壊れてしまうこともあるが、それは本来壊すことのできないものなんだ。そう思うと気持ちが楽になる。
本来の富は自分の中にあるのに、世界はお金やブランド品など見えるものばかり妬んでいる。
もしも彼らが君の何かを盗んだとして
それはくだらないものだよ
返して貰うまでもない筈
何故なら価値は生命に従って付いている
物を盗られても気にすることはなく、人の価値は生命、つまり自分の中にあるのだから、そのままにしておけばいい。
物の価値観は、この程度の感覚でよくて、妬んだりするものではない。
『ありあまる富』がどういうものか、ここまでの歌詞でイメージがついてくる。
この歌詞を聴くと、高めの傘を盗られたことを思い出す。隣にビニール傘があったのに......なぜ良い方を盗るのか......いや、これもくだらないものだよな。
彼らが手にしている富は買えるんだ
僕らは数えないし失くすこともない
世界はまだ不幸だってさ
彼らが手にしてる富=高価な物
しかし、僕ら=この曲を聴いている人たちは、1つ2つと数えたり、無くしてしまうこともない。僕らの富は自分の中にあり続けている。
前の歌詞で富が何かを理解できると、妬むのではなく、彼らに対して本当の幸せが何かわからず残念だなと思えるようになる。
僕らは富がわかっているのに、世界はまだ自分は不幸だと嘆き続けている。
この曲が始まってからこの歌詞で上下関係が変わってくる。
なんだ、僕らが欲しかった物は大したことないじゃないか。そう思えてくる。
しかし、あまり蔑んで見るのも自分の富である内部を汚してしまうので、そこは良い塩梅に収めるべきだろう。
もしも君が彼らの言葉に嘆いたとして
それはつまらないことだよ
なみだ流すまでもない筈
何故ならいつも言葉は嘘を孕んでいる
心が豊かではない人たちの言葉を気にして、自分が荒んでしまいそうになっても、そんなことは気にすることはない。
心が豊かであってもそうでなくても、人の言葉は嘘を隠し持っているのだから。
心の豊かさこそが、ありあまる富であることだとわかっていても、生きていればそれを忘れてしまうことがあると思う。
この歌詞は自信を失ったときに、改めて自分の背中を押してくれるような部分だと感じる。
君の影が揺れている
今日限り逢える日時計
何時もの夏がすぐそこにある証
君の喜ぶものはありあまるほどにある
すべて君のもの
笑顔を見せて
最初の3行は、お金では買えないものを列挙している。
君の影が揺れているのは、水面に映る自分のことだと解釈している。よく晴れた日の散歩の心地よさは、こうしたなんでもない情景から感じられる。
今日しかない時間、風鈴や蝉の鳴き声がする暑くも美しい夏。
忘れてしまいそうだが、幸せを感じられるものはいつもあなたのそばにあることを、この歌詞では伝えている。
もしも彼らが君の何かを盗んだとして
それはくだらないものだよ
返して貰うまでもない筈
何故なら価値は生命に従って付いている
繰り返しの部分。
幸せは自分の感情など命と一緒についてくる部分で感じるものであり、お金で買えるような物をたとえ盗まれても不幸を感じることはない。
ほらね君には富が溢れている
ポンと背中を押されるように自信が溢れてくる最後の歌詞。
学校や職場で精神的に辛くなっても、自分の中には幸せを感じられるものが備わっている。
それを生きていると忘れてしまうのは、自分が悪いわけではないと思う。複雑な社会を生きていれば、つい身近にあるものを大事にできなくなってしまうことはよくある。
幸せとは何かを見失いそうになったとき、この曲を聴いて思い出せれば明日も生きれるような、そんな歌だと思う。