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自分を信じて、他人の言葉は受け止めすぎず
私はそろそろ22歳になる。
同時に社会に出て3年近くなるが、他人には「期待せず、見返りを求めず」の精神で生きていた方がずっと自分が楽しく生きれるようだ。
そしてこれは恋愛にも言える。
交際相手には期待をせず、自分が与えても返ってこないと当然のように思った方が良い。そうすれば、ずっと片思いをしているような気持ちになって交際相手に手を抜かない意識を持てる(わあ、かっこいい)。
しかし、ただ生きているだけで突然の苦しみに出会うことがある。むしろそんなことの連続だ。こんなとき、自分の中で揺るぎない決意として持っていた夢でさえも、簡単にグラついてしまう。
そして心がグラついたまま、スマホで他人の意見を取り入れようとするといよいよダメになってしまいそうになる。誰が書いたか判りもしないネット記事からボディブロー。
関係の浅い友人に意見を求めて右アッパー。どこで統計をとったかもわからないデータに揺らいで再びボディ。
これで再起不能である。
この癖がまずいことに気が付くのに時間がかかった。どれだけ自分が欲しい答えを探してもネットや友達の意見は確実なものではない。友達だってポテチ片手に流し見しているYouTubeに飽きたから返信しているかもしれない。
結局のところ、自分を信用することが一番である。他人が自分の心を悪い意味で揺さぶろうとするのであれば、心の中で(は?今は辛くても私は結局幸せになりますけどね)と思える図太さを持っていた方がだいぶ人生生きやすい。
そして、そんな人がいわゆる普通の幸せを手に入れているものだ。
では、自分を信用するにはどうすればいいのか。
この答えは私がうんうん悩んでも出てこない。
自分に対する信用は、過去が自分を強くさせて、今を生きれる考えと力を次の日の自分へバトンを渡し続けたからだと思う。どんなに負けそうな日が来ても何とかその日を生き抜いて、ひとりで涙を流す日を耐え抜いたことが経験となり、今の自分を作るのだと思う。
辛いことが続いても、すぐに楽しいことが起こるわけでもない。何年も続いた辛さを抜けたと思って「やっと幸せになれるのかも?」と思った矢先に死にたい夜を過ごす羽目になる。
あの経験があったからこそ今の自分があると思うことが増えた。逆に、あの経験がなかったら今頃どうなっていたんだろうと不安になることもある。
数年前の孤独な夜にふと聴いた曲が、ある日の大切な人との会話で役にたったこと。人間関係に上手く行かない日に読んだ本がずっと自分の支えになっていること。
やはり自分が考えた先にすがったものに、自分は救われる。すがったその先が友人等であれば、その友人から発せられるアドバイスは少し心に留めるくらいで十分である。その言葉がマイナスなものであれば、もはや心に残す必要はない。「うんうん」と話を訊いてくれる人の有り難さが沁みる。
さて、ここまでつらつら〜っと偉そうな文章を書いてしまった。
自信を持つことは簡単でも、持ち続けることは大変難しい。簡単なことで崩れ落ちてしまう。
そんな時はネットを頼りすぎず、友人からの言葉には軽く腰掛けるくらいで受け止めるのが精神衛生上よろしいと思う。
それよりも、自信を失ってしまった時は吉野家のおかわり無料定食を食べて早く寝てしまった方が良い。
お腹いっぱいにして寝ることが大事なんてことに22年生きてやっと気がついた。
私の自信は、吉野家とお布団で保たれているようだ。