立ってする
2年前の話である。
自分は7年間住んでいた東京の僻地にある家賃4万6千円のボロアパートを引き払い、友人の江口とルームシェアを始めた。
引っ越しは男が2人いれば何とかなるだろうという話でまとまり、業者には頼まずに自分たちで行うことにしたのだが、2人の共通の友人であるNが引っ越しを手伝ってくれると言い出した。
気持ちはありがたいが荷物も少ないし
来てもらった所で手持ち無沙汰になるだけだろうと思い、断ることにしたのだが
「なんでやねん!手伝わせてや!」
「何でもするで!何なら運転してもええし!」
「2人より3人の方が楽やし楽しいやろ!」
持つべきものは友である。
熱い思いについ心を打たれてしまった。
ここまで俺たちのことを思ってくれているとは。
「ホンマ頼むわ!彼女と喧嘩中やねん!」
知らんがな!!!何だコイツ!!!!
仕方がないのでNにも手伝ってもらうことになった。
あんな大事件が起こるとも知らずに。
引っ越しも無事に終わり
一息ついた頃。
「ちょっとトイレ貸してくれへん?」
Nが言った。少しだけ逡巡する。
『記念すべき初トイレを…?お前が…?』
やっぱり引っ越しをして初めてのトイレというものは自分か江口が思い切りぶっ放すものではないのか?
しかしNも貴重な休みの日に彼女と距離を取りたいからとはいえ、わざわざ下北沢から遠路遥々手伝いに来てくれたのだ。貸さない訳にはいかず、渋々、やむなく、不本意ながら貸すことにした。
物語はここで一変する。
「ジョボボボボボボ……」
静寂に鳴り響いた不自然な音色。
……耳を疑った。
まさか。そんなはずがない。
「ジョボッ…ジョボボボ……」
江口と目が合う。
確信する。
立ってしてるぞ!!!
あいつ立っておしっこをしてるぞ!!!!
価値観の違いとかそんな話ではない。
親友の家で。しかも記念すべき第1回目のトイレで
『立っておしっこをするだなんて!!!』
そんな奴はきっと人の家の冷蔵庫を勝手に開け、持久走で『一緒に走ろうね』なんて言っておきながらゴールの手前でちょっと加速をし、借りたシャーペンの消しゴムを許可なく使い、平気で女を殴る。
「お前立ってすんなよ!人んちで!!」
戻ってきたNに光の速さで注意した。当然である。
「え……?ごめん」
「え……?」ってなんだ?
『うわ!マジごめん!もう絶対しないから!』とでも言ってもらえればまだ話し合いの余地があった。
「え……?」とは何事だ!!!!!
『……何で怒ってんのかよく分かんないけど……一応謝っといた方が良さそうだな……ごめん』
の「え……?」に違いない!!違いない!!!!
江口も「流石にないよ〜」などと言いながら隣でヘラヘラしている。
何をヘラヘラしているんだコイツは!!!!
自分の家を汚されたんだから
お前も一緒になって怒るところだろうが!!!
……全く。先が思いやられるぜ。である。
その日は夜から
他の友人も招いて引っ越しパーティーが行われた。
楽しい会になるはずだった。
Nが立っておしっこをするまでは。
Nが酒を飲む。
『うわ…酒飲んでるよ…立っておしっこしたくせに…』
Nがピザを頬張る。
『うわコイツピザ食ってるよ!立っておしっこしたくせに!』
Nが楽しそうに笑っている。
『笑ってんじゃねぇ!!!立っておしっこした奴が!!!』
自分はもうNのことを
『人様の家で立っておしっこをした人』
としか見れなくなってしまっていた。
最悪の引っ越しである。
もう縁を切ってしまおう。
尿の切れ目が縁の切れ目。
親友の家で立っておしっこをするような奴は自分の人生には必要ない。恐らく日本が銃社会だったら撃ち殺していた。
あれから2年。
普通に飲んでいる。
自分の家で立っておしっこをした奴と。
普通に飲んでしまっているのだ。
水に流したのである。小で流したのだ。
今でも耳にはあの時の音がこびりついている
「ジョボボボボボボ……」
あいつ早く引っ越さねぇかな。
喜んで手伝いに行くのに。