おふくろの味
おふくろの味、なんですか。
家は料理名がないやつとお吸い物です。
お吸い物は、母の母、つまり祖母から受け継がれています。
これが美味いんだ。盆暮れ正月に頂ける特別な味。
いや普通にリクエストすれば頂けますが。
ホタテか、鶏肉か、そこにプラスしてこんにゃくとおろした生姜。
非常にシンプルなんです。
しかし覚えられない。
メモを取らない私がいけないんですが、ぽろっと何かの拍子に思い出してあれは何が入ってますかね?とあれはね、と教えてくれる。
この場面にメモは、ない。
母も母でたまにレシピがあやふや。
ごめんよ母、早めに覚えるから、メモ取るから、頼むから正確なやつ思い出して。
後でいっか〜なんてしてたらもう聞けないなんてことが山とあります。
亡くなった父方の祖母のレシピこそまさにそれ。母方の祖母も亡くなっていますが。
父方の祖母はリトルマーメイドに出てくるアースラのようなおばあでした。
顔が似てるんだ。
目分量しつつもきちんと味は美味しく作るから魔女なのかも知れない。
父方の祖母(以下海の魔女)のレシピは多い。
私はキンカンが好きでした。生姜醤油で鳥の部位どこかしらと卵を煮るやつ。
うちのカレーは海の魔女のレシピに近い。
母方の祖母(以下山の魔女)のカレーも美味いけど、なんだろう、何かずば抜けた特徴があるものではなく平均点を高めにした感じ。
どちらも美味しいので好きだけど自分が自然と作るのは海の魔女の方。
ケチャップとかソースとかリンゴとか入れるやつ。
海の魔女、冬の間はスキー場近くのロッジでご飯作ってたので取っ付きやすい味付けをしていたのでしょう。
海の魔女の失われたレシピの中でも惜しまれたのは漬け物とにんじんしりしり、葬式の夜にあれ聞いとけば良かったと惜しまれたレシピ。
味さえ思い出せれば近いの作れると思うんですがなんせ私にんじんしりしりは食べてないので作れなかったです。
一方山の魔女の失われたレシピはしっかり覚えています。
甘い茶碗蒸しといなり寿司とコロッケ。
肝心なのは栗の瓶詰めの汁。甘さはこれだ。
私はどこの誰の作った茶碗蒸しを頂いても山の魔女の茶碗蒸しにかなう物はないと思う。
優しいお出汁と甘さは再現出来て良かったと心底思う。
コロッケは受け継がれて母がよく作ってくれる。山の魔女の思い出付きで。
私はこのコロッケも好きだが思い出話を楽しみにしている。
小さい頃、冬場に沢山作ってくれて、じいさんもばあさんも帰りが遅いから自分はこれを沢山食べたんだと懐かしそうに話す。
大変苦労した人達で戦争で従軍した話を聞いたりもしたし、姑が酷い人だったので苦労した話とか色々聞いた。
山の魔女はなかなかハードモードだ。
可愛がってくれた山の魔女とおじいには大変感謝しているし、私が今もぽっきりいかないのはこの2人のお陰でして。
おふくろの味の話どこ行った。
戻りましたただいま、さて山の魔女のコロッケは多分こんなでかくないだろうなと思うんだ。
母のコロッケはまーでかい、まーーーーでかい。
その細い手で作るにはゴツすぎやしないか。
思わず言ったもの、流石にでけーって。
母が作るコロッケもハンバーグも分厚いしデカイ。
おにぎりも例にもれず厚い。
当の本人は薄く作ってると供述している。
まあ、美味しいんだ、既に火は通ってるし問題ない。
問題はあまり何個も頂けないこと、揚げ物はもたれるんよ。
私は海の魔女とひとつ屋根の下だったが、多く好んだのは山の魔女の味だと思う。
母の味のルーツなんだからそりゃそうだ。
正直母はあまり料理が得意では無い。
当人が言ってるだけで食べてる私は全くそう思わないのだけど。
学生時代のお弁当は彩りが綺麗でどれも美味しかった。
一度遊びに来てくれた子も母の料理をまた食べたいと遊びに来てくれた。母照れていた。
私はそんな母の味を継げるようにやっぱりメモしないと。
なくしてからじゃ遅いからね。
そんな私は甥姪によく作るのは、ピザと酢だこ。あと訳分からん名前のが多い。
私の味はきっと誰にも受け継がれないけど、まあ私が美味い美味いと食べれれば良いかと全く感傷に浸らない午後でした。
今日も今日で寒い、3月はどこかへ行ってしまったまま4月になりそうだ。