安定した人生を“あえて”波乱万丈で面白くするススメ
あなたは
安定派ですか?
それとも波乱万丈派ですか?
「安定した人生を“あえて”波乱万丈で面白くするススメ」
本日、このテーマで
日本講演新聞の魂の編集長/水谷もりひとと、
中部支局長/山本孝弘の演会を開催しました。
実は、このテーマを考えたのは私です!
(#^.^#)
面白そうでしょう~♪
この2人に共通するところはどこかな~
と考えていたら、
これじゃん!って思いつきました。
下記は、水谷のことを書きました。
山本のことはまた後日♪
◆◇◆◇◆◇◆
水谷もりひとは、
30歳までフリーターをしていました。
宮崎の田舎から、
東京の大学に進学したものの、
学校へは全く行かず、
3年くらい浪人して、
就職もせず、好きなことばっかりやっていました。
もちろん、その間に
ちゃっかり結婚もし、
子どももできました。
そして二人目(私)の出産をきっかけに、
宮崎にUターンし、
ちゃんと就職しようと
ハローワークで出会ったのが、
㈱宮崎中央新聞社だったのです。
その2年後、
その新聞と経営権を譲り受けますが、
当時の新聞の発行部数は500部(月商50万)。
もちろん赤字です。
この新聞が軌道に乗るまで10年かかりました。
詳しくはこちら⇩
その10年間はアルバイトをしながら、
この新聞を発行し続けました。
水谷はこう言います。
「もうやめたい」「譲り受けなければよかった」
と一度も思ったことがない。
貧しかったけど、
心から応援してくれる人、支えてくれる人が
たくさんいたんだ。
確かに、うちは裕福ではありませんでした。
欲しいものがあっても
「これ欲しい」「これ買って」
と言えませんでした。
でも、子どもだった私にも
多くの大人がやさしくしてくれていました。
毎月のように、高級レストランに連れて行ってくれて
帰りには高級スーパーで
好きなものを好きなだけ買ってもらいました。
年始の挨拶周りに付いて行った時には、
お年玉をもらったこともあります。
みんな、水谷がつくる新聞のファンだったんです。
新聞を譲り受けて20年経った頃、
テレビで紹介されたことがきっかけで
もっともっとたくさんの応援者、ファンが増えました。
今日の講演会終了後の感想シェア会でも
読者さんからの熱い言葉をたくさんいただきました。
あ~なんて幸せなんだ( ;∀;)
私の夫は大企業で働くサラリーマンですが、
けっこうやりてです。
出世コースを歩いています。笑
一度は夫の転勤に伴い、
専業主婦になりました。
家庭の幸せだけを考える、
安定的な人生を歩む選択をしたんです。
でも、紆余曲折あって
この新聞社で
パートとして働いているうちに
私の「ライフワーク」になりました。
この新聞を継承しなくては!と感じたんです。
そして私に
スイッチが入りました( `ー´)ノ
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「新聞なんて終わってる」と言われます。
でも私たちが提供しているのは
「新聞」という形の
「元気」や「希望」なんです。
新しい時代になって
「新聞」という形が変わって、
水谷の思いを残していこうと思います。