015.無駄に乙女という自分の考察
ああまたか。
電車内、頭の先を見てから足元みて再度、頭を見る視線。
残念、スニーカーですよ。自背ですよ。貴方より背が高いですよね?
どうも、ごめんあそばせ。
背高女子のあるある場面。
「何センチあるの?」そう聞かれて「172センチ」と答えるクセがあった。
ほんとうは175センチなのに。
ほんとうはね。170センチと言いたいところなの。
でも、5センチはサバ読み過ぎるかなと思う心のブレーキ。
背が高くて良いことは、新鮮な空気が吸えること。とは結構マジで思ってる。
現実的に良いことはライブが見えやすい。
背の高さは遺伝であり(父180センチ)両親からは「背が高くて素敵。胸を張ってね。」と言われてきたので、背が高い事についてはコンプレックスに傾きつつも自分を作るひとつの要素として好意的に受け止めてきたと思ってる。
***
高校生になりたてくらいの時。
母とでかけた先でみたワンピース。
デニム生地のロングワンピース。裾がフレアになっていて、ワンピースとして着るのはもちろん、羽織りとしても着られる洋服であった。
「これ。きっと似合うから」と母から差し出されて試着室へ。
「お似合いですよ」という店員さんの声の向こうで、うんうんとうなづく母の姿が見える。
鏡に映る自分の姿が気恥ずかしくも、にまにま嬉しい気持ちであふれてくる。
「背が高いから似合うものがあるのよ」
「ロングワンピースなんて、なかなか着こなせないもの」
会計をしながら母は続ける。
「いい?それぞれ素敵なものがあるの。背の高さも同じ。みな同じなんてつまらないでしょ?」
「もし、そうね例えばあなたがかわいいと思う服が着たいなら、それを着れば良いの。」
「その服が好き。その服を着た自分を好きでいればよいのよ」
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レペットの靴が好き(サイズはないけど)
白シャツにジーンズ、ハイヒールも好き。
レーストップスも好き。Iラインの服がめっちゃ似合うけど、Aラインワンピは今でも憧れる。
裾がくるんくるん揺れるさまが好き。
ストッキングじゃなくってガーターも密かな楽しみ。
胸の奥が、きゃわっと動く。そんな喜びが好き。
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「かわいい服」
かわいいの言葉に含まれている意味の多さに軽く目眩がする。
かわいい服を着てはいけない。
そんな呪いは少なくとも親からはかけられていない。
「大きい」と思われているのかなという視線さえも想像であり、もしかしたら他者はなんとも思っていないかもしれない。
それに背が高いのはただの事実だ。
「かわいいと思うなら、着ればよいのだ」
人を羨ましく思っているだけの自分から、ほんとうの望みを思い出してみること。
そんな事を思っている。
今日のひとさじ
ドトールのアイスハニーカフェオレ飲みながら、サウスポイントを読む。
雨が止んで風が吹いてる。
今日の思いは今日のものだけど、思い出すことはできる。
朝に自分と約束した洋服の片付けができた。小さい成功体験をつみあげていく。
自分に正直に生きるの題目は、とてつもなく大きくて途方にくれてしまうけど、
ウソのない自分になる一歩を、そっと踏み出すことはできる。
毎日note15まできたよ。
書き続けるひとになりたいのです。